Side-B

2014年 7月9日


「俺と付き合ってください」


 夏休みを目前に控えた水曜日。私は告白された。相手は違うクラスの武田くん。サッカー部で、それなりにモテてる子ではあるけれど、私は彼があまり好きではない。彼の中に、私は葛藤も、悩みも感じられないから。

 これは嫉妬だと思う。ただ、なんの悩みも生きている彼を見ているのは、少しだけ嫌だった。別に彼だけじゃない。友達でも、そういう子と長く一緒にいるのは、少しだけ疲れちゃう。


 当然武田くんからの告白は断った。理由を尋ねる彼に対して、私は「他に好きな人がいる」と答えた。これは本当のこと。ただ、次の問いに対しての答えは嘘だった。


「誰か聞いてもいいか?」

「島崎くん」


 名前を聞いた武田くんは、少し納得のいかない様子だったけど、しばらくすると素直に帰って行った。こういうのは今日で三回目の経験だけど、やっぱり慣れない。でもこういう時は大抵、相手の本心が透けて見えるものだと私は思う。一度だけ、その場で泣き出す女々しい人がいた。困りはしたけど、嫌な気分を抱いた訳ではなくて、むしろその気持ちが本物で、彼はすごくいい人なんだって思った。

 二回目の子は、割にあっさりしていて、次の日には別の女の子と付き合っているという噂が流れていた。

 武田くんは、どうだろう。そう思って、息を吐く。それでも歩いて行く後ろ姿は、いつもより小さく、悲しげに見えて、彼は誠実な人なんだろうなと少しだけ思った。


 先に書いた通り、自慢じゃないけど、私は中学に入ってからもう三回目の告白を受けたことになる。これが多いのか少ないのか、そこまではわからないけれど、そろそろ誰かと付き合っていることにした方がいい気がしていた。

 だからその日の夜、私は島崎くんを呼び出すことにした。


 八時頃。緊張しながらも島崎くんの家に電話をすると、若い女性の声がした。後ろでは、まだ小さな子どものような声も聞こえる。話を聞くと、この時間はいつも家を出ていると言う。それを聞いた私は、その女性に島崎くんの携帯番号を聞いた。


「もしもし?」


 聞いた番号にかけてみると、虫の鳴き声とともに島崎くんの声が聞こえてくる。こうやって聞いてみると、すごく落ち着きのあるいい声だと思う。


「同じクラスの香澄だけど、今どこにいる?」

「三丁目の神社だけど。何か用?」

「うん、まあ」


 私は電話のコードを弄りながら、彼の問いかけに答える。そうしてすぐに向かうことを告げた。島崎くんは少しだけ嫌そうだったけれど、私は強くお願いしてその場で待ってもらうことにした。

 家を出て、街灯の下を歩いて行く。車道へ出ると、車のライトがより一層明るく感じた。

 一人で夜道を歩いて十数分。彼の家がそう遠くないことは、もともとわかっていた。


「お待たせ。ごめんね、急に」


 神社の脇にある公園。地元の人は神社公園と呼んでいるそこに、島崎くんの姿はあった。ベンチに座り、何をするでもなくただ空を眺めていた彼は、私の声に反応して振り返る。月明かりに照らされる彼の姿は、その憂いを帯びた表情もあって、一枚の絵の様だった。


「それで、用ってなに?」


 問いかける島崎くんの隣に、私は腰を下ろす。恥ずかしいのか、それとも私が嫌いなのか、彼は少しだけ私から離れた。


「相変わらず不思議くんだね。こんなところでなにしてたの?」

「聞いてるのは僕の方だよ。用は?」


 問いかけを無視して話しかけたのは、少しだけ緊張していたから。緊張なんてしないものだと思っていたけれど、どうやらそれは違うみたいだった。

 島崎くんは私を一瞥した後に、再度問いかける。苦笑を浮かべて、私は少しの間黙り込んでしまった。


「珍しいね、そんな緊張してるみたいな顔」

「うん。こんなつもりじゃなかったんだけど……」

「ゆっくりでいいよ。どうせまだしばらくいるつもりだったし」


 気遣ってくれたのか、島崎くんは依然落ち着いた口調でそう言う。いつもは無愛想な彼だけど、新しい一面をみることができたような気がする。私は島崎くんの言葉に甘えるようにして、一度深呼吸をした。そうして数分間の静寂が流れたのちに、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「島崎くん、私と付き合わない?」


 その言葉に、島崎くんは少しだけ驚いているようだった。ぽかんとしたその表情も、初めてみる彼の顔。少しずつ、私の中に島崎くんの新しい一面が刻まれていく感じがした。


「僕は君に何も与えられないよ。何も、してあげられない。空っぽなんだ」

「いいよ。私も、島崎くんには何も与えられないと思うし。私、普通じゃないから」


 笑みを浮かべて答えると、島崎くんは少しだけ、安堵したように見えた。上空に浮かぶ月を一瞥して、息を吐くと空を見つめたまま口を開く。


「わかった。付き合ってみよう」

「ありがとう」

「もしも愛想を尽かしたら、こっぴどく振ってくれる?」

「わかった」


 考えていることはわからないけれど、私はそう答えるべきだと思った。

 それから私は、何をするでもなく立ち上がる。


「それじゃあ、今日はとりあえず帰るね」


 私が告げると、島崎くんも立ち上がり、静かな声で言葉をかけてくれた。


「送ってくよ」


 正直意外な対応だった。けれど嫌な気もせず、私は無言で頷く。それを見た島崎くんは、そっと私の横を歩き始めた。

 公園を抜け、境内の砂利を踏み歩く。階段を下って車道に出ると、私は揶揄う様に手を差し出した。


「手、繋ぐ?」


 そんな私に対して、島崎くんは無言で手を掴んだ。どうやら彼は、私が思っているよりも遥かに積極的らしい。


「少し意外かも」

「何が?」

「もっと恥ずかしがると思った。一緒に帰るとか、そういうのもないと思ってたから」


 会話の最中、車が不規則に横を通り過ぎていく。車のライトが私たちの影を映し出し、それは前から後ろへ流れていった。


「できる限りしてほしいことはするつもりだよ。僕にはそれくらいしかわからないから、何かあったら言って欲しい」

「そっか。……そういえば、家に電話したとき、子どもの声が聞こえたけど、兄弟居たんだね」


 頷き、思い出した様に話を切り替えると、島崎くんは少しだけ切なげな表情を見せた。しかしすぐに笑みを取り繕うと、彼は口を開いて私に告げる。


「いるよ、五歳の弟と、三歳の妹が一人ずつ」

「すごい年の差だね」


 驚いた様子で、返事をすると、島崎くんは気まずそうに笑みを浮かべた。


「理由はあるけど、今話すべきではない気がする」

「聞かないけど、抱え込まない様にね。話したくなったら話してくれればいいし。私も、秘密がないわけじゃない」

「うん、ありがとう」


 礼を言う彼に、私は微笑み返す。手を引く島崎くんの横顔は、やはりどこか切なげで、そんな彼のことが私は気がかりだった。それと同時に、利用しようとしている私の中には、小さな罪悪感が芽生え始めるのがわかった。

 この時間家に居ないのは、家族のことと何か関係があるのだろうか。そう思って、私は彼を支える様に手を強く握った。それがせめてもの、贖罪だと思った。

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