Side-A-1
2014年9月1日
学校に行くのが怖い。香澄は私をどんな目で見るんだろう。私は、香澄にどんな顔をすればいいんだろう。そんな不安がずっと胸の中に立ち込めてる。香澄がこんなことを悪いように言いふらしたりはしないのはわかってるけど、それでもやっぱり、不安なものは不安だ。
あの日、目を覚ませば香澄はいなくなっていて、連絡なんて当然できるわけなくて、それでも心のどこかでは彼女からの連絡を期待する自分がいて、結局鳴ることのない携帯は、ただの置物になっていた。
玄関先に立ってゆっくりと扉を開けると、残暑が私を包み込む。眩しい日差しとともそれが絡みついて、普段なら気持ちの良いような朝だけれど、今の心はそれに伴っていなかった。
通学路を歩き、学校へ近づけば近づくほどに、不安が私を襲う。徐々に心を締め付ける感覚はそれに伴って強くなり、弱い私は結局、近くの公園に逃げ込んだ。
ベンチに腰を下ろして、息を深く吐く。公園にある時計を見れば、当たり前のようにそれは進んでいき、今度は学校をサボることへの罪悪感が芽生え始める。どっちに転んでも、私はきっと良い気持ちにはならない。けれど香澄と顔を合わせる方がよっぽど怖く感じて、私は体を縮めると、うずくまるように足元へ顔を埋めた。
「大丈夫?」
不意に若い女の子の声が聞こえて、私はハッとして顔をあげた。時計を見れば、まだ十分ほどしか経っていない。
「ねえ、大丈夫?」
今度はしっかりとその声が聞こえて、咄嗟に後ろを振り向くと、そこにはポニーテール姿の女生徒が立っていた。しかしその制服を見れば、同じ学校の生徒でないこともわかる。
「だれ、ですか?」
「えー、心配してたのに、そんな疑いの目向けなくても良いのに」
「ごめんなさい」
意識はしていなかったものの、どうやら私は懐疑の目を彼女に向けていたらしく、私は咄嗟に謝った。すると彼女は明るい笑みを浮かべて、私の隣を指差した。
「隣、座っても良い?」
「……うん」
ゆっくりと返事をすると、彼女はベンチの前に回り込んで私の隣に腰を下ろした。手にぶら下げたビニール袋から、チューブ型アイスを取り出すと、それを二つに分けて私に差し出す。
「はい、食べて」
『食べる?』ではなく『食べて』という言葉に戸惑いながらも、私はそれを渋々受け取り、口に運んだ。
「学校は、サボり?」
「うん。まあ、そんなところかな……」
「もしかして、こういうのは初めてだったりするの?」
「わかるの?」
「顔に出てるよ、不安そうな表情。初めてのサボりで、罪悪感に打ちのめされてたんでしょ?」
全てではなくとも、きっぱりと言い当てた彼女は、自慢げに笑みを浮かべる。私は「まあ」と短く答えると、同調するように愛想笑いを浮かべた。
「大丈夫だよ。登校時間が過ぎちゃえば、案外あっけないものだから。心が軽くなった感じがして、もうどうでも良くなっちゃう」
「良くサボるの?」
「うん。毎日じゃないけどね。どうせ卒業できるし、自慢じゃないけど、テストの点数は高いんだよ」
そう言って浮かべた笑みからは、なんの不安も感じられない。どうしてこんな子が学校に行かないのか、私は不思議に思ったけれど、初めて会う人にそこまで踏み込む勇気はない。たとえ香澄が相手でも、私は聞けなかっただろうけど。
「そういえば名前、なんていうの? 私は工藤まどか、今は中学二年生」
「じゃあ、同じだ。私も中学二年生。三坂すみれ」
「そっか、じゃあよろしく、すみれ」
なんの躊躇いも感じられないほどに、まどかは私にそう言った。続けて浮かべる笑みにつられるように、私も笑みをこぼすと、まどかはベンチから立ち上がった。
「時計見てみ」
そう言ってまどかが指し示す時計は、すでに八時半を過ぎていた。もう朝のホームルームは始まり、今から行っても遅刻は確定。不安に思っていた気持ちは、案外すんなりと心から抜け出ていき、肩の荷が幾らか下りたような感覚を覚えた。
「本当に、呆気ないね」
「でしょ! さて、これからどうする? すみれ」
「どこか、遠くに行きたいな」
ただぼんやりと、逃げ出したい気持ちが現れたのか、私は漠然とした望みを口に出す。
「じゃあ、海に行こう! ほら、立って!」
私の気持ちを聞いたまどかは、やはりなんの躊躇いもなく目的地を決めると、すぐに私の手を掴んで立ち上がらせた。
「財布とか、必要なものは持ってる?」
「一応、お金は持ってるけど……服は?」
「ああ、それもそっか。制服だと動きづらいもんね。家には誰かいるの?」
「今日はお母さんがいるから、流石に帰れなそう」
「じゃあうちに来て、そんなに背丈も変わらないし、多分着れると思う」
続けざまに提案をするまどかの勢いは、私を動かすには十分なものだった。手を引かれ、私もその手を軽く握り返す。曇っていた心を強引に晴れやかなものにして、今だけは楽しんでみようと、私は思った。
まどかの家は、二駅先にある中学校の先にあり、通りがかった際にそこへ通っていることを教えてくれた。
近くのマンションに入って、エレベーターで五階に上り、角にある部屋に入る。そうして案内されるがままにまどかの部屋に入ると、壁にはバンドのポスターが貼られていた。部屋の片隅にはエレキギターとアコースティックギターが置かれており、勉強机にはキーボードが置かれていた。乱雑に落ちた紙切れには何かが書いてあったけれど、それを見るのは流石に忍びなくて、私はすぐに視線を逸らした。
やがて私たちは互いに服を着替え、再度駅へと足を運んだ。今まで感じたことのないような高揚感を覚え、それは私を笑顔にさせてくれる。香澄のことが全く思い浮かばなかった訳ではないけれど、絶え間なく話しかけてくれるまどかのおかげで、それによる不安はあまり感じなかった。
約二時間、電車に揺られた私たちは、海沿いの駅で電車を降りた。
改札を抜け、駅を出れば、目の前に広がるのは青い海と青い空、上空に浮かぶ雲の塊が、ゆっくりと流れていき、潮風が私たちを包み込んだ。そこから歩けば、五分もせずに海水浴場が見えて来て、そこは平日だというのに十分な賑わいを見せていた。大学生と思しきグループが多く、私たちは新鮮な景色に高揚感を覚えて、島へ続く橋を渡っていく。
「まだお昼には早いし、とりあえず上まで行こう」
「上って?」
「あれだよ、あそこにある展望台。エスカレーターもあるけど、歩きでいいよね」
「うん」
お互いに白を貴重としたTシャツと、デニムのショートパンツを履いているからか、なんとなく姉妹みたいな感覚を抱いて、無意識のうちに私たちは手を繋いでいた。
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