Side-A

2015年1月1日


 年を越して時刻が3時を回る頃になると、姉が私を起こしてくれた。あまり気持ち良くもない目覚めにうんざりとしながら体を起こすと、私は服を着替えて髪を整えた。それからすぐに姉とともに家を出ると、家の前には一台の車が止まっているのが見えた。


「あけましておめでとう、二人とも」


 車窓を開けて挨拶をしたのは、姉の彼氏だった。笑顔で返事をする姉に対し、私はどんな顔をすれば良いのかもわからないまま会釈をして返す。爽やかで、きっとかっこいいのであろう彼を、私はあまり魅力的に感じなかった。どうしても、姉としている行為が頭を過ってどこか嫌な感じを抱いてしまう。幾らか話して良い人だということがわかっても、やはりその気持ちは拭い切れていなかった。

 挨拶を済ませて車に乗り込むと、透くんは運転席で後ろを振り返りポチ袋を差し出してきた。


「はい、お年玉。多くはないけど、気持ち程度に」

「よかったじゃん、すみれ」

「う、うん。……ありがとう、ございます」


 一瞬躊躇いながらも、私は透くんに差し出されたポチ袋を受け取ってバッグにしまい込んだ。


「それじゃあ、あとはすみれちゃんのお友達を拾って行こうか」

「運転お願いね、透くん」

「おっけい」


 軽い会話をして車が走り出すと、姉は透くんのスマホをいじって曲を流し始め、聞いたことのある音楽にどこか懐かしさを感じながら、私は窓の外を眺めた。夜の闇に溶ける街灯と、通り道にある神社で淡く光を放つ提灯が、鮮やかに映った。映り込む自身と目を合わせ、その後ろで流れていく景色を見つめながら、その意識は姉と透くんの会話に傾けていた。

 車内の暖かさと穏やかな揺れに心地よさを抱いているうちに、車はまどかの最寄駅に到着した。駅前にはすでにまどかが待っていて、私は少し先で止められた車を降りて彼女を迎えに行く。


「あけましておめでとう、まどか」

「うん、今年もよろしく」


 自然と溢れる笑みを浮かべて挨拶をかわし、私はまどかを車まで案内した。初対面のときもそうだったけれど、やはりまどかは人と打ち解けるのが得意みたいで、姉や透くんともすぐに打ち解けると、透くんとは音楽の話で盛り上がり始めていた。

 意外だったのは、透くんがまどかが聴くような音楽と同じジャンルの音楽を好んでいたことだった。私もまどかが教えてくれたから、会話に入ることができたし、姉も幾らか透くんに勧められていたみたいで、話題に困ることはなかった。


 まどかと合流して小一時間が経過したころ、私たちは地元でも一番標高の高い山の麓へ到着した。ケーブルカーの駅前にある駐車場に車を止め、ケーブルカーに乗って十分ほど揺られると、そこからさらに20分ほど山を登って行った。

 頂上付近にある神社には参拝者の列ができていた。私たちもその後ろへ並び、順に参拝をしてはおみくじを引いていく。当たり障りのない結果に白い息を漏らしつつ、大吉を引き当てて嬉しそうなまどかに同調し、お互いに結果を見合う姉と透くんは微笑ましくて、私は思わず笑みを浮かべた。

 視線を下げて自身のおみくじに目を通せば、そこには『待ち人近し』と書かれていて、これが誰のことなのか、私にはなんとなくわかった。それがあっているのかどうかなんていうのは、私には少しだってわからないけれど、少なくともそうであってほしいと心のどこかで希望を抱いているのは確かで、それを気づかせてくれるだけの効果が、そのおみくじにはあった。


 一通りの参拝を終えた後で、私たちは来た道を戻り、ケーブルカーを降りた場所まで帰って来た。駅前に出ている団子屋さんからは香ばしい醤油の匂いが漂い、展望台には行く人もの人がいる。遠方の空はすでに白み始めて朝の訪れを感じさせてくれた。


 後方に空いているベンチを見つけた私たちは、透くんが買ってくれたお団子を食べながら朝陽が登るのを待ち続け、吹く風に冷える空いた手を、私はポケットにしまっていた。


「きゃっ!」


 不意に冷たいものが頬に当たった。白む山向こうの空に気を取られていた私が驚いて声をあげると、右隣からは楽しそうな笑い声が聞こえ、すぐにまどかがやったことだと気がついた。


「ごめんね、ちょっとやりたくなっちゃった」

「もう」


 無邪気な笑みを浮かべるまどかに、私は少しだけ怒ったような態度をとり、そうしてポケットにしまっていた左手を彼女の頬に当て返した。


「冷たっ!」

「お返し」


 そう言って笑みを返すと、まどかもまた笑みを返してくれる。


「やっぱり寒いね」

「うん。手なんか特に……」


 まどかに言葉を返しながら、私は左手に「はあ」と白い息を吐きかけた。生温かな吐息が手のひらに伝わって行くと同時に、私の眼前にあった手は、左から伸びて来た綺麗な手に握られた。


「こうしてれば、多少はあったかくなるんじゃない?」

「う、うん」


 少し恥ずかしくなりながら、私は返事をしてまどかの手を握り返した。そのうちにまどかの温もりが手のひらに伝わり始め、白んでいた山向こうからは一層眩しい光が見え始める。山の形は逆光で真っ黒くなり、そのさらに後ろには、赤く焼ける空が見えた。


「あ、登り始めたね」

「透くん、写真撮りに行こうよ」


 姉が透くんにそう告げると、彼は笑みを浮かべて頷き、手を引かれて前へ歩いて行く。ベンチに残った私たちも、互いに前方の眩しい光に気を取られていた。

 遅れて姉や透くんの後を追い、私たちも姉に写真を撮ってもらった。ゆっくりと、ただ確実に登って行く朝日をみている時間も、私たちは手を握り続けていた。そうして温かな光が満ち始めた頃になると、心なしかあっさりとしたような感覚を覚える。不意に横を向けば、そこには陽に照らされるまどかの笑顔があって、私の視線に気がついたのであろうまどかが振り向くと、私も反射的に彼女に笑みを浮かべた。


 初日の出を見終えると、私たちは混雑するケーブルカーに乗り込んで山を下山した。終わってみればあっけなくて、年が開けたという実感すらおぼつかない。ただ、それでも何か、私自身の気持ちに変化があることはわかって、ほんの少しの期待を胸に抱いたまま、私たちは透くんの車に乗り込んだ。


「二人とも寝ちゃった?」

「うん。今日は運転ありがとう」


 まどろみの中で、姉と透くんの声が聞こえる。私とまどかは、車に揺られているうちに寄り添い合って眠りにつこうとしていた。穏やかな寝息が近くに聞こえて、私は目をつむったまま微笑を浮かべていた。


「本当に仲良いんだね、二人は」

「うん。どんな子かと思ったけど、話しやすいし、良い子だよね」

「美弥子的には安心?」

「まあね。って言っても、私はすみれの母親じゃないし、そんなこと気にするのもおかしいけど」


 目をつむり、ぼんやりと二人の会話を聞いていると、なんとなく父親と母親みたいだなと感じた。見なくても、二人の表情が柔らかいのがわかるし、時折クスリと笑うような声だって耳に入った。


「とりあえずすみれちゃんとまどかちゃんは送って行くとして、美弥子はどうする?」

「私もゆっくりしたいけど、どっちでも良いよ。透くんの家でもゆっくりできるだろうし」

「良かった、じゃあ来なよ」

「そうする」


 そうやって会話を聞いているうちに、私は完全に眠りに落ちてしまった。

 意識が飛ぶように起こされ、気がつけばまどかの家の最寄駅へと到着していた。

 どこか寂しさを感じながら別れると、今度は私を家まで送ってくれる。そうやってすぐに家に到着kすると、そこでは私だけが降りることとなり、姉は透くんの車に乗ったまま降りることはなかった。笑顔で見送られ、遠くなって行く車体を眺めながら、私は少しだけ切ない気持ちになった。

 温かな朝日に照らされる中で、吹き付ける冷たい風が、私に余計そう思わせていた。

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