Side-A-2
展望台から外に出ると、強い風が吹き付けた。結わいているまどかの髪が風に靡いて、横に揺れる。視界に広がる海はどこまでも続いていて、空を飛ぶ一羽の鳶は空中を悠然と旋回し、射す日差しは私たちの目を細める。
振り返って後方を見渡せば、そこからは来るときに見た海水浴場を見渡すことができて、そこにいる人たちは豆粒のように小さく見えた。遠い位置には一隻の小さな船が浮かんでいる。初めて観る景色に、私は唖然として立ち尽くしていた。
「いい景色だね」
「うん。すごく広い」
隣で呟くまどかに、私は視線を前に向けたまま答える。その広大な景色は、全てを忘れさせてくれるようだった。私は、空想の世界しか知らなかった。海に来たこともなければ、こんな景色を見た経験もない。自分がいかに小さな世界にいたのかということを、私は今、ようやく知ることができたような気がした。
「なんで学校休んだか、聞いてもいい?」
その問いかけに、私はハッとしてまどかに視線を向けた。優しい笑みが浮かんでいはいるものの、なんとなく、申し訳なさそうな気持ちが見てとれる。どこまでを話すべきか、私は少しの間黙り込んでしまったけれど、気持ちを落ち着かせるように息を吐くと、ゆっくりと口を開いた。
「友達と、色々あって。どんな顔して会えばいいのかわからなくなっちゃって」
「……そっか、まあだいたいそんなもんなのかなあ。私も似たようなものだったし」
「そうなんだ」
「うん。友達が友達じゃなくなった」
いじめられたのか、なんていう考えが頭をよぎったけれど、まどかからはそういう雰囲気を感じられなかった。会ったばかりでまどかのことはまだ何もわかっていないから、それに確信を持つことはできなかったけれど、その寂しげな表情は、それ以上の詮索を許していないような気がした。
「なんか、しらけちゃったね。ごめんね」
「ううん。大丈夫」
少しの沈黙のあと、申し訳なさそうに笑みを浮かべるまどかに、私はそう言った。
「ありがとう。そろそろ行こう。お腹空いてきちゃった」
「うん、私も」
それから私たちは二人で展望台をおりた。登ってきた階段を順に下りていき、人で賑わう場所に出ると、そこの一角にある食堂で海鮮料理を食べることになった。さほど余裕もない財布は、交通費も含めて大分軽くなってしまったけれど、そんなことはさして気にもならず、私たちは水族館にも行くこととなった。
水族館も一通り見終えたあと、私たちは近くの海岸沿いにあるなだらかな広い階段に腰を下ろし、海を眺めていた。別に何をするわけでもなく、ただそこからの景色を眺めているだけだったけれど、そんなときに、まどかは私に問いかけた。
「すみれ、携帯持ってる?」
「持ってるけど、今はないよ。家に置いてあるから」
「そっか、じゃあちょっと待ってね」
そういうと、まどかはショルダーバッグから一冊のノートとボールペンを取り出した。それを開き、まどかはノートにペンを走らせる。やがて何かを書き終えると、まどかはそれを手で切り取って私に差し出した。
「はいこれ、私の連絡先。せっかく会えたんだし、よかったら登録しといて」
「ありがとう」
短く礼を言って紙を受け取ると、私はそれを折りたたんでポケットにしまい込む。そこでふと、私は思い出したように質問を投げかけた。
「そういえば、どうしてあんな朝早くからあんな所にいたの?」
「ああ、それはただの偶然だよ。たまにサボるし、流石にもう両親に連絡もいってるけどさ、一応毎日行く振りはしてるの。家を出て、学校に向かって、それで無理だなって思ったら、電車に乗って、近くを歩き回るんだ。散策みたいな感じでね。それで今日はすみれの近くを通りがかったの。最初に見かけて、一回コンビニに寄って、それでも居たら話しかけようと思ってさ。そしたらまだ蹲ってたから、話しかけちゃった。迷惑だったらごめんね」
「そんなことないよ。気も紛れたし、話しかけてくれて嬉しかった」
私が答えると、まどかは「それならよかった」と安堵したように笑みをこぼす。それにつられるようにして、私も笑みをこぼし、互いに顔を見合わせて笑った。そうして互いの気持ちが治ると、まどかはゆっくりと立ち上がって私に手を差し出す。
「そろそろ帰ろっか」
「うん」
短く返事をして、私はまどかの手を掴む。どこか寂寥感を覚えながら立ち上がると、横並びで駅へ足を向けた。
まどかの家に到着したとき、時刻は五時を回っていた。しかしまだ両親は帰ってきていないようで、部屋は暗いままだった。
「それじゃあ、帰ったら連絡くれる?」
「うん、わかった。とりあえず、メール送るね」
「りょうかい。今日はありがとう」
「こっちこそ、ありがとう」
一通りの帰り支度を済ませたあと、私たちは互いに挨拶を済ませて別れた。部屋を出てエレベーターまで歩く最中、時折振り返れば、そこに立つまどかは手を振ってくれた。エレベーターに乗り込んだ時もそれは同じで、私も最後に、まどかへ向けて軽く手を振ると、エレベーターの扉はゆっくりと私たちの姿を閉ざした。
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