第18話 本当の願い

 早朝、小鳥の鳴き声で目が覚めた。ベッドから降りて窓を開けば、まだ空は夜の色。冷たく爽やかな空気を胸いっぱいに吸い込んで吐き出すと、体全体がすっきりとして気持ちが引き締まる。


 港町の朝は早く、耳を澄ますと威勢のいい声が聞こえてきた。この時間帯は漁から戻って来た船が魚を降ろしている。メレフが早起きなのも、ここでの生活に合わせているのかもしれない。


 賑やかな朝食の後、屋敷の主人であるエフィムと三男のジェイは港へと出かけて行った。今日は珍しい船が入港すると聞いて興味を持ったものの、女嫌いの船長が乗る船なので着いて行くことはできなかった。


「今日もよろしくお願いします」

「いいのよ。頭を下げたりしないで」

 厨房で私が頭を下げるとエミーリヤがいつも困り顔で止めてくる。それでも私は感謝の思いを伝えたい。


 私とゾーヤはエミーリヤに料理を習っていた。様々な料理がある中で、薄く焼いた卵に包んだオムライスがメレフの一番の好物と聞いて何度も練習を重ねている。


「そろそろいいと思うわ」

「はい!」

 油を引いて十分に熱したフライパンの中に溶き卵を流し込み、過不足なく広げる。トマトや玉ねぎ、鶏肉を入れて炊いた米を卵の端に盛って、深く息を吸いこむ。もう何度も練習した。次こそは成功させたい。


 貴婦人としての生活の中では、絶対に持つことの無い重さを感じながらフライパンを揺すり、木へらを使って黄色い卵で米を包む。テーブルに置かれた皿にひっくり返し、素早く形を整える。


「出来ました!」

「素晴らしいわ! 綺麗に出来たわね!」

 薄く焼いた卵は破れていないし、中身もはみ出していない。とても美しいオムライスが出来た。この料理はヴァランデールに召喚された異世界人から伝わったと聞いている。リゾットが流行り始めた最近まで米を食べることのなかった我が国には似た料理もなく、想像もできないものだった。


「マリーナ様、素晴らしい技です!」

「ありがとう!」

 息を飲んで見守っていてくれたゾーヤと二人、抱き合って喜ぶ。これまで、何度失敗を繰り返したのかわからない。


 二皿目、三皿目も上手く焼きあがり、嬉しさは隠せない。子供のようにはしゃいでしまっても、ここでは誰も咎めないし自由な空気が心地いい。


「きっと一人で作ることもできるわね」

「ありがとうございます。エミーリヤの丁寧な指導のお陰です」

 心の底からそう感じる。優しくても的確な指摘が、私の成長を促してくれた。


「違うわ。きっとそれは愛する人の為だからよ」

「……」

 エミーリヤの優しい笑顔へ素直に返せなかった。メレフと離婚しようと決意してここに来たのに、私はメレフの好物を習い覚えている。自分の行動がちぐはぐであることに気が付いてしまった。


「私……」

「マリーナ、自分の気持ちに素直になった方が楽よ」

「でも……。私は……」

 メレフが一番大事だから、傷つけたくなくて離れようと思った。義父に海を見てくるようにと言われてエミーリヤに会って。……私は何をしているのだろう。


「マリーナ、二人で庭を散歩しましょうか。ゾーヤ、鍋の火加減をお願いするわ」

「はい」

 

 エプロンを外しエミーリヤと並んで庭の小道を歩く。庭は子供たちが熱心に世話をしていて草花が瑞々しい。


「ねぇ、マリーナ、人は間違うものよ。私は昔、愛ではないものを愛だと信じて間違っていたの。当時は騎士だったエフィムがそれを教えてくれて、助けてくれた」

 エフィムとエミーリヤの幸せな姿からは、過去にどんな間違いがあったのか全くわからない。


「それでも私は自分の間違いに気がつけなくて、考えを変えるまで長い時間がかかったわ。その間、ずっとエフィムが私を護ってくれていたの」


「愚かでエフィムに迷惑を掛け続けていた私と違って、貴女は自分で間違いに気が付いた。それはとても素晴らしいことなのよ。うらやましいわ。貴女にはまだまだ時間があるでしょう? 過ぎ去った失敗は戻せないけれど、これからやり直せばいいのよ」


「やり直しはできないと思います。……私を見る度に、メレフはきっと心を痛めてしまうでしょう……」

 本当に愚かなことをしてしまったと思う。メレフの心の傷を抉るような計画だったとは想像もしなかった。


「メレフ本人には聞いた?」

「……『気にしなくていい』と」


「本人がそう言ったのなら、それでいいんじゃないかしら?」

「……それは、私が寝込んでいたからで……」


 突然、庭に小鳥の鳴き声のような軽やかな音楽が響き渡って流れていった。

「何の音ですか?」

 この屋敷はエフィムが魔法を掛けて護っていると聞いた。異変があると音楽が鳴る仕組みが構築されている。


「これは警告音ではなくて来訪者を告げる音よ。……ほら、貴女の騎士が迎えに来たわ」

「え?」

 振り向くと、地面に青く光り輝く円の中に複雑な図形が描かれていた。エミーリヤに背中を押され、私は図形の近くで立ち止まる。


 外国の文字のような紋様が浮かんでは消え、図形の中央の空気がゆらりと動いて、光の粒が人の形を作っていく。現れたのは金髪に青い瞳のメレフ。青紺色に金の装飾が施された騎士の正装。その姿は、お伽話の中にしかいないと思っていた魔法騎士そのもので凛々しく美しい。


 笑顔はなく、緊張した表情でメレフが近づいてきた。

「馬鹿だ馬鹿だと思っていましたが、本っ当に考え無しの馬鹿ですね」

 ばさりと音を立てて、私の頭に白い薔薇の花束が乗せられた。花びらが風に舞う。


「……トゲは取ってあります」

 口を引き結んだメレフの耳が赤い。

「いえ、そうではなくて……これは……」

「特に理由はありません」

 即答されてしまった。……白い薔薇を贈る意味をメレフが知らないはずがない。花束を胸に抱き、メレフと見つめ合う。


「でも……メレフが好きなのは……」

 優しいエミーリヤ。音に出来なかった言葉をメレフは読み取った。


「……それは昔の話です。幼い子供にありがちな憧れの感情です。……後で説明する時間を下さい。ここでは落ち着いて話せません」

 そう言ってメレフが視線を横に移動させた。その視線を追うと青い小鳥が羽ばたいている。


『僕のことは気にしないでいいよ! ほら! やっと会えたんだから、抱擁とか、熱い口づけとか! こう、ぶちゅーっと!』

「小鳥が……」

 途方もなく下品なことを言っているように聞こえる。


「マリーナも声が聞こえますか?」

「ええ」

「昔、貴女が王城庭園で助けた小鳥です。紹介は後で」

 そう言われて、思い出した。あの小鳥は助かっていたのかとほっとする。メレフがぱちりと指を鳴らすと小鳥の姿は消えてしまった。


 メレフは私の肩を抱き、エミーリヤの方へ向き直った。

「エミーリヤ! お元気でしたか? 妻がご迷惑をお掛けして申し訳ありません」


「ありがとう。全員元気よ。マリーナには、いろいろ手伝ってもらったから、とても助かったわ」

 エミーリヤに対するメレフの挨拶は少年のように明るい。妻と呼ばれ、肩を抱かれることに喜びを感じながらも、見たことが無かった表情が新鮮でエミーリヤに少し嫉妬してしまう。


 どたばたと階段を駆け降りる音が屋敷の外まで響き、勢いよく扉が開いた。

「あ! やっぱりメレフ兄さんだ! 久しぶりー!」

 三人の子供たちが駆け寄ってくると、それぞれと手を打ち合わせて挨拶をする。その間も私の肩を抱く手は離れない。


「結婚、おめでとー! すげー美人で驚いたよ!」

 騎士志望のヴィタリーが、気さくな言葉でメレフに話し掛ける。私に対する騎士のような言動とは違って、子供らしい笑顔が可愛らしい。


「うらやましいだろう?」

 そう返したメレフの意地悪な少年のような横顔に驚く。

「うわっ! ムカつく! 俺だって、いつか〝騎士の誓い〟を捧げる姫を見つけるんだ!」

 ヴィタリーが顔を真っ赤にして、ぎりぎりと歯噛みしている。


「ヴィタリー、ダンスが出来ないと騎士にはなれないぞー」

「え? それは……」

 騎士になる為にダンスは必要ないはず。……そういえば、メレフは義父に騙されたと言っていたと思い出した。メレフはヴィタリーを騙そうとしているのか。


「今、ゾーヤにダンスの相手をしてもらってるから、もうすぐ習得するっ!」

 それは全然知らなかった。

「ほう。馬には乗れるようになったし、後は剣の稽古だな」

「もちろん! 今度こそメレフ兄さんを倒すからな!」

 

 片手で私の肩を抱き、片腕にぶら下がる双子のルスランとロジオンの相手をし、口ではヴィタリーと軽口を言い交すメレフは生き生きとしている。


「ほらほら、挨拶はそれくらいにして、朝食は食べた?」

 エミーリヤが笑いながらメレフに声を掛ける。


「いえ。まだです」

「ちょうど、オムライスがあるからすぐに食べられるわ」

「いただきます」

 それは私が作った料理だと言い出せないまま、食堂へと向かう。メレフは慣れた様子で上着を脱いで椅子の背に掛け、剣を壁の剣掛けへと置く。


 メレフに促されて隣の椅子に座っているとエミーリヤとゾーヤがオムライスとスープを運んできた。オムライスは冷えていて、作りたてではないことが気になる。


 食事の祈りを終え、メレフはスプーンでオムライスを食べ始めた。

「味はどう?」

「美味しいです」

「それ、マリーナが作ったのよ」

 あっさりとエミーリヤが教えてしまった。驚いたのか、メレフの手が止まってしまった。


「ご、ごめんなさい。あの、その……」

 どう返答すれば正解なのか迷っているうちに、メレフが猛然とオムライスを食べ始め、あっと言う間に食べきった。


「とても美味しいです。もう一皿いただけますか」

「は、はい」

 もう知られてしまったのだから、隠すことはない。立ち上がった私は厨房へと向かい、先程作ったオムライスをメレフに差し出す。


 空になった皿を見るだけで嬉しさが湧き上がってくる。私が作った三皿を綺麗に食べ終えて、メレフが笑う。

「美味しかったです」

 明るい笑顔が眩しくて、頬が熱くなっていく。見つめ合っていると、メレフの耳が赤くなっていった。


「メレフ兄さーん。耳が赤いよー」

「本当だー」

「メレフ兄さんに弱点……発見……」

 三人の少年の声で、食堂には二人きりではなくて他に人がいたことを思い出した。


「お前ら……よし! まとめて面倒見てやる」

 立ち上がったメレフが素早く双子を捕まえて、ヴィタリーと並ぶ。その身長差から見ても勝敗は明らか。


「メレフ兄さん、今度は俺が勝つからね!」

「えー。無理無理ー」

「僕は学者になるから……剣は……」

 メレフは両手に双子をぶら下げてヴィタリーと扉の外へと出て行ってしまった。取り残された私は、どうしていいのかわからない。


「食後の運動だそうよ。食べてすぐっていうのは初めてだけど」

 この家では恒例行事的なものらしい。食器を片付けて洗っていると、窓の外から賑やかで楽しそうな声が聞こえる。


「楽しそうですね」

「そうね。昔から、いつもあんな感じよ」

 ここでは貴族という階級に縛られることはない。メレフも自由な空気が心地いいと思っているのかもしれない。


 メレフの明るい笑い声が聞こえるたび、胸が温かくなる。花瓶に活けた白薔薇を見て、頬が熱くなる。……私の本当の気持ちは、メレフと一緒にいたいということ。


 優しいメレフの言葉に縋っていいのだろうかと迷う気持ちもある。どうやってやり直したらいいのか、正直言ってまだわからない。


 昼食を挟み、メレフと子供たちの剣の稽古は続いた。メレフは木製の模擬剣を、利き手とは反対側に持って相手をしている。


 夕方にエフィムとジェイが戻ってくると、夕食はさらに賑やかになった。

「メレフ兄さん! 独り占め反対!」

「早い者勝ちだって、お前がいつも言ってるだろ? ジェイ」

 メレフが抱え込んでいるのは、私がエミーリヤに教えてもらいながら作った肉団子料理の皿。


 ジェイとメレフが大人げない争いをする中、主人であるエフィムが横から肉団子をつまんで口に入れた。

「エフィムにはエミーリヤの作った料理があるでしょう!」

「メレフの好みはどんなものかと思ってな」

「ちっ。仕方ありません。少しだけ分けますから手でつままないで下さい」

 エフィムとメレフは歳の離れた兄弟のように似ていて、血の繋がりはないはずなのに家族のように見える。


「食事中に喧嘩しないの! マリーナが作った料理が他にもあるわよ」

「マリーナ、どれですか?」

 皿を抱えたメレフの真顔に耐え切れず、私は声を上げて笑ってしまった。貴婦人としてあり得ない行為なのに、楽しくて止められない。


 目を丸くしたメレフも声を上げて笑いだし、ゾーヤも皆も笑い始めて夕食の席はさらに賑やかで楽しい空気に包まれた。


 夕食が終わるとエミーリヤがメレフに問いかけた。

「今日は泊っていく?」

「いえ。いつもの宿屋を予約しています」

「じゃあ、マリーナも一緒ね。ゾーヤはうちで泊まればいいわ」

「はい」

 エミーリヤの言葉にゾーヤが笑顔で頷いて、メレフに布袋を手渡した。


「メレフ兄さん、おやすみー」

「おやすみ」

 メレフは私の肩を抱き、エフィムやエミーリヤ、子供たちと挨拶を交わす。 


「それじゃあ、また明日。行こうか、マリーナ」

「は、はい」

 何がどうなっているのか理解できないまま、私はメレフに連れ出された。

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