第12話 舞踏会の夜
メレフの本当の父母のことを聞かされても、私の想いは揺るがない。むしろ、もっと近くで寄り添いたい。
話を聞いてから、彼との距離が少し変わったような気がする。朝の鍛錬の回数が減り、その分だけ木の上で一緒に景色を眺める時間が長くなった。何かを話すという時間ではない。ただ、寄り添って季節の移り変わりや空の色、同じ景色を同じ場所で眺めるだけだ。
「……やはり離縁をしましょう」
「嫌です」
メレフの提案をきっぱりと断ると、青い瞳が困惑に揺れる。
「……困った人ですね」
「絶対に離縁しません。一生隣にいます」
メレフは父母とは別人なのだから、気に病むことはない。何度でも繰り返したい。
「……もしかしたら、実父のように貴女を騙しているのかもしれません」
「それなら、最期まで騙していて下さい」
「……実母のように貴女を殺してしまうかもしれません」
「メレフは私を助けてくれたもの。そんなことはしないでしょう? もしも殺すなら、痛くない方法でお願いします」
「……恐ろしいと思わないのですか? 穢れた化け物の子だと」
「思いません。貴方は穢れてもいないし、化け物の子でもない。私の素敵な旦那様です」
裏庭の木の上なら人目もない。思い切り抱き着いてメレフの胸に顔を押し付ける。鍛錬の後の汗の匂いが甘く感じるのは気のせいだろうか。
「……聞き分けのない子供のようですね」
「子供扱いで構いません。絶対に離縁しませんから!」
頭上の溜息を感じても引くことはできない。そっと抱きしめられると、胸がときめく。もっと抱きしめられたいと願いながら、メレフの背に回した腕の力を強める。
「……そろそろ降りましょう。遅れてしまいます」
「……」
メレフの胸から顔を上げて見上げると、青い瞳が逸らされてしまった。
「……また明日があります」
「はい!」
小さな約束がとても嬉しい。また明日。なんて素敵な言葉だろう。嬉しくて頬が緩んでしまう。
王子の護衛騎士として任務に就くメレフの一日は忙しい。それでも毎日メレフは夜になると戻って来てくれる。以前は城に泊まり込むことも多かったと聞いて、もっと屋敷を居心地よく整えようと様々な努力を重ね続けた。
夕食後のお茶の時間にメレフと話をすることも、私にとっては嬉しい日課になっている。
「もうすぐ舞踏会ですね。朝までお仕事なのですか?」
年に数回の王家主催の舞踏会に、私は参加したことはない。この舞踏会には必ず
「その日は護衛任務から外されました」
「何故ですか?」
「……結婚して初めての王家主催の舞踏会です。王子に参加するようにと命を受けました」
「大変! 急いでドレスを仕立ててもらわないと!」
立ち上がった私をメレフが手で制した。
「……すでに頼んであります。明日、届く予定です」
「え?」
「貴女の好みに合うかどうかわかりませんが、私からの贈り物です。……受け取って頂けませんか?」
「ありがとう!」
私は椅子に座るメレフに抱き着いた。しっかりと受け止められて、膝の上に乗せられる。
「……これでは、子供のようですよ」
溜息を吐かれても構わない。嬉しい時には嬉しいと、メレフには伝えたい。
「だって、嬉しいのです!」
これまでのメレフからの贈り物は、すべて私に確認してからだった。何が用意されるのか、事前にわかっていた。突然の贈り物に、どんなドレスを選んでくれたのか想像するだけで、心が躍る。
膝の上に座るとメレフが近い。熱くなって緩む頬を抑えながら、メレフと話す。相変わらず青い目は逸らされてしまうものの、この距離が嬉しくて、私は話し続けた。
舞踏会の日は、あっと言う間に訪れた。
メレフが私の為に選んでくれたドレスは、透けるような絹を何枚も重ねた最新流行の
「マリーナ様、とてもお似合いです」
着替えを手伝うゾーヤが、明るい笑顔で微笑む。
「す、少し襟元が開きすぎではないかしら……」
本当は嬉しい。メレフが贈ってくれたドレスは、私の髪色を引き立てている。いつもより肌が明るく輝いているようにも見える。
「マリーナ様、本当は嬉しいのでしょう?」
くすくすと笑うゾーヤは、私が愚かな計画を実行する以前に戻ったようだ。ゾーヤには本当に心配をかけてしまっていたと思う。
「そ、それは……は、恥ずかしいからメレフには秘密にして……」
頬が熱くてうつむくと、ゾーヤだけでなく侍女たちにまで笑顔が広がっていく。
侍女たちの素晴らしい手技で髪が美しく結い上げられ、化粧が施される。公式の場に出る為の宝飾品は当主の手で着けられるのがこの国の伝統だ。
着替えが終わり、メレフが待つ部屋の扉が開かれて私は中へと入る。メレフは紺青色のロングコートに白いベストとトラウザーズ、黒いブーツという、騎士ではなく貴族の盛装だ。首元にタイが結ばれていないことが気になる。
「素晴らしいドレスを贈って下さりありがとうございます。とても気に入りました」
「……それは良かった」
もう一言欲しいと思いながら、視線を逸らしてしまったメレフに近寄っていく。本当は駆け寄って抱き着きたい。
「タイはお付けにならないのですか?」
「……上手く結べないので……その……」
「それでは、私が」
卓に置かれていたタイを手に取り結んでいると、視線を揺らすメレフの耳が赤くなっていることに気が付いた。何故か私の心も浮き立って、頬が熱くなっていく。
メレフのタイを何度も結んでいるのに、今日は特別な儀式のように感じて嬉しい。
「……こちらを」
メレフが開いた箱には、素晴らしい宝石が入っていた。銀色の台座に大きな
「
ティアラと耳飾り。首飾りを着けてもらえば、きらきらと輝く。ドレスにもぴったり合うし、何よりも私自身に似合っている。
「……ありがとう! とても素敵です!」
「気に入ったなら良かった」
安堵の息と共に逸らされた瞳は、いつもより優しく見えた。
混雑を避けて王城に到着すると、すでに舞踏会は始まっていた。すれ違う貴族たちと挨拶を交わし、城内を歩き回り、時折メレフが立ち止まっては、何か言いたげに私を見る。
「メレフ? 先程から、どうなさったのですか? 何か気になることでも?」
「いえ。…………踊って頂けますか? ……マリーナ」
控えめながら掛けられた声に驚く。
「はい! もちろんです、メレフ!」
雲の上を歩くようなふわふわとした気分でダンスフロアに向かい、人々の中に加わった。煌めく魔法灯の下、ゆったりとした音楽の中で二人で踊る。片手を握られ腰に手を回されると、どきどきする。見上げると青い瞳と真っすぐに向き合う。すべてを見透かすような視線がくすぐったい。
「…………綺麗です。マリーナ」
メレフの言葉で心が震えた。涙が溢れ零れ落ちて行く。
「ま、待って下さい。何故泣くのです?」
静かに狼狽するメレフが愛しい。
「嬉しくて……」
ぽろぽろと涙が零れ落ちて行く中、メレフが屈んで私の涙を唇で拭う。
「え?」
驚きで涙が止まった。
「両手が塞がっていますので、緊急対応です」
耳を赤くしたメレフも、頬を熱くした私も、踊る脚は止まってはいない。見つめ合いながら踊り続ける。
「……ダンスは苦手です」
「え? とてもお上手なのに?」
メレフの
「……ダンスは少年の頃に義母に叩き込まれました。騎士になる為にはダンスが上手くなければならないと義父に騙されて、踊れるようになるまで特訓を受けました」
おっとりとしたメレフの義父と義母を思い出して、その印象の差に戸惑う。
「慣れると、そのうち本性を現しますよ。覚悟しておいてください」
その言葉とは裏腹に、義父と義母が好きなのだと感じる。少々の嫉妬と、メレフの家族の輪に入ることの期待に心が温かくなっていく。
三曲を踊り、休憩しようと回廊に出た所でイネッサと夫の侯爵に出会った。挨拶を交わしていた所で、メレフに騎士が近づいてきた。
「マリーナ、ここで少し待っていてくれますか。すぐに戻ります」
騎士と一言二言交わしたメレフは、私に囁いた。
「はい。お仕事なのでしょう? 気を付けて」
騎士と去っていくメレフを見送った後、気を利かせた侯爵はイネッサと二人きりにしてくれた。
「マリーナ、見ていましたわよ。孤高の騎士は、本当に変わられましたわね」
「そうね。……とても優しいのよ」
踊る最中に涙を唇で拭われたことを思い出し、熱くなった頬を扇で隠すとイネッサが笑う。
「最初はどうなることかと思っていましたけれど、大丈夫なようですわね」
「心配をかけてごめんなさい」
「マリーナが幸せなら、それでよろしいのよ。夫が、観劇に二人をお誘いしたいと申しておりますの。どうかしら?」
「観劇?」
「ええ。新作は海賊商人と公爵家令嬢の素敵な恋物語だそうですわ。公演が始まるのは三月後だから少し先の話ですわね」
「それは素敵ね! 休日の予定を確認してお願いしてみるわ!」
護衛騎士の予定は二カ月先まで決められている。三カ月先なら多少の融通も利くと侯爵は知っているのかもしれない。
「……何かしら」
目を瞬かせたイネッサの視線の先、回廊の柱の陰に少女が佇んでいた。黒色のワンピースに灰色のエプロンは下級使用人の制服。通常は公式の場で姿を見せてはいけない階級だ。以前の私なら不快に思っていたかもしれないけれど、女主人となってからは全く気にならないから不思議だ。
「あら? 貴女は以前、救護院でお会いした……」
救護院にいた少女の一人だと気が付いた。深緑の綺麗な髪色を覚えている。
「はい。メレフ様のご支援のお陰で、こちらの王城に務めることができました。ありがとうございます」
美しい少女は深々とお辞儀を行う。その所作は流れるような美しさ。この美貌なら、貴族に見初められることもあるかもしれない。
「本当に良かったわ」
少女ばかりの救護院に疑問は感じていたものの、こうしてしっかりとした職に就けるのなら、支援も間違いではなかったと素直に喜ぶことができる。
「あの……」
顔を伏せた少女がためらいがちに言葉を発する。
「何かしら?」
「マリーナ様に、メレフ様より伝言をお預かりしております。〝王城庭園の東屋で待っている〟と」
「まぁ。それは恋人の逢引きのようですわね」
イネッサが扇を口元にあてて笑う。
「そ、そんな……」
頬だけでなく、頭まで熱くなっていく。
「ど、どの東屋かしら?」
広い王城庭園には、いくつもの東屋がある。
「ご案内致します」
私はイネッサに別れを告げ、少女の案内で王城庭園に向かった。
日が落ちて暗い空には、赤と緑の月、そして小さな白い三日月が輝いている。王城庭園は、あちこちに魔法灯や複雑な形に削られた水晶が下げられていて、きらきらとした光の反射で煌めいている。
歩いていると、あちこちで恋人たちに出会う。遠慮をしているのか、いつも巡回している兵士の姿はない。明るいし、人目もあるから安全だろう。
目の前を歩いている少女は、足音もなく静かに歩いて行く。しっかりと教育されている侍女よりも美しく所作に無駄がない。何かひっかかるものを感じながらも、メレフに会う期待の前には抗えない。
庭園の最奥、人のいない東屋へとたどり着いた。メレフが待っているかと期待していたのに、誰の姿もない。
「静かに。騒いだら殺します」
素早く振り返った少女の右手に、魔法のように短剣が現れた。喉元に切っ先を突き付けられて、体が強張る。殺されてしまうかもしれないという恐怖が、助けを求める声を封じた。
少女は短剣を下げることなく、左手で薬の紙包みを取り出した。
「この薬を噛んでお飲みください」
手渡された包みの中には、白い丸薬が二つ。
「な、何の薬なの?」
「眠り薬です。死ぬことはありませんが、抵抗されるのでしたら飲むまで一本ずつ指を落とすように言われています」
淡々とした口調が恐ろしくて、私は丸薬を口に含んだ。
「噛み砕いてください」
指示されるままに丸薬を噛むと、甘さと苦味が口の中に広がる。舌が痺れ始め、指先から感覚が失われていく。
傾いだ私の体を少女が受け止めた。その手は、気のせいか優しい。
「……何が……目的なの?」
「私には知らされていません。私は命令を受けて実行するだけの道具です」
表情のない目は、すべてを諦めた老人のよう。
「道具ではないわ。……貴女も人間でしょう?」
「……貴女は幸せな方ですね。このような状況でも他人を憐れむ余裕があってうらやましい」
まぶたを閉じると少年の頃のメレフの笑顔が浮かぶ。あの時の笑顔がもう一度見たかった。
「助けて……メレフ……」
そして意識が闇に飲まれた。
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