Pink Triangle
神楽伊織
Side-A
2014年 7月7日
この日は私の中で、とても大きな一日となった。本当の私に気がつく、言わば人生の分岐点みたいなもの。それまで曖昧だったものが確信となって、それは同時に私を追い込み始めた。
きっかけは大したものでもない、友人の一言だった。
「今日、うちに泊まっていかない?」
その一言が嬉しくて、私は即答してしまった。
香澄の家に泊まることが決まると、学校が終わるのもとてもあっという間に感じた。放課後は一緒に下校し、帰った私はすぐに準備を済ませて家を出る。荷物が詰め込まれて膨らんだリュックをカゴに入れると、私は香澄の家へ向かい始めた。
香澄の家に到着したとき、彼女の家には両親がいなかった。香澄の話によると、両親は結婚記念日で旅行に行っているということだった。
そんなわけで、テレビゲームやボードゲーム、一緒にいるのにただ本を読むだけだったり、ただ持て余した時間を私たちは潰すことになった。何をしても、私は香澄といるだけで十分に心が満たされていくような感じで、気がつけば陽は落ちていた。
夕食は私が作ることになり、メニューはオムライスとオニオンスープ、それに加えてポテトサラダも作った。
「ねえすみれ、一緒にお風呂入ろう」
「恥ずかしい、かな……」
香澄の提案を私は断ったけれど、最終的に私は彼女の押しに負けてそれを了承する。夕食を食べ終えて食器を片付けると、私たちは早速二人でお風呂に入ることになった。
「すみれ、胸大きくていいなぁ」
脱衣所で香澄は、私の体を見てそう言う。恥ずかしさで胸を腕で覆うと、私は彼女の体を見て返事をした。
「私からすれば、香澄の方が羨ましいけど。線が細いし、身長だって私より高いから」
「隣の芝生はなんとやらってやつ?」
「そうかも」
一瞬ぽかんとした表情を浮かべると、香澄が自慢げにそう言う。私は笑みを浮かべて返事をすると、香澄よりも早く浴室に足を踏み入れた。ひんやりとした床が足に触れて、湯船の蓋を開けると、そこからは湯気が立ち昇る。順番に体を流し、二人で湯船に浸かると、そこからはお湯が溢れていった。
互いの体が触れ合って、お湯とは違う、何か別の暖かさが私を包み込んでいくのがわかる。高鳴る胸の音が、香澄には聞こえていないだろうかと、私は少しだけ心配になった。
それと同時に、私の心には確かな不安が立ち込める。普通の中学生は、友人と一緒にお風呂に入るだけで、こんなにも胸が高鳴るものなのか。恋というものをしたことがない私にとって、それは理解し難いものだった。
それでも、この感情が恋なのではないか。そんなことを、私は心のどこかで感じてしまう。しかし、そんなことは誰にも認められないような気がした。何よりも、それを言ったら香澄に嫌われてしまうような気がして、それが私の胸を酷く締め付けるようだった。
一緒にお風呂に入った後、私たちは香澄の部屋で映画を観ることになった。彼女は映画が好きで、私は本が好き。よく小説が映画化されたりするけれど、そういう部分から、私たちは仲良くなった。
今回の映画も、もちろん原作は海外の恋愛小説で、私はすでに読んでいたからストーリーを大まかに把握していた。ネタバレなんかはするつもりなんてなかったけれど、それでも香澄がこれでもかと釘を刺すものだから、私は思わず笑ってしまう。
原作を忠実に再現した映画は、やはりいいものだった。想像とは少し違う部分も多少はあったけれど、うまく昇華されていたような感じがする。
映画を観終えた後、私と香澄は揃って一息。吐いた息が重なると、私たちは顔を見合わせて笑みを浮かべた。
多分だけど、香澄も私と同じ気持ちを抱いていたと思う。私の場合は、良い小説を読み終えた後に感じることが多いけれど、形容し難い喪失感みたいなもの。そういうのを、香澄は感じていたんだと思う。
思わずため息が溢れちゃうような作品は、私の中ではかなりの名作として記憶されるんだけれど、今回の映画ももちろんそのうちの一つになった。
「こんな良い映画観たの、久しぶりかもしれない」
「私も原作は読んでたけど、やっぱり名作はいつでも名作として残るものだよね」
「——すみれは、好きな人とかいるの?」
不意な質問が、私を少し動揺させた。映画を観るために薄暗くした部屋。エンドロールが流れ、その明かりが私たちを照らし出す。映画の余韻に浸る私の隙を突くような質問に、私は少しの間何も言えなかった。
「すみれ?」
再び名前を呼ばれて、私はハッとして顔をあげる。顔色を伺うように覗き込む香澄の顔が近くて、私はどうにかなってしまいそうだった。
その気持ちを悟られないように、私は笑みを取り繕って平然とした態度で答える。
「いないよ。香澄は、いるの?」
聞くべきじゃなかったかもしれない。それでも、好奇心の方が勝った。香澄はどんな人を好きになり、どんな恋をするのか。もしかしたら、私と同じような葛藤を抱えているかもしれない。そんな薄い希望が私の胸の中にはあって、その小さな灯火をかき消すような答えは、割にあっさりと香澄の口から溢れた。
「島崎くん」
「え?」
思わず聞き返してしまった。横を向けば、少し俯いた香澄が頬を紅潮させていた。それはまるで絵に描いたような、恋する乙女。その対象が私ではないという実感とともに、私は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
聞き返した私に、香澄は照れ笑いを浮かべて言い直す。
「島崎くんが、好きなの」
「そう、なんだ。香澄なら大丈夫だよ」
これはきっと私の自己防衛。思ってもいないことを口に出して、自分の気持ちを悟られないようひた隠しにして、心に潜む私をただ黙り込ませる。それが私の自己防衛なんだと思う。
香澄のあの横顔を観たとき、私自身の気持ちに確信を持った。だからこそ、こうして理性にも及ばない、勝手な自己防衛が働いたんだと思う。
「ありがとう」
「うん。私、応援してるね」
礼を言う香澄に、私はそう言った。ただの日常になるつもりだったのに、どこかで掛け違えたボタンに気がつけないまま、私は思いもしない、けれどどこかで感じていた自分の気持ちに気がつくこととなってしまった。
すでに時間は11時を回っている。この薄暗い部屋で、私がもし香澄に気持ちを伝えようものなら、彼女は一体、どんな反応をするだろうか。ムードに押されて付き合ってくれるだろうか。私に幻滅して、家から追い出すだろうか。色々な考えが脳裏を過ぎって、私はそれが顔に出ていないか心配で仕方がなかった。
「そろそろ、寝よっか」
「うん」
恥ずかしさからか、急にしおらしくなった香澄は、沈黙を破ってそう提案した。私も自分の気持ちを悟られないよう、早く今日が終わって欲しかった。
同じベッドで身を寄せ合ったとき、香澄は私の背中にそっとくっついてくる。手の感触が伝わって、足先が私のふくらはぎに当たった。吐く息はうなじを擽り、体に添わせた手が私の手を優しく捉える。
「少し恥ずかしいけど、私、すみれと友達になれて良かった」
「うん。私も」
——友達。その言葉がひどく私の心を痛めつけたけれど、それでも良かった。私はとにかく、彼女との関係を続けていたかった。正直に言えば、このとき、私は初めて身近な人に性的な欲情を覚えたと思う。
はっきり言って、香澄と交わりたいと思った。キスをしたかった。抱きしめて、互いの温もりを感じあい、それこそ、溶けて混ざり合うような感覚を味わいたかった。身につけたばかりの知識が、私にそんな感情を抱かせた。それほどに、香澄のことが好きだったから。
空いた手でそっと恥部に触れたとき、僅かな快感とともに、そこが少しだけ濡れているのを感じた——。
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