七話 琥珀色に溶けた夢

 日がしずむ頃。探索者達が財宝を持ち帰り、酒精でのどうるおす頃。


 ケインもまた、一人酒場に安酒をあおりにやって来ていた。


 迷宮から帰ってきたあの後、どうにもつぶれた右腕の痛みは引くこともない。しかも、探索者なので寝れば腕は元に戻っているという訳で。


 そこらにいる医術師に金を払って治してもらうのも金がしい。


 疲労したケインの頭は、酒精で痛みをにごしてしまおうと、そう結論づけた。


 がやがやとさわがしい探索者達と、無数にある卓の間を縫うように抜けて次々と酒杯やつまみを送り出している給仕達。


 濃厚な酒精と肉の脂の匂いが充満していて、既にっていると錯覚するほど。


 カツンと硬質な音を立てて打ち合わせられる酒杯と、波打ち返る泡立った黄金の麦酒。


 ケインはそれを尻目に、運ばれたばかりの自分の飯を手に取りだした。


 手元に有るのは使い古された安物の酒杯に、にごったぬるめの火酒が一杯。それと平パンに腸詰ちょうづめも少々。


 今のケインに必要なのは、麦酒のやわらかな微睡まどろみではなく、火酒がもたらしてくれる強烈きょうれつ酩酊めいていだ。


 ケインは火酒を手に取った。ヒリヒリと香るその匂いは、容赦無く脳裏を焼いてくる。一息に火酒を飲み干した。鋭い痛みがのどを通り抜けていって、その後にむせ返るほどの酒精の匂いが、口に鼻に充満した。


 ふぅと、溜まった息を吐き出して、平パンと腸詰ちょうづめとを交互にかじる。


 少し強めに付けられた塩気と、肉汁とが、口の中にボソボソと含まれていたパンの中にみ込んでいって、ちょうどいい。


 これを幾度いくどり返せば、いつの間にかケインの頭は湯だってしまって、体の痛みだって忘れられるほどだった。


 いと少しの満腹感とに浸っていたケインの元に、一人の探索者が近寄ちかよって来る。


 長剣に鉄の円盾。頑丈がんじょうな胸甲に、軽量で動きやすい革鎧と鋼鉄の小手。


 明らかにケイン達よりも上等な装備を持っているその男は、達人とまでは行かないものの、それなりの腕をもった探索者なのだろう。


「よう新米! 調子は良、くは無さそうだな。だが、まだ生きていられるってのは良い事だ」


 男はひょうきんに話しかけると、そのままケインの前に酒杯をかざした。乾杯だ、と言っているのだろう。


 ケインはおずおずと飲みかけの酒杯を前に突き出して、男の酒杯との間に控えめな音を出して見せた。


「ああ、そうだろうな。これだけ怪我をしても生きてるってのは、運が良いほうなんだろう」


「その通りだな!俺はヨーム。酒場でお前のような新米にからむのが趣味しゅみみてぇなもんなんだ」


「俺はケイン、お手やわらかに頼む」


 ヨームが右手を出てきたので、ケインも握手をしようとする。すると右手はプラりと垂れ下がっているだけなので、そういえば右手は動かないんだ、とから笑いした。


 ヨームはすまないと謝りつつ左手を出して、今度こそケインも左手を合わせ、互いにグッと握手をする。


 そうしたらヨームはニヤリと笑ってみせて、そりゃ上々よ、とつぶやいた。


「最近迷宮がきなくせぇだろ?それもあって初めて見かけた奴には声けてんだよ」


「なるほど」


「あのしかばねむさぼる汚泥共。俺らの迷宮シマを好き放題しやがってよぉ。コウモリやら小鬼やらと苦戦してるような奴らが次々と死んでくんだ」


 はぁっ、と深くため息をついて、ヨームは近くの椅子いすを引っ張り出してこしを下ろした。


 「全く、ただの怪物に殺されるようならそいつはしょうがないんだろうが。でも今回みてぇに不自然な存在に蹂躙じゅうりんされるってんなら話は違ぇよなぁ」


「俺も、あの汚泥と出会ってこの有様なんだ。アレはかなりの数が居たりするのか?」


 ケインはついさっきの戦闘を思い出して、体のしんから冷えるような思いをした。


 あのような汚泥共が迷宮の中を荒らし回っているのだとしたら、それはどれほど恐ろしい事か。


 四匹相手するだけでも精一杯だったのに、行く所行く所に汚泥がいずり回る光景を想像したら!


「汚泥共は、場所によってマチマチなんだ。探索者の死体の数が、奴らの数に影響してっからな。問題は、奴らの親玉なんだよ」


 いわく、

 汚泥を帯びしもの。

 黒き戦士。

 泥濘の騎士。


 黒き泥濘の鎧をまとい、うつろな眼で探索者を見つめるおぞましき怪物。


 右手に握られしは存在自体がかすかに薄れる、黒の長剣。


 左手に握られしは汚泥にれた腐敗の短剣。


 殺した者を汚泥へと変え、その汚泥が探索者を殺し数を増やしていく。神代の世に名をつらねる厄災の、その一つにあたう、正におぞましきもの。


 ヨーム達はそれを止めるべく、の騎士を殺そうとしたらしい。何隊かの有志をつのって、あちらこちらに追いめたそうだ。


 結果は、汚泥がまだ蔓延はびこっているのを見れば誰もが分かる事だ。


「奴はな、こっちのが強ぇと分かったらすぐ逃げやがんだ。下手に馬鹿力の奴よりゃうんと厄介やっかいさ」


 つまり、新米だけが殺され続けているのはそういう事だ。


 ただその階層に対して強い敵が生まれただけなら、もっと強い探索者を集めてざっくばらんと斬り殺してしまえばいい。


 そういう事ができない場合はより被害が拡大していく。そしてその被害の内訳には、ケイン達だって入りかねないのだ。


 はぁっと、ケインの口からは酒精をせたため息が流れ出ていく。やってられない、そういう気持ちだ。


「まぁ、せいぜい死なないように頑張がんばるさ。それくらいしかできないから」


 酒杯の底に残っていた火酒をグイッと飲み干すと、それももうどうでもいい様に思えてきて。


 ケインのような、だ無力な人間には、いのって通り過ぎる事しかできないのだから。


 それなら愚痴ぐちを吐いているよりも、迷宮に潜って力を付けるより仕方がない。


「まぁ、そうだなぁ!せいぜい頑張がんばれよ、少しなら手助けしてやるからさぁ」


「頼るような事が無いと良いんだが」


「確かにな」


 ヨームも残った麦酒を全て飲み干し、また会おう、と言い残して去っていく。


「それじゃ、幸運を」


「幸運を」


 喧騒けんそうの中に薄れていくヨームの後ろ姿を見届けながら、ケインは残った料理を噛みめた。


 肉汁と麦の味を最後の一欠片まで流し込んで、少しの間余いんに浸り、席を立った。


 微睡まどろんだ頭を持ち上げて──しかししっかりとした足取りで──酒場を後に歩いていく。


 右腕の痛みなどすでに忘れて、後はもうねやすだけだ。


 酒精でにごったケインの体は、その後の記憶を薄れてき消えるようにこぼしてしまっていた。






 ……






 百合の花が咲きほこっている。


 新緑の若草の上に広がる一面の花畑は、まるで白の絨毯じゅうたんのようにおおいかぶさっていて。


 その中央に、彼女は居た。


 彼女は俺を見て微笑ほほえみかけてくる。


「──」


 雑音。


 彼女の姿も思い出せない。


 彼女の方を見るけれども、黒いきりおおわれていて。


 それでも彼女の目はこちらを見続けているような気がする。


 彼女の手が差し出された。


 薄れて消えそうな彼女の手に、思わず手を伸ばす。


 にぎり返してくれた彼女の手は、死者のように、ひどく冷たいものだった。






 ……






 目が覚めると、ケインは宿屋の自室に居た。


 今までよりうんと軽くなった体をね上げて、ケインは少しあらい寝床から飛び起きる。


 そしてまず、酩酊めいてい状態にあってでも自室に辿たどり着く事のできた自身に感謝した。


 道ばたに倒れ込んでいたならば、そのまま路地裏に引きずられて殺され、金品をうばわれただろう。


 そうでなくても酔った探索者などただの歩く財布のようなものなのだから。無事ここに居る事に感謝すると同時に、自身の体調管理の甘さに顔から火が出るような思いを感じる。


 そうやって反省を終えた後は、自分の体を確かめ始めた。例えばくだけていた右腕のようすだとか、悪影響をおよぼしかねないほどの酒精の行方ゆくえだとか。


 昨晩かなり酒が回っていたというのに、宿酔ふつかよいさえさせてくれないとは、流石さすがは探索者の体だ。


 そして折れてぐちゃぐちゃになっていたはずの右腕を見ると、案の定しっかりと治って元の通りだった。


「これならまた探索できるな」


 しばらく腕の感覚を試してみるけれども、おかしい所もどこにもなくて、ケインの中に残っていた少しだけの不安も消え失せる。


 だが問題は、鎧の方だ。鎧立てに立てけてある革鎧は、見る影も無いほどにみすぼらしく変わっていた。


 右腕は全損、左腕も中央から先は欠けている。どう体には胸から右わきにかけて亀裂きれつと大きな凹みとが走っていて、とても使い物にならない。


 ……本当は未鑑定の胸甲を鑑定してから身に着けようと、ケインは思っていたのだが、そう甘い話があるはず無かった。


 ベットリとこびり付いていた血痕けっこんをどうにかしてがしたまでは良かったのだが、体格が合わなかったのだ。


 胸甲はケインの肩を通り抜けて、ケインの足元でカランカランと音を鳴らしていた。


 エイベルの体格にはちょうど良かったので、無駄になったという訳ではないのだが。


 という事で、どうにかして革鎧を修理しようという結論になった。


 そして昨日までは何とか修理しようと考えていたケインは、改めて見たこのさん状に、その考えを捨ててしまった。


 これなら新しくこしらえた方が強度も、金額も、日にちにおいても良いだろう。


 一応下半身は無事だから、上半身だけ調達するだけならまだ容易たやすい。ついでにえぐれた円盾も買いえようか。


 ちょうどエイベルの盾だって新しくするのだ。そこに革鎧やらが加わったって変わりはない。


「そうとなれば早速さっそく行くか」


 と、ケインがそう言うやいなや、獣のうなり声のように大きな腹の音がなった。


 探索者の体は燃費が悪い。迷宮に入っているでも無ければくまのように大食らいだ。


 その上酔いと損傷をなおしたのだから、当然体をめぐる栄養は、ひっくり返してもカスひとつ出ないくらいスッカラカン。


 ケインは食堂に向かい、普段の二倍をも超える麦がゆをかき込んだ。


 けふ、と腹にまった空気をき出して、少し重い体を持ち上げていると、視界のはしにエイベルとドナが居るのが見える。


 俺とエイベルの装備は言わずもがな、ドナの外套がいとうももはや、素人しろうと裁縫さいほうではどうにもならないくらいズタズタだった。


 ──ちょうど良かった。装備を買うのに二人も呼ぼうと思ってたんだった。


 装備を買いそろえるなら別々に行くより一緒いっしょに行った方が手間がはぶける。


 ケインが二人の側に寄ると、麦がゆを口にふくみながらも振り返ってきた。


 ドナは構わず食べ続けているけれども、エイベルは口の中の物を飲み込んで話し始める。


「よう、ケイン。こんな朝から何の用だ?」


「ああ、俺の円盾と革鎧が修理できないから買い直そうと思ってな。それならお前とドナを連れていったほうが、調達も手っ取り早いだろ」


「ああ、そうだな」


 エイベルはそう言うと、残った麦がゆを一息にらい、飲み込んだ。


「ドナ、お前もとっとと食っちまえよ」


「ん」


 エイベルの言葉に、ドナは気だるげそうに返事をする。なぜ皆に食事の速さを合わせねばならないのだと言わんばかりに。


 そしてそれまでと同じように、ゆっくりとかゆを口に運んでいき、一人だけびとした朝食をった。


 ……宿屋をつと、昼間より少し前の街は、人の波であふれかえっている。


 普段よりもおだやかな風が、ケイン達の元に、魚や肉や、野菜や麦の活気のあふれる匂いを運んで来た。


「いつもここは混んでるよな」


 エイベルは匂いを鼻に取り込みつつ、流れていく人の波を見てそう言った。


「ああ、迷宮と居住区とを繋ぐ動線でもあるからな」


 ケインは人々がつどうこの通りが好きだ。人が居なければ活気は生まれず、人々は貧しいままだ。


 だから人混みが無いよりかは人混みに押されてしまう方がうんとマシだ。


「こんなに人が多いとウンザリしますよ。毎日毎日押し流されて」


 だがドナはそうは思っていないようで、日々ここを通って行く事に疲れ果てている。


 戦士のように体力が有り余っているならともかく、貧弱な斥候せっこうでは思うように動けないのが気に入らない。


「ま、目的地はすぐ近くだ。そのくらいなら俺とエイベルとで押しのけて道を作ってやるから」


「はぁ……。まあ良いですけどね」


 二人が流れに逆らうように道を開いていく中、ドナはあきらめてその背中せなかを追っていく。


 目指すは商店、場所はすぐそこ。それでもドナはこの上ないほど憂鬱ゆううつだった──。






 ……






『古びた日記の紙片』


 広がりゆく赤色の平野、勝鬨かちどきを上げる兵士達。英雄讃美歌が奏でられた勝利の一時は、忘れられるはずがありません。


 それを見ると、私の手すらも赤くにじんでいるような気がして……。


 私は時々恐ろしくなるのです。


 彼らが獣のようにあらぶる姿が。


 抑えきれない征服欲がき出しになっている様が。


 ああ、私は恐ろしくてたまらないのです。

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