Side-A

2016年4月4日


 ——新しい生活が始まる。何かを期待している訳でもなければ、今までの生活が物足りなかったという訳でもないけれど、こういうのは新鮮で、私は妙な高揚感と緊張感を覚えながら、新しい学校へと向かっていた。


 電車に揺られる中で、私の隣には同じ制服を身に纏ったまどかが座っている。会ったばかりの頃と比べれば、だいぶ仲良くなったと思うけれど、特別な関係になった訳ではない。それでもやっぱり、こうやって一緒にいると、まどかは私にとっては特別な存在なんだと思ってしまう。彼女にとって私がどういう存在なのかはわからないけれど、それに近しいものだったらいいなと思っているのは事実だった。


 こうやって仲良くなってみると、彼女は案外頭がいいみたいで、それなりに偏差値の高い進学校へ進むということを知った時は、正直驚いた。ともあれ私たちは、長い通学路をともに行き、一時間かけてこれから通うことになる高校へと向かっていた。

 学校へ近くにつれて、同じ制服を着た生徒たちも増えて来て、まるで私たちを歓迎するみたいな桜並木の途中にようやく高校の校門を見つけると、まどかは嬉しそうに駆け出した。


「すみれ、見えて来たよ! 行こう!」

「うん!」


 短い返事をしてまどかの後を追いかけ、私たちは一緒に校門を抜けて行った。掲示板に張り出されたクラス分けの紙に見入る生徒たちは、当然ながら中学校の頃とは比べ物にならないほど多かった。ひとクラスずつ掲示板に張り出された紙を流し目で見ていく中で、私よりも先に、まどかが嬉しそうに抱きついてくる。


「よかった! 同じクラスみたい!」

「ほんと? よかった」


 一緒に笑みを浮かべて、そばにいる教師に校舎の案内図をもらうと、先輩たちに案内されて下駄箱へと向かった。そこで新しい上履きに履き替えたのちに、私たちは並んで教室へと歩き始める。まだ数回しか見ていない校舎はとても新鮮で、着慣れない制服は高校生になったということを実感させてくれた。


「そういえば、まどかはやっぱり軽音部に入るの?」

「いや、入らないよ」


 教室へ向かう道すがら、私がまどかに尋ねると、彼女は考えるそぶりも見せずに即答した。彼女が色々な楽器を演奏できることも、それが素人目で見てもうまいと感じていた私にとってそれは少し以外で、私は思わずその理由を尋ねた。


「どうして?」

「多分軽音部だと、私の好きな音楽はできないと思うんだ。文化祭一緒に来たでしょ? その時にそう思って……だから私は、一人でやろうと思う。好きな曲を書いて、演奏して、最低限の生活ができるようになれればいいな」

「すごいね、まどかは」

「そんなことないよ。ただ好きなことだけをやりたいっていうわがままなだけ」


 少しだけ、それが合っているかはわからないけれど、自嘲気味に呟いたまどかの気持ちがわかるような気がした。やりたいことくらい、私にだって昔からある。けれどそれが難しいことだって成長すれば自ずとわかってくるようなもので、それがわがままだと見切りをつけてしまうのは簡単かもしれないけれど、それでも、なかなか諦めることなんてできない。いつからか、そんな考えが過ぎる度にわたしは、まだそんなことを考える歳ではないんだと自分自身を誤魔化すようになっていた。


 話しながら教室に到着すると、そこにはすでに幾人かの生徒がいて、すでに知り合いであろう人たちがグループを作って話しているのが見えた。黒板に張り出された座席順に、私たちはともに腰をおろし、入学式の時間までまどかと話していると、そのうちに先生が教室へやって来て体育館へと向かうことになる。なんの変わりようもないただの入学式は退屈だったけれど、見慣れない生徒たちのなかに見つけた島崎くんの姿は、私に香澄の姿を想起させた。


「そういえばすみれは、同じ中学の子いた? 学校に」


 入学式も終わった下校途中、まどかが顔を覗き込むようにして聞いて来た。


「何人かいたけど、別に仲が良かった訳でもないから。まどかは、だれかいた?」

「そっか。私も同じ感じだよ。ほら、私学校あんまり行ってなかったじゃん? だから本当に仲が良かったのって、本当に数えられるくらいしかいないんだ」


 後ろに手を組み、空を見上げて話すまどかは、別になんともないような顔をしていた。彼女はきっと本当に気にしていないんだと思う。好きな人、好きなことだけと向き合って、嫌いなものはバッサリと切り捨てて、そんな風にサバサバした彼女が、私は少し羨ましい。


「それよりさ、このあと用事とかあるの?」

「ないよ」

「じゃあ、うちにおいでよ! 一緒にいたいから!」


 話を切り替えるように私に笑みを浮かべて言ったまどかの言葉は、かなり素直で、私は少しばかり恥ずかしくなるのを感じた。けれど当然悪い気なんてしなくて、私がただ頷いて見せると、彼女はもう一度清々しい笑みを浮かべて「やった!」と呟いた。


 学校から離れるほどに、生徒たちも減っていき、途中の駅ではまた違う高校の生徒が乗り込んで、そうやってまどかの最寄駅に到着すると、私は彼女と一緒に電車を降りた。

 改札を抜けて、まどかの家へ向かう途中、コンビニで軽食を買っていく。学校帰りにこんなことをするのはやはり新鮮で、そのまままどかの家に上がり込むと、私はもう行きなれた彼女の部屋へと向かう。


 別段何をする訳でもない。まどかは好きな曲を弾き語り、私はそれを横目に本を読んで、一緒にいる必要なんて感じられないほどに、各々が別のことをするばかりだった。時々寄り添って、時々話をして、そうしてまた、私たちは別のことをする。まどかの家に遊びに来るときは大抵こんな感じで、仲が良いなんて言えそうにないけれど、これを退屈だと感じない限りは、きっと問題なんてない。


 しばらくの間アコースティックギターを弾いたまどかは、疲れたようにコップのお茶を飲み干すと、甘えるように私へよっかかって来る。そんなまどかに膝枕をしてあげると、そのうちに彼女は眠ってしまった。

 その可愛らしい寝顔を見ながら私は、彼女の前髪を優しく持ち上げると、おでこに短いキスをした。

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