第13話 薔薇の奪還

 離縁を決意してマリーナに打ち明けたはずなのに、逆に引き留める結果になってしまったことに戸惑っている。


 子供のような……まっすぐな視線が決意を揺さぶる。今の私の心にあるのは恋や愛ではなく、依存と執着なのだと思う。


 マリーナの好意に縋ろうとする心を押しとどめることが、日々難しくなっていく。毎朝、二人きりで過ごす時間が一日の活力になってしまっていることは認めるしかない。


 このままではいけない。マリーナを早く自由にしなければと考えれば考える程、抱き寄せたい、自分のものにしたいと浅ましい欲望が沸き上がる。


 マリーナが自らの好みを知らないのならば、私が彼女に似合うものを選べばいいのではないかと思い始めている自分の心も危うい。自分好みに染めていく喜びを感じ始めていることを理解していても止められない。


 少年の頃、いつもフードやベールを被っているマリーナの顔を初めて正面から見た時には、海の乙女の化身かと驚いた。紺碧色の髪は幼い頃に見た深い海の色そのままで、海から遠く離れたこの国で同じ色を再び見ることができるとは思っていなかった。


 青いドレスを着たマリーナは、私が心の奥底に秘めている海への憧れを体現している。美しい海の女神に成長した彼女に跪いて、その愛を受けたい。


 ……離れなければならないのに、私は何をしているのだろう。理性と欲望が心の中で渦巻く。ふと気が緩むと、彼女に笑いかけてしまう。彼女に口づけしたくなる。



 騎士の控室へと向かう途中、呼び出しの説明を受けた。

「先程、城内で怪しい女が発見されました。捕縛して口を割らせようとしているのですが、メレフ様でなければ話をしないと繰り返しています。心当たりはありますか?」

「全くありません」


 控室に入ると、黒い服に灰色のエプロンを着けた薄茶色の髪の少女が椅子に縛り付けられていた。

「お楽しみの最中に悪いな。このお嬢ちゃんが、お前でなければ話をしないと言ってるんだ」

 上着を脱ぎ、シャツ姿のドナートが肩をすくめて話し掛けてきた。その左腕には服の上から包帯が巻かれている。


「かすり傷だ。止血してるだけだから、心配すんな」

 私の視線に気が付いたのか、ドナートが苦笑する。視線で少女を示されて、少女の方へと向き直る。


「私がメレフだ。何故、私を呼ぶ?」

 淡茶色の髪の少女はうつむいたままだ。言葉を待っても顔を上げようとしない。


「近づきすぎると危ないぞ。短剣とか暗器を隠し持ってた。まだ隠している可能性もある」

 成程、足も縛られているのはそういう理由か。ふと目に入った編上げ靴には踵が付いていて、マリーナの言葉をすぐに思い出す。救護院にいた少女と同じ年頃だ。


 救護院には十数名の少女が在籍している。マリーナが気が付いた職業訓練以上の怪しさに情報収集を行ってはいたが優先順位は低く、大した情報も上がってはこなかったので忘れかけていた。


「……他にも仲間がいるはずだ。探してくれ」

「って言われてもなぁ。下女や侍女は千人以上だぞ」

 ドナートが眉をひそめる。


「靴の踵だ。男の乗馬靴のような踵がある」

「は?」

 この国の女性の靴には踵が全くないか、もしくは華奢な細い踵だ。男の靴の踵とは全く違う。私が示した靴の踵を見て、その場にいた騎士全員が理解した。この少女は訓練された間諜で間違いない。


「私は君たちを助けたい。君の仲間は何人いる?」

 少女に話し掛けると、ゆっくりと顔を上げた。疲れ切った表情は少女とは思えない絶望を含んでいる。


「無理よ。助けられる訳ないわ。……誰も私たちを助けてはくれなかった」

「……必ずとは約束できない。だが、私ができる限り尽力すると約束する」

 少女の瞳をまっすぐに見据えると、少女が抱く絶望に自分の絶望が重なる。絶望から救いたいという思いは、私自身の救われたいという願いなのかもしれない。


「……十人。院には五人待機してる。…………今回の命令は……マリーナ様を確保することよ」

 少女の告白に血の気が引いていく。体が動かない。


「マリーナをどうするつもりだ?」

 口調は冷静を保てても、心は平静にはなれなかった。心臓が嫌な音を立てながら早鐘を打つ。

「私たちは各自に役割を与えられて、計画の詳細はわからない。……私は……貴方をおびき出す為に騒ぎを起こす役だった」


「メレフ、お前彼女を一人にしたのか!?」

 ドナートの叫びで体が動いた。

「友人と共にいるはずだ! 他の間諜の捜索と確保を頼む!」

 近くにいた騎士たちに依頼して、壁に掛けられた予備の剣を掴んで外へと飛び出す。

「俺はお前と行く!」

 ドナートが新しい上着を掴んで追いかけてきた。 


 舞踏会の最中に、騎士が城内を走ることはできない。騎士の緊急行動は多数の人々の混乱を引き起こし、出入り口に人が殺到する事態になりかねない。そうなれば大惨事だ。逸る心を抑え、ぎりぎりの速度で来た道をドナートと共に戻る。


 大回廊へと戻ると彼女の友人であるコルスン侯爵夫妻が他の貴族と談笑していた。平静を装いながら近づくと、さっと夫人の顔色が変わった。


「……わたくし、マリーナから伝言をお預かりしておりますの。少々席を外しますわね」

 そう周囲に言って、コルスン侯爵夫人が近づいてきた。


 微笑みながらも、その青い瞳には緊張の色が見える。

「マリーナからの伝言をお伝えしますわね。…………マリーナは王城庭園の東屋に向かいました。貴方が待っているという伝言を受けて」

 扇で口元を隠し、周囲に聞こえないような小声で侯爵夫人が語る。


「伝言? 誰が伝えに来ましたか?」

「下級使用人の少女です。深緑色の髪をした」


 この夫人は聡い女性だ。もしもマリーナがさらわれたなら、それだけで醜聞になる。たとえ既婚者であっても、貴婦人としての評判は地に堕ちる。そのことを周囲に悟らせないように気を使っているのだろう。


「ありがとうございます」

「いいえ。どういたしまして。……気付かず申し訳ありません」


「大丈夫です。任せて下さい」

 侯爵夫人の気遣いを無にはできない。軽く会釈して、その場を離れた。


「おい、王城庭園に行くんじゃないのか?」

「その前にやることがある」

 手近な客室へと入り、人がいないことを確かめる。


「メレフ? 一体何を」

「少し距離を取ってくれ」

 ドナートに説明をしている時間はない。息を整え、神経を集中させる。


「風の精霊トゥーレイ! 私の呼びかけに答えてくれ!」

 待つまでもなく一瞬で空中に青い魔法陣が現れた。風が渦巻き、青い光が幼い少年の姿になる。


『一生呼び出されないかと心配していたよ』

 青い服を着た水色の髪の少年が笑う。その瞳は白目がなく、丸い青玉のようだ。人に酷似していても人とは違う異形。マリーナを助けた時に出会った青い小鳥は、風の精霊が変身した姿だった。……一生呼び出すつもりはなかった。


「彼女を助ける力が欲しい。〝精霊契約〟を了承する」

『やったぁ!』

 弾むように笑う精霊と私を包む青い光の魔法陣が現れた。


『――君の名前は?』

「私の名はメレフ・プラヴィノフ。貴方の名前は?」

『僕の名はトゥーレイレストリア。――ここに名の交換が行われたことを宣言し、確定する!』

 強い風が渦巻き、体内の魔力が増幅したことを感じ取る。体が熱い。


 魔法陣が消え去ると、ドナートが駆け寄ってきた。

「おい、今の光は何だ? 精霊? どういうことだ?」

「詳しい説明は後だ。……隠していたが、私は魔力を持っている。魔法を使う為に精霊と契約を結んだ」

 魔法使いがいなくなったこの国で、魔力を持っていることは秘密にしていた。死ぬまで魔法を使うことはないと半ば誓いにも似た思いでいた。肩に止まった青い小鳥はドナートの目には見えていないだろう。


「魔法使いか! ……すげえな!」

 異質な者だと畏れられるかと思っていたが、ドナートは目を輝かせている。これは後の説明が面倒かもしれない。


「トゥーレイ、マリーナの居場所を知りたい」

『この魔法陣に魔力を注ぎ込んで』

 声に導かれるまま空中に現れた魔法陣に手を置き、体から湧き上がる魔力を注ぎ込むと映像が現れた。


 青いドレスのマリーナが木の板に乗せられて黒い服を着た少女たちに運ばれている。気を失っているのかまったく動かない。怒りが魔力を増幅させていく。


「この先は、緊急用の馬車乗り場だ!」

 映像を横から覗き込んでいたドナートが叫んだ。王城では病気や怪我、事故が起きた際に時間がかかる正面からではなく、脇門から出ることが可能になっている。


「トゥーレイ、足止めはできるか?」

『できるよ! まかせて!』

 青い小鳥が姿を消した。


 緊急用の馬車乗り場に着いた時、マリーナは木の板から降ろされ、少女たちに抱きかかえられていた。


「誰の馬車が来るのか確認するまで、助けるのは待て」

「わかっている」 

 ドナートの言葉は尤もだが、誘拐者に対する怒りは頂点に達しようとしている。今すぐ助けたいと思いながらも、物陰に隠れて呼吸を整えることしかできない。


 少女たちは馬車乗り場にいる従僕たちに、女性が倒れたので屋敷に送り届けると説明していた。他には何を聞かれてもわからないとしか返答しない。誰かに指示を受けようとした従僕を少女の一人が引き留めている。美しい少女に惑わされているのか、様々な規則は一切行われていない。


 馬車乗り場に静かに現れたのは黒塗りの四頭立ての馬車。一見質素に見えるが、艶やかな黒一色は珍しい。馬も長距離に耐えられる品種だ。


 誰が出てくるのかと見ていると、エルショフ伯爵夫妻が降りてきた。夫人が大袈裟にマリーナを心配し、馬車に乗せるようにと少女たちに指示を出す。


「トゥーレイ、少女たちの動きを封じてくれ」

 願えば強い風が巻き上がった。ドナートに目配せをして物陰から走り出す。


 女性なら吹き飛ばされそうな風の中、動けない少女たちをすり抜けてマリーナを片腕に抱き、剣をエルショフ伯爵へと突き付ける。


「なっ!」

「私の妻に、何をするつもりだったのです?」

 怒りが溢れ、増幅されていく魔力が青い光になって私の体を包む。


「ゆ、許してくれ!」

 情けない叫びを上げ、地面に手を着こうとした伯爵を蹴り上げる。憐れみの感情は浮かばない。ただ怒りしかない。


「うへぇ。怖えぇな、魔法使い様は。……証人だ。殺すなよ」

 茶化すようなドナートの言葉で、土にまみれて苦悶する伯爵への追撃は思い止まった。


「……私の妻に何をした?」

 震える伯爵夫人へと問いかけると、眠り薬を飲ませたはずだと返ってきた。命にはかかわらないと聞いて内心安堵する。


 強い風は止み、立ち尽くす少女たちは何の抵抗もしない。駆け付けた兵士たちに全員が縄を掛けられ、騎士に連行されていく。


「取り調べは任せとけ」

 ドナートや他の騎士の勧めに感謝して、私は眠るマリーナを屋敷へと連れ帰った。

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