41 ~ 50
●41
……旦那は震える手で酒をついでいたそうだ。その手を叩いて、丸めてあった手配書を広げて旦那に突きつけた。
「そら! 10万ドルの賞金首だよ!」
それから及び腰の旦那を引っ張って外に出ると、ジョーはもう事切れていた。死んだらただの死体だ。もう怖くない。
「そら、首だよ首!」おかみさんは作業小屋から二人で両端を持つノコギリを持ち出して、イヤイヤする旦那に片側を持たせて「10万ドル! 10万ドル!」と呪文みたいに繰り返しながら刃を左右に動かした。
木は切りなれているが人は切ったことのない旦那は涙を流したり吐きそうになりながら頑張った。何とか首がもげたので、家にあった野菜袋に詰めた。朝になるまでおかみさんは「10万ドルだよ!」と興奮して寝れず、旦那は「人の……首を……」などとシクシク泣きながら言って寝れなかった。
朝になったので、ぐったりしている旦那の操るしょぼくれた馬の背中に乗って、家を出た。書いてある住所の「ヘンリーズ」は廃屋のようでこんなところに人がいるもんかね? と思ったが、気配はしたので声をかけた──
そんな話を、旦那の不甲斐なさへの文句と共に、この5倍の分量で喋られたのである。
俺たち6人はぐったりした。寝起きに何十分も、どでかい声でこんな話を聞かされたら軍隊だって保安官だって俺たちみたいにくたびれ果てるはずだ。特にトゥコはまるっきり死人の顔をしていた。
話が終わったので、ゲッソリやつれた面持ちのブロンドが「それじゃあ、首を見せてもらえるか」と言った。
えぇ見せるよ、見せますとも! そこらにあった丸テーブルを片手で引き寄せて袋を置いて口をあけて、手を突っ込んでズルッ、と中身を出した。何の躊躇もない動きだった。
「うぉっ!?」トゥコが悲鳴をあげた。
「まさか!」俺も続いた。
一番近くにいたブロンドや他の連中は驚愕の表情で首を見ているだけだった。
正直、このおかみさんの話は信じていなかった。話そのものにくたびれていたこともあるが、なんせ手配書をばらまいた翌日、朝イチの、一人目の、生首ひとつ目だ。それがいきなりジョーの首なわけがない、と高をくくっていた。
だがそれは……ジョーの首だった!
「そら、手配書の顔の奴だろう?」おかみさんは俺たちのツラを見ながら得意気に言った。「あたしは目がいいんだからね!」
●42
「さぁ、10万ドルよこしておくんな!」
おかみさんは将軍並みに堂々とした態度で首をドン、とテーブルに置いた。目を閉じていて、皮膚が少し垂れて老けて見えたが、確かに奴の顔だ、と思えた。首になると人相が変わるとも言う。
だが俺たち6人の中に、ある種の躊躇が生まれていた。なにせこれは、朝イチの、一人目の、生首ひとつ目なのだ。それがいきなりジョー本人の大当たりだなんて、信じがたい。
作りものかもしれない、俺はそう疑った。
町だか村で手配書を手に入れる。手先の器用なとこでもって、粘土かなんかで一晩かけて首を作る。
いくらならず者だって、生首を触ったり持ち上げてみたりはしないだろう、田舎者の浅知恵でそう考えて、手作りの生首で俺たちを騙そうとしているのではないか? いや、だが、しかし。
あんまりにも悩みなく首を引っつかんでテーブルの上に出したキモの太さだって、考えてみれば怪しいような気もする。
おいおかみさん、と俺は言った。
「その首、改めさせてもらっていいかい?」
「ああ、いいよ! 触ってごらんな!」おかみさんは即答した。
あまりに早い返事だったので面食らったが、こう返されては触らないわけにはいかない。
トゥコやウエストやダラスの「本気か?」みたいな顔、モーティマーやブロンドの「よく確認してくれよ」と言いたげな表情につつかれながら俺は椅子から立ち上がり、首の前へと移動した。
つん、と血の臭いがした。
皮膚は、確かに人間のそれと同じだ。これが作り物だったらこのおかみさんか旦那は一流の作り手に違いない。やはり本物の、人間の首にしか見えない。
「そら、触ってごらんよ」おかみさんが俺に向かって二重になった顎をしゃくる。
俺がこわごわと、右手を上げて、人さし指と中指の先で、「ジョーの首」の頬っぺたに、触れかけたその瞬間──
「すまんがねぇ!!」
ドアを勢いよく開けて爺さんが入ってきた。
ボロを着て、見るからに酒で身を持ち崩したような姿で、酒で体を壊したらしい肌が真っ黒だ。
「ジョー・レアルの首を持ってきたんだがね! ここでいいのかい!!」
おかみさんに負けぬでかい声が飛び出してきた口の中には、歯が数本しか残っていない。
爺さんはでかい布で、まるっこいものを包んでいた。それを両手でぶら下げている。
それはちょうど、人の首くらいの大きさだった。
●43
「どういうことだい?」
「どういうこったね?」
おかみさんと爺さんが揃って眉を寄せて、俺たち6人の顔をかわるがわる見つめる。
「どういうこったろうな?」
許されるものなら俺たちも2人にそう言いたかった。だが俺たちは首を求めた側であり、この状況を考える側だった。
テーブルの上には、ほとんどうり二つと言っていいジョーの首が、仲良く並んでいた。
最初のは少し皮がたるんでいて、あとのは頬が削げている……ような気がする。だがそんなものはちょいとしたきっかけで変化するものだ。数日間飲まず食わずで逃げてから死んだ、とか。
人の顔ってのは、毎日毎時間同じじゃない。寝起きと寝る前じゃ違うし、悲しい時と怒っている時でも違う。
しかし基礎となる顔は、顔の作りは共通しているはずだ。この2つの首はたるみだの頬だの、まずは無視できそうな部分を除けばまず間違いなくジョーの首だった。
だが今は、その無視できそうな部分が問題になる。何せそっくりな首が2つ並んでいる。作りものじゃない。本物の生首。どちらも触ったからわかる。
ダラスがブロンドに近づいて、何か話しこんでいる。内容を当ててみよう。「どういうことだろう?」「わからない」だ。
モーティマーは怖くないのか、椅子を近づけて美術品の品定めみたいにじっくり2つを見比べている。
トゥコは俺の後ろのウエストの後ろに隠れて、遠く2人越しに首を見ていた。
「オバケだ」トゥコの呟きがかすかに聞こえた。悪くない考えだが、朝の6時ってことを忘れているし、俺たち6人と女ひとり、爺さんひとりに、この首は確かに見えている。これはオバケではない。
宿無しの爺さんいわく、この「ジョー・レアル」は、ねぐらにしている町のゴミだめに倒れていたらしい。脇腹から血を流して。
尻を拭くのにいいと集めて持っていた手配書の顔だった。残酷なことはしたくなかったが、体ごと引きずっては来れない。かと言って10万ドルを見逃す手はない。嫌々ながらねぐらの中にしまってある「いっとうデカい刃物」で首を切って、「いっとうデカい布」で包んで持ってきた、という。
「あんた方さ、あたしにはこの首がそっくりに見えるんだけどね?」おかみさんが言うと、
「そうだなあ、わしにもこりゃあ、同じ人間に見えるんだけどな?」爺さんが言葉を継ぐ。
まるで娘と父親みたいに息が合っていた。
と、長くブロンドと話し込んでいたダラスが、おもむろに咳払いをして2人に歩み寄った。
●44
「そうですなぁ! これはとても、そっくりに見えます!」
育ちのいい人間の口調になっている。学校の先生といった調子だろう。
ダラスは太ってはち切れんばかりのチョッキの、胸の両ポケットに両手の指を入れて、もう一度エヘン、と偉そうな咳払いをした。
「実を言いますと、これは私たちの手落ちでして……。ご存じですか? ジョーには兄弟がいるんですよ!」
へぇ! おかみさんは言った。へぇ! 爺さんも合わせた。
客人が背を向けているのをいいことに、俺は露骨に顔を歪めて、向こう側にいるブロンドに視線を送った。お前、ダラスと何を話した?
ブロンドは大きな目をグリッと開いてこっちにやってから、小さく首を振った。まぁ、聞いておけ。
「これはあまり知られてないことなんですが、ジョーは兄弟で暴れていたそうで……しかも、顔がそっくりだそうなんですなぁ」
「はじめて聞いたねぇ」おかみさんは腕を組む。
「……俺様もはじめて聞いたぞ」いつの間にか俺の横まで来ていたトゥコが眉を寄せている。「ダラスはどうでっち上げるつもりだ。あいつで大丈夫か?」
確かに奴は早口ではない。ウソをつくのにも慣れていない。しかも「ジョーには兄弟がいる」なんて頭から爪先まで真っ赤なウソとなればなおさらだ。
だがトゥコにも、俺たちにもないものを持っている。
「まぁ私も噂で聞いただけなんですが、そのそっくりな顔でもって、神出鬼没の八面六臂、いろんな土地で盗っ人仕事をやっていたそうですよ」
シンシュツキボツもハチメンロッピも、この中年女と爺さまに通じるとは思えない。だが、それらしさは出る。
「今必要なのはお前の『上手さ』じゃないんだ。なるほどと思わせる『貫禄』なんだと思うんだ」
「…………今は太っちょの奴が主役か」トゥコは口をへの字に曲げた。
●45
「こっちに出たと思ったら、あっちに出る。えー、保安官もその、かなり、目を回したそうですが……」ダラスはつっかえながら頑張っている。
「以前と違って、近頃は馬車やら銀行をやたらと襲ってたしなぁ」爺さんが言う。
「そうそう、そうなんですよ!」それがダラスの助け船になった。「いろいろあって、神出鬼没作戦はなしにして、とにかく荒稼ぎすることにしたらしい。まぁ、噂ではありますがね……」
「昔は善人だったのにねぇ」とおかみさんがしみじみと言う。「今や殺しも平気でやるんだから」
「そうそう……私らもまぁ、褒められたもんじゃありませんが、最近のジョーはあんまりひどいと。そんなわけで、えー、グループの『長男』のジョーを、やっつけてしまおうと思ったわけですな……ところが手配書に、顔がそっくりな次男がいるのを書くのを、忘れてしまったと……」
なるほど、と俺は思った。まずこの場を収める。首を持ってきた奴らを納得させて帰ってもらう方に話を進めようと、そういうわけか。
「なるほどねぇ。ってことは、このどっちかが長男で、どっちかが次男ってことになるのかい?」
「そうです! その通りで……それでですね、残念ながら、私たちがかけた10万ドルは、長男だけにかけられてるもので……」
「じゃあおれかこのおばさんのどっちかは、運び損ってことになるのか?」爺さんが不快な顔で腰に手を当てた。
「そうだよ! 運び損、首の切り損じゃあないか!」
「で、ですから! 次男の件はこちらのミスでしたので、お詫びに、10万とはいきませんが、それなりの金額をご準備して…………」
「おいあんたがた!!」
ドアの方で男の声がしたので全員がそっちを見た。
郵便局員の格好をした、立派な髭をたくわえた中年の男が立っていた。
手に大きな、薄茶色の布袋を持っている──人の頭くらいの大きさの。
「賞金首のジョーを届けに来たぜ!」
俺は熱でも計るみたいに額に手の平を当てた。本当に熱でも出そうだった。
とんだ間の悪さの、とんだお届け物だった。
●46
郵便局員の男は「へへへ!」と笑って店内に入ってきた。「ビックリしてやがるな! 無理もねえ、こんな朝一番に、賞金首のお届けなんだからな!」
ダラスの大きな体で、郵便局員の側からは2つの首が見えないようだった。太めの体も案外役に立つ。
「ちょいとアンタ、そこのアンタ」おかみさんがそばにいる奴に尋ねた。「ジョーってのは三人兄弟なのかい?」
爺さんもウンウン頷きながらそいつを見た。
これがウエストだったらうろたえていたろうが、そばにいた奴がモーティマーだったからよかった。
奴は真っ黒い帽子のツバに開いた小さな穴に指をつっこんでからおかみさんを見て、何も言わずに眉を上げて首を傾けた。
白髪混じりのヒゲに、年齢を感じさせる肌の色合い、それに鋭い目つき。そんな奴が眉を上げて首を少しだけ傾けるので、イエスともノーともとれる態度に見えた。
おかみさんと爺さんは何とも言えない、納得したようなしていないような顔で頷いた。
実はモーティマーは、単に無口なだけなのだ。今のだって「さあな?」程度の意味しかない。それがあの顔だと、妙な説得力が出る。
郵便局員に2つの首が見えていないことを察したブロンド──入り口の一番近くにいた──が、そばにあったテーブルを持ち上げて郵便局員の前に出す。
「奥に行く前に」険しい顔で郵便局員に言った。「ここで一度中身を見せてもらえるかな?」
首が3つ並ぶ大混乱が起きる前にひとつ、クッションを置くつもりらしい。そのクッションがどれだけ役に立つかわからないが……。
男はようがすよ、と自信たっぷりに告げて、ジョーは昨日の晩にね、家に忍び込もうとしたとこを俺が……云々と喋りながら、ちょっとだけ奥のダラスたちに不審の目をやりつつ、テーブルの上に袋をゴツン、と置いた。
……音が変だった。
人の肉の音ではなくて、もっと硬いものの音だ。
ブロンドと郵便局員は一度、「音が変だ」と言いたげに顔を見合わせて、それから同時に袋に目を落とした。
ブロンドが手早く袋の口を開く。中身を見た。眉間に深くシワが寄った。
「なんだこれは?」そのまま袋をひっくり返す。「ふざけてるのか?」
●47
ごろん、と出てきたのは人の首…………くらいの大きさの、よく熟れたオレンジ色のカボチャだった。
「そ、そ、そんなバカな」郵便局は口ごもりながら慌てふためいた。
「た、確かに昨日俺は、家に入った賊を、ジョーを……。さ、さっきまでは首だったのに……」
ブロンドが例のすごい顔になりかけているのにおじけづいて、郵便局員は目を泳がせた。
「うるっせぇやいこのバカヤロウ!!」
しばらく黙っていたトゥコが俺の脇から飛び出して、郵便局員の尻を短い足でいやと言うほど蹴り上げた。
郵便局員が飛び上がって何か言おうとするのをさえぎってトゥコは畳みかける。
「こんな小細工にもならねぇ細工で10万ドルせしめようなんざとんでもねぇ野郎だ! このバカタレ!」
そう言ってもう一回尻を蹴る。さっきまでダラスにお鉢を奪われていた腹立ちまぎれもあるだろう。
「おめぇはとんでもねぇ詐欺師だ! 俺たちがアホだからホイホイ10万ドルくれると思ったかそうはいかねぇこちとら西部イチの賢さだ!」
三度目に尻が蹴られて、郵便局員は泣きそうな顔になりながらドアの方へとヨタヨタ歩みはじめた。
「帰れこの嘘つき! 家に帰ってポックリ死んじまえ! 死なねぇなら俺が殺してやる! バッカヤロウ!」
スイングドアを力なく開けて、立派なヒゲもしょんぼりしおれて見える郵便局員は外に出ていった。ドアが開いた瞬間、自転車が見えた。あれに乗ってきたのだろう。
「帰れ帰れ帰れ! そのオンボロに乗ってよ! ……そら忘れもんだ!! 頭の代わりにこれをつけとけ!!」
トゥコはテーブルの上のカボチャをひっつかんで外にぶん投げた。わっ、と悲鳴がしてカボチャが地面に落ちて割れたかと思ったら、猛スピードで自転車の漕ぐ音が遠ざかっていった。
「このカボチャ野郎!!」
我慢していた感情を一気に爆発させたトゥコはゼイゼイ言いながら肩で息をしていた。
おかみさんと爺さんを含めた俺たちはその勢いに圧倒されて、ただトゥコを見ているだけだった。
普段の呼吸を取り戻したトゥコは、ハッと気づいたようにドアに向かっていき、外を覗いた。
「どうした?」ブロンドがまだぼんやりとしながら聞いた。
「いや……もったいなかったかな、と思ってよ……」トゥコは答えた。
「カボチャが…………」
●48
呆然とその様を見ていた俺たち5人とおかみさんと爺さんの虚をつくように、トゥコは言った。
「まぁその、ああいう輩も来やがるもんだから、慎重に丁寧に、首を確認せにゃならんのよ。なぁっ?」
笑顔を作ってダラスの顔を見る。さっきの話の続きを促しているのだ。そう、この混乱の直後なら丸め込めそうだ。
「…………は。えぇ! そう、そうなんです…… お二方には失礼かもしれませんが、この首もどちらかが他人のそら似ということも、あり得なくもないわけで」
「そんなバカな。こんなにそっくりなのに、他人ってこたぁ……」爺さんが口を挟む。
「そこで、そこでなんです」ダラスは両手の手の平を二人に見せた。タネも仕掛けもございません、みたいな仕草だ。
「明日にですな、ジョーの側近で、長く一緒にいた者が、首を確認しに来る予定なのですよ」
「……そんな奴がいるのかい? あんな悪い奴の仲間が……」
「いやいや、まさにそのジョーの悪さに嫌気がさして逃げ出した男でしてね……遠くに逃げているのを私らが見つけて、呼んだんですよ」
「俺らにはほら、横の繋がりってもんがあるからよ!」トゥコが真っ赤なウソを補足する。「どういう野郎かはちょいと教えられねぇんだがな!」
「もちろんこの首のどちらかがジョーで、どちらかが弟ということもありえます。むしろおそらくそういうことになりましょう。その弟の首を持ってこられたお二方のどちらかには、お詫びがてら、えー…………」
ダラスは芝居がかった動きでブロンドを見た。ブロンドは指を2本立てる。
「2000ドル! 2000ドルを後日、お支払いします──いや、あまりお出しできなくて申し訳ないのですが……」
おかみさんと爺さんは顔を見合わせた。そりゃあそうだ。 10万ドルは信じられないような大金だが、2000ドルもかなりの大金だ。信じられる程度にはでかい金額なのだ。
「いや……そういうことなら……あたしも数日くらいなら待つよ……?」
「わしもまぁ、二日くらいなら……」
「そうですか! 結構ですな!」
ダラスは聞こえるか聞こえないかくらいにぱしん、と手を叩いてから、揉み手した。銀行員をやっていた頃もこの調子で喜んでいたに違いなかった。
「実は今日ここには、10万と2000ドルは置いてないのです。銀行に預けてありまして、このような事態にならなくとも、お渡しは明日以降ということになっておりましたもので……大金を手元に置いておくには、物騒な世の中ですから……」
重たくも軽やかな足取りで、奥のテーブルにいく。そこにあった奴の唯一の持ち物、カバンを開けて、中から紙の束とペンを出した。
「さ、ここに預かりのサインを……!」
その紙の差し出し方、ペンの向け方も、いかにも手慣れた様子だった。
このダラスという男は1年と少し前、俺たちが襲った馬車に乗っていた。
その襲撃で何人か死んだのだが、ダラスは生き残って、俺たちの仲間になった。
襲った相手が仲間になる。襲われた奴らの仲間になる──おかしな話だと思うだろう? 俺たち5人もダラスも不思議に思っているのだが、縁ってのは妙にカッチリ噛み合うことがある。その時の話をしてみよう。
●49
…………小さくも立派な馬車が、だだっ広い赤い土の荒野を駆けて来る。
4人乗りだが中にいるのは3人のはずだ。上にも荷物をぎょうさん着けて重そうだ。さほど急がず走っている。揺れる荷物が2人の馭者の背中に当たって、居心地が悪そうだ。
「見えるか?」俺は聞いた。
「見える」モーティマーが短く答えた。
高くも低くもない丘の上に寝そべって、頭だけを出して俺たち2人は左から走ってくる馬車の横っ腹を眺めていた。
不用心だ。あんな馬車を持ってるカネのある奴なら、護衛の馬の2頭くらいつけておいてもよさそうなものだ。いや実際、先月まではつけていた。
「何事も起きないから、もう結構、だとさ!」護衛をやっていた男は酒場のカウンターでそうこぼした。「何か起きないように俺たちがいるってのに!」
「そうかい……そりゃあケチくせぇ、ろくでもない雇い主だなぁ……ほらもう一杯やんな……」
こう囁いて「ふわふわする酒」をさらに差し出したのがトゥコだ。
「まったく、半端な金持ちってのは始末に負えないよな」俺はトゥコの反対側にいて、怒りに薪をくべてやる。
元・護衛殿は酒を一気にあおって、「まったくだ」と呟いた。
「でかい銀行の偉いさんのくせしてな」
でかい銀行。
トゥコの瞳がクッ、と輝いた。俺は目でそれを諌める。
「そうだな、銀行なんてのはケチなもんだ」
「あんたも本当に災難だったよなぁ、ちゃあんと立派な銀行なら、太く長く雇ってくれてたはずなのに。そのぅ、さっきあんた、なに銀行って言ったかね? そのケチな銀行……」
「ホークス銀行」
ホークス銀行。
あの、でかい銀行か。
俺は色めき立ったが、今度はトゥコが俺を目でたしなめる番だった。
「そこのジョン・ダラスって偉いさんさ、俺をクビにしたのはな!」
ずいぶんとふわふわになった元護衛は、毎月いつごろ、どのあたりを、どんな馬車で通るのかまであらかた教えてくれた。
「いやぁ、イヤな目に遭っちまったなぁ。可哀想だなぁあんたも」
トゥコは若干ふらつく元護衛の背中を叩きながら励ます。その目は全然、同情していない。
「おぅいご主人、この人によ、あの棚の、左から三番目のやつを一杯やってくれ。そうそう、その馬のマークのやつ……」
トゥコはグラスを受けとってから、俺にウインクして見せた。
「さっ、こいつは極上の酒でな、なんもかんとパーッと忘れっちまう、すごくいい代物なんだぜ……」
●50
「さて、やるか?」俺はモーティマーに言った。
「やろう」奴はやはり短く答えた。
モーティマーが「指そぎ」と呼ばれる所以を、俺はその時はじめて目撃した。奴の脇の、特等席──
「少し下がってくれ。すぐ脇だと気になる」
──の、斜め後で。
馬車からこの丘までは結構な距離がある。100ヤード……大人の脚で、ざっくり100歩分くらいか。
ライフルを出して体勢を整える。いつもは眩しそうに細められている目が、少しだけ大きく見開かれた。
──馬が、丘の正面にやってきそうになった、その直前。
モーティマーは呼吸を止めて、微動だにしなくなった。
石のように、死んでしまったように動かない。まばたきもしなかった。
ただ人さし指が、引き金に触れそうな一本の指だけが、ジリジリとじれる虫のように震動していた。
馬車が丘の真正面に来た、その瞬間。
ドウッ、ドウッ、とそばで2度、爆発音がした。
直後に100歩向こうで起きた光景に、俺は言葉を失った。
馭者が2人とも、自分の片手を押さえて馬車から落下したのだ。
モーティマーは奴らの頭ではなく、馬でもなく、手……いや、指を狙ったのだ。
手綱を掴んでいた指だ。目を細めてどうにかして見ると、馭者の一方は落ち方がまずかったらしくぐったりしているが、もう一方は片手でもう片方の手の、中3本の指を押さえてジタバタしている。
指だけを落としたのだ。この距離で。
これがこいつのやり方だった。標的の手や指だけを執拗に狙い、命はほとんど狙わない。もっとも、ぐったりしている馭者のように運の悪い奴もいるが。
馭者を失い、己を縛っていた手綱がクシャクシャに絡んだ馬2頭は、暴走を始めた。
「よし」モーティマーはあくまで静かに言う。「うまくいった」
俺は息をついた。呼吸を忘れていたらしい。
「あんたが“指そぎ”と呼ばれてる理由を実感したよ」俺は言った。「走る馬車の馭者の指を──」
「無駄口はいい。それにその呼び名は、実は苦手でな。理由は──わかるだろう」
モーティマーは一瞬切なそうな色を瞳に浮かべた。
「悪かった」俺は素直に謝った。「……あとはブロンドたちがやってくれるかどうかだな」
「やるさ」モーティマーはまた短く言う。「奴らはやる」
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