第11話 お伽話の影
初めて出会ったのは、新年の祝いの日だった。私は当時十二歳。メレフは十四歳。
父母が王城内の儀式に参加している間、私は王城庭園を散歩していた。他の多数の子女は、若年者の為の茶会に参加している。私はそういったパーティや茶会に参加することが苦手で、イネッサに誘われても断っていた。
冬の花々が咲き乱れる庭園の中は、見回りの兵士や騎士と時折すれ違うだけだ。入り口にも兵士が立っていて、安全が確保されている。
白い毛皮で縁取られたフード付のマントを着た私は、兵士や騎士たちには知られているので、今更名前を聞かれることもフードの下の顔を確認されることもない。
当時の私は自分の髪色が嫌いだった。周囲の人々は皆、輝くような銀髪や明るい髪色ばかりだ。曾祖母と同じ色だと聞いていても人とは違うことが私から自信を欠落させていた。常にフードの付いたケープやマントを着用して髪を隠し、どうしてもフードが許されない場合はベールやレースの付いた髪飾りで誤魔化していた。
『助けて!』
幼い少年の声が聞こえたような気がして周囲を見回しても誰もいない。ばさばさという音を追って、茂みの中へと入っていく。
『お願い! 助けて!』
地面を見ると青い小鳥が地面で暴れている。懸命に羽ばたいているのに、飛び立つことはない。
「どうしたの?」
声を掛けると小鳥は動きを止めた。そっと手のひらに乗せると片方の翼が不自然に曲がっている。これでは飛ぶことはできないだろう。
「怪我をしているの? 大丈夫よ。きっとお城には誰か詳しい方がいらっしゃると思うわ」
王城に滞在中の偉い医術師様もいらっしゃるから聞いてみようと立ち上がった時、急に私の周囲だけが暗くなった。
「え?」
見上げると三羽の大きな黒い鳥が翼を広げて私に影を落としている。赤い瞳と目が合って、これまで聞いたことのない不気味な鳴き声に背筋が凍った。まるでお伽話に出てくる魔女の使い魔のようで怖い。
逃げなければと走り出す私を追いかけてきた黒い大きな鳥たちが、私のマントやドレスを鋭いくちばしや爪で裂く。
布を裂かれる音が恐ろしくて脚が止まってしまった。前に進めない。
「誰か! 助けて!」
小鳥を胸に抱えてしゃがみ込む。フードが外れ、髪飾りが奪われる。片手で追い払ってみても無駄だ。鋭い爪が手の甲に食い込む。
「やめろ!」
叫び声を上げて走り寄って来た誰かが、黒い鳥を追い払おうとしていても怖くて顔が上げられない。誰かと鳥との攻防は長く続いているような気がした。目を閉じて震えながら、戦ってくれている人の無事を祈る。
しばらくして、大きな羽ばたきの音が遠ざかっていった。
「大丈夫ですか?」
見上げると輝く金色の髪に青い瞳の少年が微笑んでいる。紺青色の上着は凛々しく、助けてくれた恩人の姿は冬の光の中でも輝いて見えた。
「……はい。ありがとうございます。……え?」
胸元で抱いていたはずの青い小鳥が消えている。辺りを見回しても姿は見えない。
「何か探しているのですか?」
「あの…………」
小鳥のことを告げようとして口ごもる。私は夢か幻を見ていたのかもしれない。
「どこか痛みますか?」
「ありがとうございます。大丈夫です。……あ」
フードが外れて紺碧色の髪が見られていることに気が付いた。慌てて手で隠してみても解けた髪は覆えない。
「手に怪我をしていますね」
膝を着いた彼は私の手に白いハンカチを巻く。反対側の手も血を流していることに気が付いて、丁寧な刺繍が施されたハンカチを取り出した。
「ありがとうございます。ハンカチは洗ってお返しします」
「返さなくてもいいですよ。……そろそろ手放さなければと思っていた物ですから」
微笑みながらも悲し気な瞳に私の心が吸い込まれるような気がして、目を逸らすことが出来ない。
「……髪に触れてもいいですか?」
見つめ合う中、彼の問いに頷くと優しく髪を指で梳かれた。もつれた髪が整えられていく。くすぐったさと恥ずかしさを感じても、彼の優しい笑顔から顔を背けることはできない。
「いつもフードを被っている理由をお聞きしてもいいですか?」
王城で見かける度に気になっていたと彼が言う。確かにフードを被っている女性は他にはいない。
「あの……髪を隠す為です……色が……」
銀や金色、輝く髪色が多い中、私の紺碧色の髪は異質に感じていた。周囲の人間に笑われているのではないかと、いつも怯えていた。
「隠してしまうのは残念です。深い海の色のようで綺麗な色です」
彼の輝く金髪が日の光を浴びて輝いていて、青い瞳が優しく微笑む。光を纏う彼の言葉が、私の心を暗い場所から引き揚げた。
あの瞬間、私の劣等感の象徴だった髪色が〝綺麗な色〟へと変化した。父母やイネッサ、ゾーヤたちの称賛の言葉では動かなかった私の価値観が、彼の一言で覆された。
そうして私は彼に恋をした――。
久しぶりに出会った時の夢を見た。あの時、手に巻かれたハンカチに施された刺繍は海が見える窓と剣。とても丁寧で美しい模様だった。何度も洗ったのか所々糸の色が薄くなっていた。
私はその刺繍を手本にして同じ模様を何度も練習し、彼に贈る為のハンカチを作り続けているけれど、未だに納得できる物が出来ずにいる。……そういえば結婚が決まってから刺繍をする時間を取れていない。
起き上がってカーテンの間から窓の外を見ると夜明け前だった。もう一度眠るかどうか迷っていると、隠し部屋の扉が音もなく開いた。
「おはようございます、メレフ」
「……おはようございます、マリーナ」
静かに扉を開けたのは、私が起きないように気を使ってくれたのだろう。視線が逸らされてしまって寂しい。
メレフは夜着ではなく下穿きだけで眠ると最近知った。素肌にガウンを羽織る姿も凛々しくて素敵だ。衣装部屋へと向かうメレフの後を追うと、扉の前でメレフが立ち止まった。
「マリーナ。……今晩、私の話を聞いて頂けますか?」
「はい! もちろんです!」
見上げたメレフの表情は、緊張に満ちている。
「何か心配事なのですか?」
「いえ。私が隠してきた話です。本来は……結婚する前に話しておくべきでした」
今でもいいとお願いしても、日の光の中では話せないと返事が返って来たので、私は夜まで待つことにした。
夜になると緊張した面持ちのメレフは私を私室へと招き入れた。初めて見るメレフの私室の本棚には、ぎっしりと本が詰まり、あちこちに本が積まれている。小さな図書室と言ってもいい程だ。
「こんなにたくさん……」
私もメレフを見習って本を読んできた。それでもこれだけ多くの本を読んでいたかどうかはわからない。物語は少なく、精霊や魔法の研究書、武術や戦術の本が多い。何度も読み返したのか、背表紙がすり切れた本が目に留まった。私も知っている海賊商人の物語だ。
「ここに置いているのは、繰り返し読む本だけです。……こちらへどうぞ」
座り心地の良いカウチに案内され、メレフは椅子を前に置いて座る。
「……少し待って下さい」
立ち上がったメレフは、戸棚から酒瓶とグラスを取り出し、お酒を少しだけグラスに注ぐ。
「お酒ですか?」
「はい。気付けにも使われる強い酒です」
飲むのかと思えば、メレフは机にグラスを置き、また椅子に座り直した。
メレフの表情は緊張していて、話始めるまで少々の時間が必要だった。
「……私の本当の父母のことはご存知ですか?」
「はい。学問で優秀な成績を修めて平民から公爵になったダヴィッド様と当時の第三王女スヴェトラーナ様ですね」
平民の男と心優しい王女の恋。我が国最高学舎での卒業式の偶然の出会いが二人を結び付けた。その結末は悲劇的でも、甘い夢のような結婚は貴族女性のみならず平民女性にも人気のお伽話として広く知られている。
「……その二人の美しい話は、すべて嘘です」
「……嘘?」
二人の息子であるメレフの口から語られる真実は、到底信じられないものだった。
平民だったダヴィットは、その美しい顔と言葉で他人を利用して金品を奪い、ついには親友の研究成果を奪って王都の学校を首席で卒業した詐欺師。周囲では二十数名が不審死を遂げていた。
第三王女スヴェトラーナは、何度もおぞましい宴を開いて三百名以上の平民を嬲り殺しにした狂女。
「あの……全く違う話になっているのは……」
「王家による情報操作です。王女が平民を自らの娯楽の為に殺したなどという事実は、表には出すことはできません」
「三百名もの人が失踪すれば、噂になると思うのですが……」
「……王女に協力した妖女がいました。犯罪組織の首領で、その女によって狡猾で綿密な計画が立てられていたそうです」
犠牲者は必ず恋人たちで、事前にお金を渡して夢のような話を持ち掛けていた。残された家族は二人が外国に駆け落ちをしたと今も信じているという。
「あの……では……お父様とお母様が結婚されたのは?」
話が頭の中で全く繋がらない。人を騙し自死に追い込んだ平民の詐欺師と、平民を娯楽のために殺した王女。もしもそれが本当なら、どうして二人は結婚することになったのか。
「王女が詐欺師に最初で最後の恋をしたのです。そして詐欺師は、子供の頃から王女に恋をしていた。二人を結婚させることで、表向きは平民と王女が結婚するお伽話が出来上がりました」
「そんな……私たちが聞かされていたのは……」
「嘘で塗り固められた、見た目だけは美しい話です。王家が存続していくために作り出したお伽話です」
メレフは迷うように瞳を揺らした後、深く息を吸い込んで吐き出した。
「……先代の王は、私の母スヴェトラーナを溺愛していました。ただ、三百人の民を殺した事実は庇いきれない。母を死刑にしなければ、示しがつかないと決断しました」
「結婚させて、すぐにでも殺すこともできた。それをしなかったのは、王女に子供を産ませる為でした。美しい母に似た女児を、先代の王は欲しがった」
「どうしてですか?」
「生まれた子供を取り上げて、自分の……欲望の玩具にする為です。母には最後まで手を出すことはなかったそうですが、きわどい行為はあったと聞いています」
メレフの言葉に血の気が引いて行く。幼い頃、一人で王城庭園で歩いていた時に会った先代の王は、とても優しかった。何度もお茶に誘われたものの、当時は髪色に引け目を感じていた私は断って逃げていた。もしもその誘いに応じていたら……何をされていたのだろう。
「結婚して母はすぐに身籠りましたが生まれたのは私だけでした。その後は事故として処刑されるまで妊娠することはなかったそうです」
両親の馬車での事故死は処刑だったとメレフは静かな声で語る。崖から落とされた馬車は何故か炎に包まれ、二人とも焼け死んだ。
「私は二人の罪人の子であり、先代の王の欲望の為に生み出された子です。私は生まれてくるべきではなかった。……私は独りで死ぬべき人間なのです」
目を伏せるメレフの表情は硬い。その孤独を思うと涙が零れた。
自分は罪人の子だと、産まれてはいけなかったとずっと思い続けてきたのだろう。何かがあれば死ぬかもしれない騎士という役目に就いたのも、いつ死んでもいいと思っていたからかもしれない。
「美しいお伽話で隠されていたのは、恐ろしくおぞましい化け物の話です。私は化け物の子です。……ですから……離縁しましょう」
「嫌です!」
零れる涙もそのままに、私はメレフの前に跪いて手を握る。
「メレフは御両親と違う人間でしょう? どうして父母の罪をメレフが背負う必要があるのですか!?」
すべてはメレフが生まれる前の話だ。メレフが止めることもできない話だ。
「……泣かないで下さい」
メレフは青い瞳を揺らして戸惑う表情を見せている。その瞳は乾いたままだ。
「嫌です! メレフが泣けないなら、私が替わりに泣きます!」
泣きたくても泣けないのかもしれない。それとも、もう泣く為の涙も枯れてしまったのかもしれない。
「……何故、貴女が泣くのですか?」
「この涙はメレフが可哀想だから流しています!」
「……私は、その憐れみを受ける資格がありません」
「だって! だって! あんまりだわ! 女神さまは、どうしてメレフにこんなに酷い重荷を背負わせたの!?」
涙は止まらない。知らなかった。平民と王女の美しくも悲しいお伽話の真実は、残酷過ぎて心が痛い。
残されたメレフは独りですべてを背負って来たのか。孤高の騎士と呼ばれる程に女性との係わりを避けてきたのは、自分に流れる血を残さないという決意の表れだったのか。
「生まれた時から穢れている私とは離縁するべきなのです。貴女はまだ清らかなままだ。私が不能だったという理由で構いません」
「離縁なんて絶対に嫌です! 独りになろうとしないで!」
掛けるべき言葉も慰めの言葉も見つからなかった。流れる涙もそのままに、困ったような顔をするメレフの首に腕を回して抱きしめる。
そして私は泣き続けた。
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