Side-A

2016年8月18日


 まるで実感のないまままどかとの交際を続けていた私だったけれど、それでもやっぱり、私はまどかと一緒にいることに喜びを感じているようで、それを客観的に見ては口元を緩めるくらいには、彼女とおの生活を楽しむことができていた。


 毎日遊ぶほどの気力は私にはなかったし、それはまどかも同じみたいだったけれど、その日私は、彼女の家に泊まることになっていた。自分で言うのも変だけれど、それなりにまどかのご両親とも仲良くなれているようで、せっかく夏休みなんだからというパッとしてよくわからないような誘いだった。


 誘われたはいいものの、流石に彼女の家に昼間から居座るのも悪いと思い、最初のうちは近場のショッピングモールを見に行ったりもしていたけれど、わりにすることも見当たらず、見たいお店も浮かばず、映画館もあったけれど、観たい映画もないままに、暑さに負けた私たちは早々にまどかの家へと向かうことになった。


 到着したまどかの家には当然ながら誰もおらず、私は少しの緊張感を持ってまどかの部屋に足を踏み入れる。部屋に立ち込める温まった空気が全身を覆うようにまとわりついて、少しだけ気持ち悪さも感じられた。滲む汗が服に吸われて、それは肌にくっついて不快感さえ感じさせる。


「冷房つけても平気?」

「うん、お願い。飲み物取ってくるね」


 胸元をあおいで確認を取りながら、私は部屋のローテーブルに置かれた空調のリモコンを手に取り、それで空調の電源を点けた。数秒が経過してそれが動き始めると、徐々に涼風が室内を巡り始めた。


「お待たせ」

「ありがとう」


 お茶を持ってきてくれたまどかに礼を言いながら、私は注いでもらったお茶を口に運んで一気にそれを飲み干す。喉元を通る液体を感じながら、深く息を吐いてようやく腰を落ち着かせると、私は再び胸元を服で煽り始める。服が汗で濡れているせいか、空調から出る風は妙に冷たく感じた。


「今日は流石に暑かったね。汗かいちゃったし、お風呂入る?」

「あー、借りられるなら、借りちゃおうかな。服も持ってきてあるし」

「うん。じゃあ、一緒に入ろっか? ……なんて」


 からかうようにそう言ったまどかに、私は笑みを浮かべて擦り寄ると、顔を近づけて返事をする。


「私は別にいいよ」


 そう告げると、まどかは顔を頬を紅潮させて目を逸らした。


「香澄って、意外とSなところあるよね」

「そう?」

「う、うん。……とにかく入ってきて! 私は、待ってるから」

「わかった。ありがとう」


 言葉を交わしてから礼を告げると、私は早速持ってきておいた荷物から服とタオルを取り出して浴室へと足を運んだ。汗ばんだ服を脱いで、そのまま汗をさっと流すようにシャワーだけを浴びると、わずか数分で浴室を出て体を拭き、私は新しい服を身に纏って部屋に戻っていった。


 私が戻るのをみてから、まどかも次いで浴室へと向かったが、彼女も短い時間でシャワーだけを浴びてきたようで、そう時間もかからないまま部屋に戻ってくると、コップにお茶を注いでそれを一気に飲み干した。


 何もしないまままどかは私の隣に寄り添うように腰を下ろすと、静かに手を伸ばしてそのまま私の手を優しく握った。静かに時間が流れて、壁にかけられた時計の秒針が進む音が、チクタクと聞こえた。時折五月蝿いバイクの音が窓の外から消えたり、子どもの甲高い声が聞こえてくる中で、私たちはキスをした。静かに唇を重ねて、それから、私たちはようやく、文字通り体を重ねて初めての経験をした。


 本当に、本当に何にもわからなかった。男性が相手なら、もっと明確にわかるものなのだろうけれど、私たちのそれはぎこちなくて、探り探りで、それでもなんとなく、なんとなくだけれど、お互いを思う気持ちは感じ取ることができて、予想以上に充足感を覚えた。それは私自身のまどかへの気持ちを再確認させてくれて、それが余計に私を安心させる。

 

 まどか自身を、まどかの心を、私は好きになったんだと、彼女という人を、人として好きになったんだと、どこか折り合いがつくような感情が湧き上がって、わけもわからないまま、ああそうか。そうなんだと内心で呟いてはそれを飲み込むばかりだった。


 そうしてお互いに果てた後、私たちは再びお風呂に入った。今度は二人だった。まだ見慣れない裸の彼女を見るのが、なぜだか無性に恥ずかしくなって、私はあまりまどかと目を合わせることができなかった。


「今日さ、私達のことお母さんとお父さんに言ってもいい?」

「え……?」


 湯船に浸かりながら、不意に放たれたその言葉は、私を困惑させた。正直言って、怖かった。それは私たちみたいな関係が、世間的には普通ではないんだと、私自身が自覚していたからかもしれない。そんな私の様子をみたまどかは、申し訳なさそうに笑みを浮かべて言葉を続けた。


「ごめん、流石に急だよね。でも私、言うべきな気がするんだ。去年には公的に同性愛が認められた地域もあるしさ。私は正直に、親に伝えたいって思ってるの」

「……わかった。いいよ。まどかがそうしたいなら、そうするべきだと思う」


 まどかに説得されるようにして、私は彼女の言葉に賛成の意を示した。


「ありがとう。ご飯食べるときにでも話そっか」

「……うん」


 小さく返事をして、私は騒ぐ胸を押さえるようにしてまどかに寄り添う。そうして数分の間湯船に浸かってから、私たちはお風呂を出て部屋に戻った。


 夕刻になると、まどかの母親は家に帰ってきて、それから數十分後には彼女の父親も家に帰ってきた。それから二時間近くが経つと、夕食の準備ができたと言われ、私たちは共に食卓へと向かった。


「二人とも、ご飯食べる前に、少しだけ話があるんだけど、いい?」

「どうした?」


 変に先延ばしすることもなく、決心した様子で呟いたまどかの声に反応したのは、彼女の父親だった。別段不安そうな顔でもなく、ただ疑問を抱くような表情を見せて問いかけると、手元に置いてある缶ビールを一口飲む。


「あのね、私たちのことなんだけど……その、付き合うことになって」


 一瞬、室内には沈黙が流れた。恐る恐る二人の表情を伺えば、二人は少しだけ驚いた様子で顔を見合わせ、そのうちに頷くと、口を開いたのはまどかの母親だった。


「そう、どうりで仲がいいと思った。さあ、座っちゃって。早く食べましょ」

「……それだけ?」

「それだけって、他に言うことある? 付き合ってるだけじゃ、祝うほどのことでもないでしょ? まあ嬉しいけど」

「嬉しいって……反対したりしないの?」


 困惑気味にまどかが尋ねると、今度は彼女の父親が口を開いた。


「気にすることでもないだろう。まどかは男か女じゃなくて、人を人として好きになるってことだ。それはすみれちゃんも同じで、反対するもんでもないからな。まあ、もしもすみれちゃんが男だったら、父親としては厳しい目で見るけど、娘がもう一人できたみたいで嬉しいな」

「もう、お父さん変なこと言わないの。ごめんね、すみれちゃん。ほら、早く二人とも座って」

「は、はい」

「わかった」


 互いに困惑しながらも、私はまどかと顔を見合わせて笑みを浮かべた。わずかに目元に浮かんだ涙に気が付いたけれど、私は何も言わずに彼女の隣に座ると、一緒に用意された食事を食べ始める。自分の両親はどうだろう。もしも私がこのことを言ったら、こんな風に受け入れてくれるだろうか。そんな些細な不安が浮かんだけれど、食卓に溢れる心地よい空気がそれを包み込んで、今だけは、それをかき消してくれて、私の口元には自然な笑みが浮かんでいたと思う。

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Pink Triangle 神楽伊織 @Knock-Q

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