五話 黒鉄の足音

 風を切る音と共に、太矢ボルトが鍵穴から飛び出す。


 それは壁に向かって真っ直ぐぶつかり、鈍い音を立てて床に転がった。


 思いのほか近くに当たったその太矢ボルトを見て、クリスは嫌な顔をする。


「そのやり方は少し乱暴過ぎませんか?」


「別に、いしゆみの罠なんですから、こっちの方が速いですよ」


 ドナはそれを気にも止めない。


 これだって立派な手段の一つなのだから、と。


「だからってそんな事ばかりしていれば罠解除だって習熟しないじゃないか。それに、『どんなに優れた斥候せっこうだって、二十に一度は識別を誤る』だろ?」


 見かねたケインは『探索者の基本』の中の一節を持ち出した。


 どんなに優秀な一党パーティでも、運次第では罠一つで全滅する事もあるのだから、慎重しんちょう過ぎても損は無いだろう。


「……そうですね」


 どうやらドナは素直な方だったようで、渋々しぶしぶながらも自分の過ちを認める事ができたようだ。


 クリスもそれを見てホッと息をつく。


「まあ、過ぎたことだし次回から気をつけてくれれば良いだろ。それよりクリス、怪我はもう大丈夫か?」


「ええ、アンネのお陰ですっかり動くようになりました。あのままでは足手まといで終わっていたでしょうから、やはり医療の呪術というものは素晴らしいです」


 アンネは少しだけ顔を赤く染め、照れたように笑って見せた。


「クリスさんだって医療の呪術をたしなんでいるじゃないですか。それに私はこれしかできないから、皆さんの後ろでちょっとお手伝いしているだけ。それと比べれば剣も使えるクリスさんの方がすごいです」


 そう言われて、クリスは苦笑いをしながらほほく。


「はは…… そんな大層なものでもないですよ、僕は。ちょっとでも力を付ける為にと学んでみたまでは良かったのですが、習得できたのが【小傷】それも一回限りで。……威力も剣に劣るというものです。使えるようなものではありません」


「私だって、まだ【軽癒】しか使えません。他の呪術だってまだ覚えられてないですし、【小傷】に至っては、覚えられるなんて想像すらできなくて。そう謙遜けんそんするものでもないですよ」


「それでも──」


 カチリ。錠前が外れた。傷んだ木の板のきしむ音と共に、ゆっくりと宝箱のふたが開いていく。


「開いた」


 開錠の音とドナの抜けたような声。その二つで気が抜けて、クリスは「まあ、そうですね」と困ったように言った。


「それで、何が手に入りましたか?」


「ええと」


 ひ、ふ、み、よ、と金貨を数えながら、シエラはその他に何があるかと目をらす。


「んー、これは……?」


 鈍い赤色。松明たいまつの光とはほんの少し違っていて、なぜだか少し胸がめ付けられるような色。


 シエラはそれに、手を伸ばして見た。


 少し伸びた爪の先が、何か硬いものにぶつかって、それを転がらせる。


 黒みがかったふちどりに、薄暗く燃えるような赤色の結晶。


「ねえケイン、これ何かしら?」


「これは…… 呪晶だな。装備に使って強化するやつ」


「へぇ、これがそうなの」


「安い鑑定屋が有るから、そこで見てもらうことにするよ」


 そう言ってケインは、呪晶を受け取って布袋にしまい込んだ。


「あっ!」


「っ!どうした!?」


 雷にでも撃たれたように、ビクンとエイベル背中が跳ねる。


 振り返ってみると、宝箱の中を覗き込んでワナワナと体を震わせているシエラの後ろ姿。


「クリスのせいで、金貨こぼれ落ちちゃったじゃない!また一から数えなきゃいけないわ!」


 ……しょうもない。


 ケインはハッと笑い捨てる。


「……そんな事でいちいち騒ぐな。また怪物に奇襲されたかと思ったぞ」


 エイベルはイライラしていた。


 彼は渾身こんしんの力を振り絞って怪物を退け、その権利として休息を勝ち取っている。


 だのに、なぜ小娘のかん高い声──しかも何の異常もないのに、だ──にその休息を邪魔されなければいけない?


 エイベルはまるで人を殺せるような目付きでシエラをにらみつけた。


「……ゴメンなさい。悪かったわね」


 虎に噛み殺される前の兎のような気分で、シエラは縮こまりながら返事をした。


 あるいは、あの奇襲の結末を思い出して青ざめたのだろう。


 どちらにせよシエラが反省したのを見て、エイベルは少しだけ溜飲りゅういんを下げた。




 ……




 その後、怪物からも金貨が手に入るのだという事を思い出し、全員で地面をったりした。


 そうやって集めた戦利品は、金貨四十六枚と、血のこびりついている未鑑定の胸甲、それとさっき見つけた呪晶。


 ……流石にあれだけ多くの相手を倒したというだけあるな。一回目とはえらい違いだ。


 ケインは嬉しい気分になったが、それと同時に戸惑とまどった。


 前回は、あれだけ死ぬような目にあって、仲間も死んでいる。それなのに今回は安定した探索で、そして得られたのはより多い報酬?馬鹿げているとしか思えない。


 それに、宝箱の中にあった戦利品。きっと自分達のような成り立てルーキーのものだろう。


 墓荒らしの強盗紛いハックアンドスラッシュで手に入れたのは、きっと彼らの遺品なのだから。吐き気がする。


 シドとマルコのような不幸な探索者のお陰で自分達の財布がうるおうのだと思えば、とても素直には喜べない。


 それと同時に、この金でエイベルの盾を新調する──つまり一党パーティの安全を買うという事だ──となると、それはどうしても必要になる。


 ……そんな事はここに来た時には分かっていた事だろうに。どうすれば良いんだろうな?


「おい?おい!」


 思考が現実へと戻っていく。


「さっきから聞いているだろう?帰還か、探索か。呪術はそれぞれ一回ずつ残ってる。どうする?」


 ケインが困惑しながら顔を上げると、そこにはエイベルが居た。


 立ち直る間も無く立て続けにしゃべるものだから、ケインは更に混乱する。


 だがそれでもケインは一党パーティの主だから、ボケた頭でもしっかりと考えようとした。


 そして結論は以前と同じ。打ち止めになってくたばる前に、さっさと帰還しようという事になった。


 だが前回と少し違うのは、入り口付近を少し探ってから出ようと提案した事だ。


 疲労はそれほど溜まっていない──迷宮内では精神はともかく、体力の回復はとても速い──し傷もほとんど無い。


 怪物と出会ったら即帰還。それを心掛けて探索すれば、あまり問題は無いだろう。


「よし、行くか」


 軽く装備の点検をして、準備は万端。


 風の吹き付ける迷宮の中に、彼らは身をもぐらせて行く。


 向かい風の中を歩いていった。そして今も、歩いていく、歩いていく、歩いていく。


 風の中で松明たいまつの炎が揺れるけれども、それでも決して消えはしない。


 所々ちぎれては直ぐに消えていく火の欠片と、名残なごりしむかのように後ろに伸びていく火の影。


 粘り強いその炎を見ていると、確かに探索者に好まれる訳も分かる。


 とにかくそうやって変わり映えの無い通路を延々と歩いていく。


 何度目かも分からない曲がり角で、シエラの持っている松明よりも先に、何かの光がれ出してきた。


 黒く染め上げられた爪先が、ぬるりと浮かび上がってくる。それから体、顔。


 後続の五人も、それに続いて角を曲がり、こちらに来た。


 先頭の、黒鉄の鎧を着た男は、どうやらこちらの光に気づいたようで、少し歩いて静止した。


 男の顔は暗くて良く見えないけれども、こちらに向かって微笑ほほえんでいる事だけはかろうじて分かる。


「こんにちは。あなた達も探索者ですよね?」


「っ!」


 だが、突然話しかけられた事に驚いて、誰も言葉を出そうとはしなかった。しばらくすると、男の笑顔が段々と引きつり始める。


「もしかして、探索者ではない?」


 ケインは、この洞窟どうくつが暗くなったように感じた。


 ほんのりと体のしんを冷やすようなあせが、こめかみをしたたっていく。気持ちが悪い。


 数度まばたきをしている内に、男の顔はいよいよ険しくなっていた。


 それを見て、ケインはようやく返答をしなければならない事を思い出す。


「ああ。ああ、そうだ。俺達も探索者だ!」


「そうですか」


 カチャリ、と音がなった。


 男のうでが左から右へと動いていくのを見れば、彼が剣に手を掛けていたという事を思い知らされる。


「すみませんね。最近、物騒ぶっそうなもので。追いぎだけならまだしも、探索者まで襲ってくる始末ですから」


 ──光が戻ってくる。


 殺気とも呼ぶべき緊張感が抜けていき、一触即発の危機は、一応抜け出すことができた。


「別に、構わない。用心は、必要だから、な」


 息は上がり、心臓は空気を送れと急かしてくる。ケインは途切れ途切れに答えるしかない。


「とりあえず、お互い戦う意志はない。それで、良いんだ。こちらも、帰還しようとしていたから」


 すると男は、ああ!とうなずいて、また顔を微笑ほほえませる。


「そうでしたか。お疲れの所、すみませんでした」


「構わない」


「おびといっては、何ですが。この先の道に、ちょっと不思議な事がありまして。腐臭がするんです」


 それを聞いて、ケインは顔をゆがめた。


 怪物は、死体を残さない。だから腐るほどに何かを残すのはほとんどが探索者だ。そして食料も持たない探索者が残す腐る物というのは、死体だけ。


 ──この先で、何か危険な事が起こっている。


「それだけは、伝えておこうと思って。それでは、良い旅路を」


 そう言うやいなや、男の一党パーティはこちらの来た方へと歩いていき、すぐに見えなくなった。


「ねぇ、腐臭って」


 ケインが振り返る。シエラは不安そうにこちらを見上げていた。


 ケインは少し言葉をくぐもらせて、それから深くため息をつく。


「ああ、何か危険な事があったんだろうさ」


「それは……」


「でも、俺達はそこを通らなければいけない」


「大丈夫なの?」


 シエラの紅玉の目が、真っ直ぐケインを見つめている。とても不安そうで、はかない眼差し。


 ケインは首を縦に振った。うそをついた。


「大丈夫だ。それに、そもそも会わなければいい話だろ?」


 あまりにも楽観的な話。だが、それでもシエラは信じた。いや、心の底では分かっていたのだろうが、そう思い込んだ。


「そう…… そうね、そうよ」


 子兎のように縮こまっていたシエラは、大きく飛び上がり、とびきりの笑顔を振舞って見せた。


「それじゃ、行きましょ」


「ああ」


 シエラが他の皆よりも少しだけ早く歩き出して、それから思い出したかのようにピタリと止まった。


「急がないと、遅れるわよ」


 その姿に、もはやおびえは無い。まるで先ほどの表情がうそだと思えるほどに。少なくとも、ケインにはそう見えた。


「アイツも、いそしいやつだ」


「ハハッ、そうだな」


 エイベルが微笑ほほえましいものをみるような目でシエラを見つめていた。


 ……ああ、確かにいそがしいやつだ。本当に。


 だが、探索において元気が余って損は無いだろう。憂鬱ゆううつな気分で歩く迷宮ほど疲れるものは無い。ケインもまた、シエラの姿に元気づけられようとした。


「ああ、元気なのは良い事なのだから」


 そうやって元気づけられようと試みた自分に、ケインはそう言い聞かせる。


 悪寒が、まるで止まらないのだ。この先に何か良くない事が起こるようで。まだ相対すらしていないのに打ちくだかれそうで。


 だから、シエラに元気づけられたと、自分も思い込む事にした。


 向かい風は未だこちらに吹き付けて来て、耳の中までき回して、音をうばっていく。


 出口に向かって進む初めの一歩をみ出した時。ピリリとほのかに辛い、しかし香辛料とはまるで違う。そんな匂いを感じ取った。





 ……





【軽癒】


 祈りの力により味方の傷を回復する。裂傷、骨折、切断された四肢の止血。


 その呪い(いましめ)は人を傷つける為では無く、人を救う為に授けられたのです──大司教 エミーリア

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