Side-A
2016年3月11日
東日本大震災からちょうど五年が経過して、どこのニュース番組でも被災地の様子が映像で流される中、私は中学の卒業式へと赴いていた。学校へ到着すれば、どこか張り切った様子で髪型を整えた男子生徒がいて、中には既に涙ぐんでいる人もいて、私はと言えば、別段悲しくもなければ、将来の希望に進む喜びがあるわけでもなかった。そもそも実感がなかった。
ただ一つ、何か心残りがあるとするならば、香澄とは結局あれ以来何もなかったということぐらいだと思う。せめて何か、元の関係に戻るとは言わずとも、たまに話すぐらいの仲にはなりたかったのけれど、クラスも違うわけだし、島崎くんとはうまくやっているようでどうにも話しかけようとは思えなかったわけだ。
まどかとは相変わらず仲良くしているし、それだけでも十分ではあるのだけれど、やはり私にとって初恋と呼べるのは香澄に抱いたあの感情としか思えなかった。だからこそ、その淡い気持ちを仄かにでも残しておきたいと思っていた。
ともあれ、教室には他クラスの生徒も幾人か来ていて、逆に他クラスの教室へと行っている生徒も幾人かいて、それぞれが別れを惜しむように話し合う中で、私はただ一人、自分の席に座って本を読むばかりだった。
こうしてみると、改めて孤独感を覚えた。室内の喧騒の中で孤立する私には、別れを惜しむような相手など全くと言っていいほどいなくて、別段一人でいることが嫌いなわけでもないけれど、こうやって友達同士で楽しんでいる人たちをみるとどこか羨ましく感じてしまう節がある。
心のうちで孤独感を紛らわすように読書に集中しているうちに、二年生が教室へとやってきて、彼らは私たち一人一人の胸元にコサージュをつけていく。
「卒業おめでとうございます」
「ありがとう」
胸元にコサージュをつけてもらった後、その女の子は元気よく私にそういってくれた。私も去年はやったな、なんて思いながら笑みを向けて言葉を返すと、彼女も再び笑みを返して友人であろう女の子とともに教室を出ていった。
それからしばらくして、私たちは先生の指示のもと廊下に並んで体育館へと向かった。その時間が近づけば近づくほどに、私の中に卒業を迎えるという実感が芽生え始め、いよいよ入場という段階になると、安堵したような、やりきったような、妙な感覚を覚えた。
練習通りに入場していき、保護者席の間を列に並んで歩いていくと、視界の端には両親と姉の姿が映った。母は泣き、父は母の背を慰めるように撫で、姉は優しい笑みを浮かべていた。目が合うと私も小さく笑みをこぼして、席へと向かって歩いていく。ほんの数分の入場の後は、流れるように式が進んでいった。
特に問題もなく式を終える頃には、涙を流す人も増えていて、教室へ戻ると先生からの言葉もあり、さらにそれで泣き出す生徒も幾人かいた。泣けるほどの学生生活を送って来たんだと思うと、やっぱりそれは少しだけ羨ましく思えた。泣き出した生徒の一人が鼻血を出すと、それで一度は笑いが起こったけれど、これには流石に私も笑ってしまった。
やがてクラスでの集合写真を撮り、ひとまずはそれで全てが終わったけれど、やはりすぐに帰ろうとする人は少なく、アルバムに何か書いてもらおうとする生徒が多かった。
私はと言えば、先にもいった通りこれといってすることもなく、帰ろうと教室を出たのだけれど、そんな私を引き止めてくれる声が一つ——香澄の声がした。
「すみれ!」
ハッとして振り返れば、目元を赤くした香澄がそこにいた。
「どうしたの?」
尋ねると彼女は、アルバムを私に見せるようにして口を開いた。
「せっかくだから、何か書いてくれない?」
「……わかった」
少し答えあぐねたけれど、結局私は彼女の頼みを断ることなんてできずに、そのアルバムを受けとった。何を書くべきか、私に見当はつかなかったけれど、一つだけ、まどかに借りていた
CDの一曲を思い出して、私はリュックからピンク色のペンを取り出した。
『好きになれてよかった』
少なくとも、私のことを確信づけてくれたのは彼女だから、私は本心からそう書いた。そうしてその後ろには、サインがわりに逆三角形を描いてアルバムを返した。
「ありがとう。……でも、この三角形は?」
「それは、自分で調べて」
「わかった」
「それじゃあ」
ぎこちない会話をして、私は早々に帰ろうと思ったのだけれど、香澄は私の手を掴んで引き止めた。
「少し別の場所に行こう。ちゃんと、はっきりさせたいから」
「……うん」
頷くと、私たちは屋上前の踊り場まで歩いていった。当然人なんていなくて、並んで階段に腰を下ろすと、最初に香澄が口を開いた。
「私ね、やっぱり島崎くんが好きなんだ。多分、というか確実に、どっちも好きになっちゃうたちなんだよ。だからね、やっぱりすみれのことは今でも好きで、話さなくなってからも不意に思い出してはつらくなることもあった。中途半端で、情けなくて、最低だっていうのはわかるけど、最後に一回だけ……キス、したい……」
負い目を感じてか、香澄は最後の言葉をいう前に目を伏せた。ああ、やっぱり綺麗な子だな、と私は思う。ようやく乗り越えて、まどかを好きになってしまいそうな私を引き止めるみたいに、その魅力は、私を惹きつけて、香澄にすり寄った私は、そのまま彼女の唇を奪った。
甘い香りと、柔らかな唇が重なって、心地の良い安堵感を覚えた。それでもやはり、こうやって島崎くんともキスをしてるんだろうなとか考えてしまうのは、きっと私の独占欲が強いからだと思う。でもこれで一つの甘い思い出となってくれるなら、それだけで十分だった。
たった10秒の短いキスは、あの時よりも気持ちの良いもので、昼下がりの暖かい日差しとともに、体が温まっていくのを感じた。
「なんか、こうやってみると、少し恥ずかしいね」
「そんなことないよ。私は、嬉しい」
顔を赤らめて目を逸らす香澄を見つめて私がいうと、彼女はその恥ずかしさに耐えきれなくなったのか不意に立ち上がった。
「そろそろ、教室戻ろうかな……」
「うん。じゃあね。元気で」
「うん、ありがとう。成人式は絶対来てね。多分もう、会う機会なんてそれくらいしかないだろうし」
「わかった」
返事をすると、香澄は静かに階段を降りていった。その背中を見つめながら、私は自身の唇に触れて、小さく笑みをこぼす。溜め込んでいた宿題が全部なくなったみたいに、妙にすっきりとした感覚が、私にそんな表情をさせた。
見えなくなった背中を追うように階段を降りて、下駄箱で靴を履き替える。こぼれてしまう笑みを必死で抑えながら、一人帰り道を歩いた。家に帰ってから、まどかに借りたCDを流して、私は心地の良い気持ちに浸り、未だ残る甘いキスの余韻を味わった。
室内に流れる曲はPink Triangle。歌詞の意味合いは私たちの関係とは少し違うけれど、まどかから借りたCDで一番気に入っている曲だった。なんども繰り返し流れるその音楽で感傷に浸りながら、ようやく湧いて来た別れという実感に、一筋の涙がこぼれた。
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