第8話 困窮する男

 婚姻休暇の間、マリーナのことを知ろうと努力してみたが、さらにわからないことが増えただけだった。


 マリーナが私に見立てる服や装具品は、不思議な程、私の好みにあう。ただ、マリーナ自身は自分の物を選ばないし、好きな色や好きな物がない。マリーナが婚姻式で用意していた品々は、すべて私の好みに合うように選ばれていた。


 何度も買い物に連れ出し様々な物を見せながら問いかけるうち、常に他者に薦められる物を受け入れてきたので、自分の好みというものがわからないということを何とか聞き出した。


 そんなマリーナが自分の意思で私を選んだということに内心喜びを感じてしまっているが、このままでは私はマリーナから与えられるだけで、何も返すことが出来ない。


 冷たくしなければと表情を作るが、マリーナの可愛らしさに感情が揺さぶられる。白鳥ではなく小動物と評したドナートの意見には内心同意している。


 普段のマリーナの所作は優雅で美しい。ところが私の腕にしがみ付く姿は可愛いとしか表現できない。この懸隔ギャップは、鼓動を跳ね上げる。マリーナに気付かれないように必死で自分の心を落ちつかせているのは滑稽だ。


 マリーナの為には嫌われて離れなければならないと思う一方で、私のことだけを見るマリーナを自分のものにしたいと浅ましい願いが心を掠める。


 私の実の両親とおぞましい出生の理由を教えれば、間違いなく忌避される。そう思いながらも話すきっかけが掴めない。


 共に過ごした婚姻休暇の成果は、自らの醜い想いと欲望を深めてしまったと認めるしかないが、別れる前にもう少しマリーナのことを知りたい。マリーナから与えられた物を返したい。



 婚姻休暇は瞬く間に終わり、笑顔のマリーナに見送られて王城へと向かった。


 私は16歳で騎士になり、18歳で王子の護衛騎士になった。王子の護衛として付き添う騎士は5名。昔は1名の名誉職だったと聞いているが、外国勢力による暗殺計画が判明したので5名に増やされている。


 今年15歳の第一王子は聡明で、国民からの人気も高く貴族たちからも信頼されている。王の5人の子供のうち、男は王子だけで他は王女ばかりだ。王子を失うことはできない。


 護衛の任務は常に神経を使う。疲労して失敗をしないようにと、交代で無理のない勤務時間を確保している。


 公爵家の控室へ向かう途中、書類箱を持つ文官に声を掛けられた。

「休憩ですか、孤高の騎士」

 今朝から、これまではあまり話し掛けてこなかった者たちから声が掛かる。不思議に思いつつも返答する。

「はい。食事を取ってきます。……その呼び名は変えて頂けませんか?」

 孤高の騎士などという大層な異名で呼ばれることに、ずっと戸惑っていた。


「それでは、メレフ様とお呼びしても?」

「名前だけで構いません」

「私は侯爵家の第2子です。お名前だけという訳には参りませんよ」

「それは……仕方ありませんね。……何か?」

 突然文官が笑顔になったことに戸惑う。


「いえ……メレフ様の笑顔を初めて拝見しましたので。ご結婚おめでとうございます」


 私の笑顔を初めて見たと、もう何人に言われただろう。今朝、王子にも言われて驚いた。……王城にいる私は笑っていなかっただろうか。


 廊下に掛けられた鏡に目を向けると、落ち着きなく周囲を確認するように見回したエルショフ伯爵が客室へと滑り込む姿が映っていた。


 何かあるという勘を信じて客室の隣、監視用の小部屋へ入る。

 王城の客室には必ず監視用の小部屋が設置されていることを公爵以下の貴族たちには知らされていないが、騎士や従僕たちは熟知している。


 覗き窓から客室の内部を伺うと、エルショフ伯爵が壁に掛けられた絵を外そうとしている所だった。

 この半年、王城に飾られた絵や美術品、特に服の隠しポケットに入るような小さな寸法の高価な品が消える事件が頻発していた。最近、小型の美術品は常に人目の付く場所へと移されている。


 伯爵が外そうとしているのは、服の隠しには入らないがマントや上着で隠せる大きさの風景画だ。簡単に外せないように対策が施されていることは、一部の者しか知らされていない。


 伯爵は顔を赤くして力任せに絵を剥がそうとしている。このままでは絵が損傷すると判断し、小部屋を出た私は客室の扉を開けた。


 額縁に手を掛けた伯爵と、しばし無言で向き合う。


「エルショフ伯爵、それは……」

「頼む! ほ、報告するのは待ってくれ!」

 猛然と床に膝を付き、懇願する伯爵の姿に狼狽する。


「……何か理由があるのですか?」

 かろうじて出た言葉は、それしかなかった。


 伯爵は自分が夫人から虐げられていることを涙ながらに告白した。贅沢好きの夫人は、すべての資産を掌握しており、自分には全く金が回ってこない。

 伯爵家が昔から支援している救護院への寄付も滞り、孤児たちが食べる物にも事欠き困窮する姿が可哀想で、どうしても金が必要だった。悪いことをしていると罪悪感は持っていたが、辞められなかったと涙を流す。


 犯罪に手を染めた者に慈悲を与えてはならないと教えられてきたが、大の男が床に膝をついて涙を流す姿は、どうしようもなく情けなくて哀れだ。


「……もう盗みを働かないと誓って頂けますか。その救護院へは、私が寄付を引き継ぎます」

 盗みの原因を取り除けば、再犯も防げるだろう。


 私の提案を聞いたエルショフ伯爵はさらに涙を流し、床に頭を擦り付けるようにしながら、私に感謝の言葉を述べ続けた。

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