Side-B

2014年 7月7日


 もう随分と前から、私は仮面を被っている。自分を偽って、生きている。中学に入り、ちらほらとカップルができてきた頃、そんな中で私が好きになったのは、すみれだった。

 その気持ちは思っていたよりもさっぱりとしていて、私の中にストンと何かが収まるような感じがした。けれどそれが普通じゃないことも知っていて、異常者の私は周囲に紛れるように仮面を被るようになっていった。父はテレビにでる性的少数派の芸人を気持ち悪いと言い、母はそれに対して何も言わないまま、ただ同調するように笑みを浮かべるだけ。そんな環境が、きっと私にそうさせていたんだと思う。

 自分を偽るのは、それほど難しいことでもなかった。ただ明るく振舞っていればそれで良かったから。友達と恋話をする時には、適当に顔の良さそうな男子の名前をあげていれば、それで良かったから。こうやって人に合わせてしまうのは、きっと母親の遺伝。


「今日、うちに泊まっていかない?」


 私が言うと、すみれは嬉しそうにそれを了承してくれた。両親は結婚記念日で旅行へ出かけているし、二人きりのお泊まりはこの日が初めてだった。

 すみれは本ばかり読んでいて、交友関係はさほど広くない。それでも彼女の優しげで、控えめな笑みを、私は知っている。それを独占できているような感覚が、私にとっては心地の良いものだった。もしかすると私は、依存性の高い人なのかもしれない。


 学校へ登校し、下駄箱で上履きに履き替える。教室前ですみれと別れると、私は自分の教室へと足を運んだ。


「おはよう」


 席に座って準備をしながら、私は隣に座る島崎くんに挨拶をした。彼はいつも通り、窓の外を眺めたまま、私のことなんてまるで気にしていないかのように、短い返事をしてくれる。すみれもそうだけれど、こういう、取り繕わない相手は私からするとかなり好印象だった。

 静かで、大人しくはあるけれど、鈍臭くもなければ、頭が悪いわけでもない。顔もそこそこ良いと思うけれど、そんな性格だからか、女子からはあまり人気がなかった。

 根暗そう。もっと元気のある感じだったらなあ。そんな風に友人たちは言うけれど、私からすれば、彼氏というのはこうやって静かに側にいてくれる方が良いと思う。実際、私が身を潜めるために異性と交際をするならば、私は迷いなく彼を選ぶつもりだから。


 これは自意識過剰かもしれないけれど、私に好意を向けていそうな男子も一人だけいる。なんとなく、彼はがっついているからそれがわかっていた。それから逃れるためにも、私は島崎くんに告白することだって視野にいれていた。


 放課後。私はいつものようにすみれと下校し、彼女と別れてからは一人帰路を歩いた。

 家に到着すると、適当に片付けをして、借りておいた映画を準備する。しまいこんでいたボードゲームなども一応出して、部屋着に着替えた私は本を読んですみれを待つことにした。


 すみれが家に来ると、用意していたボードゲームで遊び、それが終わると各自で本を読む。特段一緒に何かをするわけでもないけれど、それこそ、こういう方が付き合っているみたいで私は好きだった。ただ一緒に過ごしていることを感じられるのが、私は好きだった。

 すみれの様子を伺うように、私は時折彼女の方へ視線を向けた。紙の擦れる音が、静かな部屋に響く。紙を捲るその指先が、俯いた横顔が、斜陽に照らされて、時折垂れ下がった髪を耳にかけるその姿が、私の目にはとても綺麗に映った。


「どうしたの?」


 私の視線に気がつき、ゆっくりと顔をあげてすみれは尋ねる。その笑みが、堪らなく好きだった。レンズ越しの瞳が綺麗で、それを通して彼女の目から私はどう映っているのだろうかと、少しだけ気になった。


「晩御飯、どうする?」

「何か作ろうか?」

「良いの?」

「うん、香澄が良いなら。……勝手に材料使っちゃうことになるけど」


 少しだけ申し訳なさそうに、すみれは言う。もちろんそれを断ることなんてせず、私が喜んで了承すると、早速台所へ向かった。


「何作るの?」

「オムライス、で良いかな?」

「うん、任せる」


 私の返事を聞いて、すみれは早速調理に取り掛かった。冷や飯が残っていたから、ご飯は炊かずに、手際よく料理を進めていく。耳にかけた髪が、ゆっくりと垂れ下がっていき、食材を切る音が、心地よく響いた。

 その料理姿に感心した私がすみれを見ていると、彼女ははにかんで呟いた。


「ちょっと、恥ずかしいかも……」

「ご、ごめん。向こうで待ってるね」

「うん」


 彼女の返事を聞いて、私はソファに腰を下ろす。テレビを見るわけでもなく、ただそこに寝そべった。台所から聞こえる音に耳を済ませて、その姿を想像した。

 人参を切る音、玉ねぎを切る音、コンロの火を点ける音、油を注ぎ、熱したフライパンに材料を入れると、焼ける音が聞こえて来る。それとともに、徐々に香ばしい匂いが漂ってきた。

 その作業の中で、すみれはきっと、時折耳に髪の毛をかけ直しているのだろう。そんな姿を想像して、私は思わず笑みをこぼした。それはすみれの癖であり、私が一番好きな彼女の仕草でもあったから。


 しばらくして、すみれの足音が近づいてきた。私が体を起こすと、彼女はエプロンの紐をほどきながら私に声をかける。


「お待たせ、できたよ」

「うん」


 できた料理を二人で食卓に運び、それを二人で食べた。初めて食べるすみれの手料理は、オムライスも、ポテトサラダも、コンソメスープも、そのどれもが美味しくできていた。

 すみれはきっと良いお嫁さんになるんだろうなと、そんなことを考えて、その相手になれないことが、少しだけ悔しく思えた。


 すみれの料理を食べた後、私たちは一緒に食器を片付けてお風呂に入った。私の誘いで一緒に入ることになったけれど、すみれは最初、恥ずかしそうにしていた。

 気持ち悪がられるような、そんな不安もなかったわけではない。それでもすみれなら大丈夫だという信頼を、私は抱いていた。この調子で本当の自分もさらけ出せれば良いのに、そんなことは、到底できそうになかった。


 お風呂に入ったあとは、すみれと一緒に映画を観た。私は映画が好きで良く観ている。形は違えど、小説を好むすみれと仲良くなったきっかけも、ここにあった。そんな彼女と過ごす夜は、絶対に映画を観たいと思い、予め借りておいた。

 原作は海外の恋愛小説で、すみれは読んだことがあると言った。これだけは失敗してしまったと思ったけれど、映画を観終わった時、私たちは互いに満足した表情を浮かべていた。

 いくらか映画の感想を語り合ったのちに、私は好きな人がいるのかと、すみれに尋ねた。深い意味はない。ただ、そこに幾らかの期待があったのは確かだった。しかしすみれは、笑みを浮かべてこう答えた。


「いないよ。香澄は、いるの?」


 聞き返された時、咄嗟に出たのは島崎くんの名前だった。今までそうしてきたように、私は反射的に異性の名前をあげていた。すみれにそれを言うのは初めてで、なぜか恥ずかしくなった。条件付けされたみたいに、私は他の子と話をするみたいに、普通の女子になりきっていた。

 思ってもいないのに、好きなはずがないのに、私はまるで本当に島崎くんが好きかのように話をした。

 すみれは「応援してるね」と言った。それが少しだけショックで、それ以上は何も言えなかった。


「そろそろ、寝よっか」

「うん」


 沈黙を破ってそう言うと、すみれはただ頷く。二人揃ってベッドに潜ると、リモコンで部屋を真っ暗にした。私に背を向けるすみれは、今何を考えているのだろう。そんなことを考えて、急にすみれが遠くなったような感覚を抱いた。

 寂しさから逃れるように、私はすみれの背中に体を寄せて、背中から手を這わせた。私と同じシャンプーの香りが、鼻腔を擽ぐる。動かした足が、すみれのふくらはぎに触れる。それは少しだけひんやりとしていて、気持ちよかった。

 這わせた手ですみれの手を捉えた時、私は小さく呟いた。


「少し恥ずかしいけど、私、すみれと友達になれて良かった」

「うん。私も」


 答えるすみれは、やはりこちらを向かない。気持ち悪いと思われているのだろうか。そんな不安が私を包んだけれど、密着した身体だけが唯一、私に安心感を与えてくれた。

 一瞬、すみれの身体が小さく震えたのがわかった。それがなぜなのか、私にはわからなかったけれど、その震えは、私にすみれの淫らな姿を夢想させた。

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