第2話 縦の目


 この遺跡に暮らしていた人々は、どこへ行ったのだろう。

 砂の海の中で忘れられていこうとする遺跡に立つとき、ヒロアキはいつも考える。

 城壁や建物の跡。持ち出されなかった食器、装身具の類。さびついてもうその用途を果たさない剣や武具。

 生活していた痕跡を残したまま、人々はどうしてこの地を去らなければならなかったのか。戦乱で故郷を追われ、散り散りになったのか。干ばつで耕地が荒れ、新天地を求めて旅だったのか。それとも、もっと他の理由で流浪の民に身をやつしたのか。

 はるか以前は栄えていたはずの都市の廃墟を目にし、そこに古代の人々の往来を幻視するたび、ヒロアキは同じ問いを胸に浮かべ、切ないほどその問いに対する答えを希求する。遠い時代、世界のどこかへと消えていった人々の背中を、探し求めたいと願う。

 胸の奥がキュッと締まるような、いつもの感覚を味わいながら、ヒロアキは博物館の調査で訪れている遺跡の片隅にたたずんでいた。先程まで窮屈にかがんでの作業に没頭していたため、背を反らすと腰が痛い。まだ日は高く、少し離れたところには発掘を続ける同業者や、現地の研究者が見えた。

 ヒロアキは腰をのばすと、遺跡の中を歩き始めた。

 日本にいた頃から様々な文献でその名を調べ歩き、訪れたくてたまらなかった遺跡だ。両目の部分が飛び出している、異形の仮面が見つかった謎の遺跡。この遺跡についてわかっているのは、ある時期までは立派な城壁を備えた大きな都市だったことと、そのある時期を過ぎた途端、都市から人々が消えたことだけだ。

 消えた民については、以前から研究者たちの議論を呼んでいる、同時代のある記述があった。

『その目は、タテなり』

 曰く、その民の王は、目が縦であると。

 『タテ』とは一体どういうことなのか。

 極端な吊り目で、まるで目が縦に開いているように見えたということなのか。この地方には額に紋様を描く風習のあることから、王の額には第三の眼が描かれており、その目が『タテ』であったという説もある。

 しかしその後遺跡で発見された青銅の仮面が、有力な新説を生むこととなる。その仮面の目は棒のように飛び出しており、まさに『タテ』だったのだ。

 まさか三次元に『タテ』だとは思いもしなかったので、どうしてその発想がなかったのかと当時の研究者たちは悔しがったに違いない。この遺跡に暮らしていた人々は、縦目の神を信仰し、その仮面をかぶった王を神の代理人として崇拝していたと考えられる。だが、ヒロアキには一つ引っかかることがあった。

 考え事をしている間に、遺跡のはずれまで来ていた。空を見上げると強い日差しが目に飛び込んで、ヒロアキは急に立ちくらみを起こして座り込んだ。

 熱射病、という言葉が脳裏をかすめ、今は熱中症というのだっけと場違いなことを考えたとき、日差しが遮られた。

 ヒロアキが頭を上げると、そこには小さな子供が彼を見下ろして立っていた。逆光で、その顔はよく見えない。不意に真っ黒な顔の下半分に穴が開いた。そこから白い歯がのぞいたので、ヒロアキはそれが口だと気づいた。

 風がヒュウッと音を立てて吹く。

「お前はここに何をしに来たの」

 ヒロアキは、今の声が本当に目の前の子供から発せられたものなのかと疑った。その声色はまるで老人のように低く、口調だけあどけないのが不気味だった。

 やっと目眩がおさまったヒロアキは、立ち上がってズボンに付いた砂を払った。子供は立ったままじっとしている。

「君はここの子供かな?」

 そう尋ねてから、現地の子供も、遺跡調査の海外研究者の子供も『ここの子供』に含まれることに気づいた。子供は素直にうん、とうなずき、再びヒロアキに問いかけた。

「お前はぼくらの聖地を壊しに来たの?」

「僕は日本の博物館の学芸員だよ。ここには調査をしに来たんだ」

 聖地? そして、ぼくら? 他に誰かいるのだろうかと辺りを見回したヒロアキは、先程まで周囲で作業していた研究者たちが誰一人見えなくなっていることに気がついた。乾いた風の吹き渡る廃墟には、ヒロアキと子供の二人だけしかいなかった。

「ねえ、お前には、あんなに栄えていたこの都市がどうして滅びたかわかる?」

「僕には……でも、他の地域からやってきた民族に征服されて、ここは壊滅したと言われている。暮らしていた人々は、戦乱の中で殺されたり逃げたりして、ばらばらになってしまったのだと……」

「お前は、彼らがどこに行ったのか、知っているね」

「え?」

 なぜ断定口調なのか。確かにヒロアキには、周辺地域の文献にたびたび現れる流浪の民族が、いくつかの特徴から、消えた民族ではないかと推測していた。しかしそうだとすると、ある一点が食い違ってしまうのだ。

「彼らは、文献の中では直眼と呼ばれていた……楽器の演奏や舞いをしながら旅をする、本当に小さな集団だったらしい。でも、消えた民は彼らではないのかもしれない。直眼の民の信じていた神は、縦目の神ではなかったんだ」

 どうしてこんな異様な状況で、見ず知らずの子供にこんな話をしてしまっているのだろう。我に返りそうになったとき、子供が強い力で腕を引いたので、ヒロアキはつんのめった。

「こっちにおいでよ。自分の目で見ればいい」

 子供の指さす先でヒロアキが目にしたのは、地中の穴と、そこに乱雑に放り込まれたらしい、縦目仮面や祭祀の道具だった。どれも割られたり焼かれたり、ひどい壊され方をしている。数千年の時を経ているというのに、破壊者の強い憎しみが伝わってくるようだった。

「そう、こんなふうにどこも徹底的に破壊されていたから、この都市は征服されたのだろうと言われてきたんだ。特に、縦目の神を祀った神殿の被害はひどかった」

「ここは砂漠に飲まれてしまったんだね」

「征服される前から、この辺りは砂漠化が進んでいたらしい。完全に砂漠になってしまって、征服民もここを捨てざるを得なくなったんだ」

「縦目の神は、彼らを助けてくれなかった」

 その声のあまりの冷たさに、ヒロアキは灼熱の太陽の下だというのに冷や汗をかいた。

「神に見捨てられた人々は、どう思っただろうね?」

 この子は一体何なのだろう。明らかに普通の子供とは違う存在に訝しさと恐怖を覚えつつ、研究者としてのヒロアキは、冷静に子供の言葉を吟味していた。その裏には、何か途方もない秘密が隠されているような気がした。ヒロアキがずっと追い求め続けた問いに対する答え。この子は、それを解き明かす鍵を持っているのだろうか?

 頭がガンガンと痛む。いよいよ熱射病かもしれない。ここに水があれば、一気に飲み干すのに。

 砂漠に飲まれる寸前だったこの遺跡の人々も、こんなふうに苦しんだのだろうか。雨の気配すらない真っ青な空を仰いで、信じていた縦目の神に見捨てられたと思っただろうか。

 破壊された神殿。真っ二つに割られた縦目仮面。流浪の直眼の民。神に捨てられた人々。その目はタテなり。

 乾ききった喉が痛んだ。太陽は照り続ける。砂の海で溺れかけながら、人々は訪れない救世主を恨んだだろうか?

 顔を上げた瞬間、太陽光線が眼窩から頭蓋骨の奥までをかち割ったような錯覚に目がくらみ、途端、その光の矢が謎までをも貫いたような気がした。

「そうか、征服者なんていなかったんだ! この都市は最後まで、縦目の神を奉じた民のものだった。彼らが神を捨て、都市を捨て、自分からここを出て行ったんだ」

 ズキズキと脈打つ頭の痛みが、鼓動の速さを教えていた。心臓の高鳴りのあまりほとんど吐き気を感じながら、ヒロアキは答えをつかんだことを確信した。

「砂漠に取り巻かれるなか、助けの手を差し伸べてくれない神に絶望した人々は、神殿を叩き壊し、神具を踏みつけ、縦目仮面を割って、この遺跡を去っていった。直眼の民はやはり、縦目の神を捨てたこの遺跡の人々だったんだ」

 頭の中では鐘が打ち鳴らされ続けており、ヒロアキは上手く息が吸えなかった。

 しかし、一つの疑問が湧いた。

「消えた民がそうだったとしたら、なぜ、彼らは直眼と呼ばれ続けたんだ……?」

 直眼も縦目も同じ意味だろう。しかしヒロアキの仮説に従えば、流浪の民はすでに縦目の神を捨てていた。それにも関わらず、何が彼らを『直眼』と呼ばせていたのだろう。

 ふと、ヒロアキは、子供がこちらに背を向けたままなのが気になった。そう言えば、この子の目は何色だっけ、と思う。黒だったか、茶色だったか。さっきから何度も見ているはずなのに、と考えて、一度も見ていないのではないか、と思い至った。そんな馬鹿な、と打ち消しても、その考えが胸を這い上がる。

 なあ君、と声をかけようとした直前、子供が振り向いた。


『その目は、タテなり』


 目が縦だったのは、消えた民自身だった。

 ヤギの横一文字の瞳孔をそのまま縦にした、非人間的な瞳がヒロアキを捉えた。ヒロアキは悲鳴を上げることもできず、射すくめられたようにその目を見つめた。子供の口元が徐々に吊り上がっていき、完璧な三日月型の笑みを形作る。その瞬間、子供はクルッと背を向け、走り出した。

「あ、待って」

 追いかけようとしたヒロアキは、踏み出した足がふらついて、そのまま倒れこんだ。降り注ぐ日光に突き刺されて、頭が割れそうだ。冷や汗が止まらない。

 この地に伝わる伝承を、ヒロアキは思い出していた。妻のない縦目の神は、しばしば人の子を欲した。神に捧げられた彼らは不老不死を得て、生贄でありながら神の子として人々にあがめられたという。

 縦一直線の瞳孔と、弧を描いた笑みが浮かぶ。人々が縦目の神を信じなくなったあと、彼らはどうしたのだろうか。崇拝してくれる民を失った彼らは。

 白くかすんでいく視界の中に、ヒロアキは、遠ざかる小さな背中を見たような気がした。


 白昼、遺跡の片隅に熱中症で倒れ、現地の病院に緊急搬送された日本人の青年は、遺跡で得た着想を元にして発表した論文で、その後注目を浴びていくことになる。

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