Side-A
2014年 7月20日
香澄が付き合っていることを知ってから、私から連絡をすることはなくなった。もう夏休みに入っているから、顔を合わせる機会なんてものはなくて、かと言って特別会おうという約束もできないまま、一週間が過ぎていた。
もうこのまま疎遠になっていくものだと思っていたけれど、香澄はその日、私を祭りに誘った。
「島崎くんは、いいの?」
「それなんだけど、兄弟が一緒に行きたがってるんだって。だから一緒に行くなら私も誰か誘っていいって言われたの。どう? 一緒に行かない?」
その提案はとても魅力的なものだったけれど、わたしは少し迷ってしまう。私だってできることなら香澄と一緒に祭りへ行きたい。その気持ちは確かにあって、それでもそこに島崎くんがいるということが、嫌だった。嫉妬という感情が、そうさせていた。
「行こう、かな」
「良かった。そしたら、四時に駅前で待ち合わせしよう」
「うん。誘ってくれてありがとう」
結局私は、香澄の提案を受け入れて祭りへ行くことにした。いつ疎遠になってもおかしくはない。それでも、私はできる限り香澄との関係を繋ぎ止めておきたかったんだと思う。
約束の時間になると、私は香澄に言われた通り駅前までやって来た。
駐輪場に自転車を置き、歩いて行くと、最初に目に入ったのは島崎くん。彼は、小学校低学年程度の男の子と女の子の手を握って駅前に立っていた。私は少し隠れていようと思ったけれど、思い切って彼に話しかけてみることにした。
「島崎、くん……?」
「ああ、三坂さん。ごめん、僕のお願い聞いてもらっちゃって。香澄は少し遅れるみたいだから」
「ううん。どうせ暇だったし」
申し訳なさそうな笑みを浮かべる島崎くんの後ろには、私の様子を伺う二人の子どもがいる。その姿がなんとなく可愛らしくて、私はつい笑みをこぼした。
「人見知りなの?」
「ああ、そっか。うん。和也と夏目。二人とも小学一年生なんだ」
「双子?」
「そう。家では元気だけど、大人とか、大きい人はまだ苦手なんだと思う」
島崎くんの説明を聞いて、私は頷く。それ以上話すこともなくなると、私たちの間には沈黙が流れた。私は気まずくなって、島崎くんの様子を幾らか伺っていたけれど、彼は一年生の頃と変わらないまま、ただ一人で遠くを眺めていた。
ただ一つだけ、和也くんと夏目ちゃんの視線だけが気になったけれど、目が合うと私は愛想笑いを浮かべて、なんとかやり過ごしていた。
それから十分近くの時間が過ぎた頃、香澄は遅れてやって来た。
「ごめんね、遅れちゃって」
「うん、浴衣——」
「——浴衣、似合ってる」
私が言うよりも早く、島崎くんが香澄に声をかける。このとき少しだけ、私は島崎くんに嫌悪感を抱いてしまった。
朝顔の花の模様が際立つ、淡い水色の浴衣は、香澄に良く似合っていた。私は再度彼女に言おうとしていたことを告げると、先に改札を抜けて行く。
電車に乗り、三駅先で降りると、ホームからはすでに祭りの様子を伺うことができた。
賑やかな喧騒。浴衣を着る若者。立ち並ぶ屋台。改札を抜けて駅前に出ると、それはより鮮明になって、はしゃぐ香澄と彼女の話に耳を傾けて笑みを浮かべる島崎くんの関係も、比例して鮮明になっていくようだった。
私は必要なかったんじゃないのか。そんなことを考えてしまう。その考えが、孤独感を育んでいき、二人が遠い存在のように思えてしまう。俯いて足元を見れば、なんの洒落っ気もない私の姿が目に写った。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
その声とともに、私の視界には二人の子どもが入ってくる。心配するような表情をみてハッとした私は、すぐに笑みを取り繕って身をかがめた。
「大丈夫だよ。ありがとう」
そう言うと、二人は笑顔を取り戻して私の手を握る。小さな手のひらの感触。まだ男のものとも女のものとも思えないそれは、柔らかく、すべすべで、暖かかった。
こんな記憶が、私にもあった。その時の私は、この子たちの立場だったけれど、私も元気のない姉を心配して、似たようなことをしたことがある。子どもというのは、それほどに敏感で、繊細な生き物なのだろうと、私はその時思った。
「行こう、お姉ちゃん」
「お兄ちゃんたち行っちゃうよ?」
「うん、行こうか」
二人の言葉に笑みを浮かべて返事をすると、私は和也くんと夏目ちゃんの手を引いて香澄たちの後を追った。
「三坂さんのこと気に入ったの?」
「「うん!」」
「そっか。迷惑はかけないようにね」
島崎くんの問いかけに、和也くんと夏目ちゃんは元気よく答えた。少しだけ、孤独感が消えて行くのがわかって、それと同時に、どこか心が温まるのを感じた。嬉しくて、ポカポカして、けれど島崎くんと話す香澄の横顔に視線を向けると、途端に切なくなって、私はとにかく不安定だった。
くじ引きや射的をやり、たこ焼きに焼きそばを食べ、わたあめやりんご飴を手に持って、私たちは祭りを回っていく。その地域で最も大きな祭りと言うこともあって、かなり長い距離を歩き回ったと思う。
予算として持って来たお金を使い切る頃には、既に七時を回っていた。夏目ちゃんは私が負ぶって、和也くんは島崎くんが負ぶって、私たちは最後のイベントとなる花火を見るために、足を運んでいた。
「三坂さん、ごめん。夏目が迷惑かけちゃって」
「うん、いいよ。気にしないで」
「すみれって子どもに好かれやすいのかな?」
「どうだろう? わからないけど、私は子どもが好きかも」
香澄の問いかけに、私はそう答えた。今まで小さな子たちと触れ合う機会はなかったけれど、和也くんや夏目ちゃんと触れ合ってみて、私はなんとなくそれがわかった。
「それで、どこで花火を見るの?」
「私とすみれで見つけた場所、覚えてる?」
「覚えてるけど……」
「島崎くんにも教えていいよね?」
「……うん、いいよ」
流石に断ることができなかった。けれど、私たちが去年あの場所でした約束を、香澄は容易く取り消すように笑みを浮かべるものだから、少しだけ、複雑な気持ちになった。
駅から少し離れたところにある小高い山、そこを登って行くと、途中で拓けた場所に出る。さほど辛くもない道のりだけれど、子ども一人を背負っていると流石に疲れてしまった。
眠っていた和也くんと夏目ちゃんをベンチに座らせて起こすと、二人は目をこすって目の前の光景に声をこぼした。
「もうすぐ花火だから、ここで待ってようね」
「うん」
「わかった」
頷く二人の頭を優しく撫でて、私もその隣に座った。島崎くんと香澄は、一つ隣のベンチに並んで腰を下ろしている。一度、二人の元を離れたかった。ずっと見ていると、心が張り裂けそうになって仕方がなかった。だから私は立ち上がると、二人の元へ歩み寄って言った。
「ごめん、私飲み物買ってくるね。少し疲れちゃったから」
「うん、わかった。花火始まる前に戻って来てね」
香澄の返事を聞いてから、私はそのことを和也くんたちにも伝えた。一緒に行くと言うものだから、仕方なく連れて行ったけれど、正直一人になりたかった。そしてこれを断らなかったからこそ、私は真に見たくないものを見ることになった。
五分もせずに山を下ったところで飲み物を買うと、私たちは再び山を登っていく。暗がりの中、携帯の明かりを頼りに登っていくと、拓けた場所に出た。先頭を歩いていた私が最初に目を向けたのは、香澄だった。覆うように島崎くんの頭が重なり、確認こそできなかったけれど、二人が何をしているのか、私にはすぐにわかった。
三秒。本当はもっと長かったかもしれないし、短かったかもしれない。立ち尽くす私の目の前で、やがて二人の顔は離れていく。暗がりで、しかも後ろからと言うこともあって、そのあとの二人の表情はよく見えなかった。ただ一つ。一つだけ確認できたのは、香澄の閉じかけた目。艶かしいそれと、風になびく髪が、ただ一枚の絵になって私の脳裏に刻まれた。
「お姉ちゃんどうしたの?」
「花火始まっちゃうよ」
「……ごめんね、私ちょっと親に連絡しなきゃいけないから、先に行っててくれる? 私もすぐに行くから」
そんな簡単な嘘で、小学一年生の子どもは容易く騙せてしまう。それが何よりもの救いだった。あそこに、私の居場所はない。気持ちの拠り所なんてものは存在しないんだと、そう感じてしまう。だからこそ逃げ出して、私はその日、花火を一目も見ることはなかった。
体の芯に響くような音が聞こえても、私は顔をあげなかった。鮮やかな光が道を照らしても、私は振り返らなかった。喧騒から逃げ出すように、夜道をただひたすらに一人歩き、帰っても尚鳴り止まない花火の音だけを聞いていた。
ベッドに潜り、目を瞑れば、香澄のあの表情が思い起こされた。それが私のものにならないという悲しみとともに、姉の時と同じで、想像したくない姿を夢想してしまう。
湧き上がる邪欲と、満たされない心を慰めるように、私はその日初めて、自慰行為をした。
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