第4話 白薔薇の姫

 食事の途中で眠ってしまったマリーナを抱き上げて寝室へと入った。

 ベッドに横たえて、呼び鈴を鳴らす。


「夜着に着替えさせてくれ」

 マリーナ付の侍女に告げ、侍女たちの後ろへと下がる。手際のよい侍女たちがマリーナの結い上げた髪を解き、化粧を拭う光景を何気なく見ていたが、自分がここにいても仕方がないことに気が付いた。


 これではマリーナを監視しているようだ。そう思って部屋を出ようとしたところで、侍女の声に呼び止められた。


「お待ちください、旦那様!」

 使用人が貴族に呼びかけることはない。振り向くと茶褐色の髪に緑の目をした侍女が私をまっすぐに見ていた。女性の顔と名前を覚えるのは苦手だが、マリーナと共に公爵家に来た侍女ゾーヤだと思い出す。


「何か意見があるのなら聞こう」

「……恐れながら申し上げます。……婚礼用の下着は花婿様が脱がせる為の物です。二度と使われることがありません。……奥様……マリーナ様は旦那様の為にこの下着を選ばれました」

 蒼白で震えながらゾーヤは語る。通常、高位の貴族に平民が意見を述べることは命がけだ。


「わかった。それでは私が着替えさせよう。皆、外にでてくれ」

 名ばかりでしかないが、それが夫の務めだと言われれば仕方ない。


「ありがとう。また意見があれば聞かせて欲しい」

 私の言葉を聞いて、蒼白なままのゾーヤが驚きの表情を見せた。他の侍女に促されて、寝室の外へと出て行く。


 貴族平民関係なく、ありがとうと感謝の言葉を述べることの大切さは幼い頃に教育係から教えられた。公爵家の子息である私が平民に礼を述べると驚愕されることも多い。


 マリーナの服のボタンを外せば、華やかな白い下着が露わになった。透けるような薄い布で装飾されてはいるが、胸元から腰までを覆う布は胴鎧かと思う程硬い。


 どうやって脱がせるのかと下着を探っていると、胸元に指が掛かる場所があった。指を掛けて引くと、びりりと音がして縦に破れていく。成程、一度きりとはこういうことか。


 腰まで破いた所で、マリーナの上半身が露わになった。

「……!」

 服の上からでは想像できなかった豊かな白い胸が零れて揺れる。強く押さえ込んでいた為なのか、マリーナの息が深くなった。


 無防備に裸体を晒す姿は艶めかしく美しい。深い海の色のような紺碧の長い髪が白い肌に絡む。昔、初めてマリーナを見た時には、海が乙女に化身したのかと錯覚したことを思い出す。


 紺碧色の髪に触れると柔らかい。髪がこれだけ滑らかで柔らかいのなら、白い肌はどれ程柔らかいのだろうか。


 呼吸と同時に上下する白い肌が指を誘う。獣のような衝動を堪えながら、白い夜着を着せて掛け布の中へと包み込んだ。


 寝室の外へ出ようとも考えたが、体が示す反応は人には見られたくはない。枕元へ椅子を移動させて本を開くが痛い程の衝動は治まらず、何度も深呼吸をしながら心を落ち着ける。


 マリーナに手を出してはならない。離縁した後、処女である方がマリーナにとって有利だろう。私が不能で離婚したと噂になった方がいい。


「白薔薇姫……か」

 マリーナは騎士や兵士の間で、白薔薇姫と呼ばれている。いつも背筋を伸ばして前を向く姿は、穢れのない白薔薇に例えられる程、凛々しく美しい。


 男を近づけようとせず、別の公爵家や外国の王子からの求婚を断っているという噂は聞いていた。一体、誰が白薔薇姫を射止めるのかという他愛のない話題は、騎士や兵士の間で繰り返し論じられていた。……まさか自分が白薔薇姫と結婚することになるとは思ってもいなかった。


 静かな微笑みしか見せたことがないと聞いていたのに、マリーナは不用意な笑顔を見せる。きつい顔立ちがふわりと柔らかくなる瞬間は、心が揺さぶられる程……可愛い。


 目じりのつり上がった大きな紫色の瞳が、笑顔になると少し下がる。艶やかな唇が自然な弧を描く光景は、何度見ても鼓動を早くさせる。


 それでも私はマリーナに触れてはならない。決して自分のものにしてはならない。



 私の実の両親は高貴な罪人だ。母は当時の第三王女スヴェトラーナ、父は元平民のダヴィット・パストゥホフ公爵。


 母は自らの娯楽の為に平民三百余名を殺させ、父は自らがのし上がる為に周囲の人間たちを巧みに利用して二十余名を殺した。その罪人の間に生まれたのが私だ。


 罪人の息子というだけではない。私が作られたのは、おぞましい計画の為だった。私は計画の中で生み出された失敗品であり、誰にも望まれなかった不要物だ。


 母は銀髪で青い瞳の美しい女性だった。

『うるさいわね。いらないわ』

 そう言って、母は私を床に投げつけた。それが唯一の母の記憶だ。銀髪に青い瞳の女性を見ると、未だに不快感を覚える。


 父は金髪で青い瞳の美しい男だった。屋敷の中、母から隠れるようにして私の機嫌を取りに来た。優しい父だと信じていたが、実際は私を利用しようとしていただけだった。


 父母の罪は王家によって完全に隠蔽され、その死によって美しく悲しいお伽話として処理された。十五年前の真実を知る者も減り、語る者もいない。


 私は父母が処分される二年前に母の兄、当時の第三王子イグナートと妻のダーリヤの養子として引き取られ育てられた。



 私の心の中には、幼少時の教育係だったエミーリヤという女性が住んでいる。草色の髪に緑の瞳の美しい人だ。


 田舎の屋敷に幽閉される両親と住んでいた頃、彼女と出会った。彼女は両親から見向きもされなかった私を優しく包んでくれた。


 エミーリヤはエフィムという騎士と結婚し、ヴァランデール王国という遠い国へと移り住んでいる。今では6人の子供に囲まれて幸せに暮らしている。


 その温かい家族の中に入りたいと何度願ったかわからない。


 エミーリヤは実父のダヴィットに利用されて殺され掛けた被害者だ。加害者の息子である私が、傍に立つことは決してできない。


 罪人の息子であるということ以上に、母とも慕う女性を奪いたいという醜い願望を心の奥底に持っている私には、結婚する資格もなければ、恋をする資格もない。そう思って女性とは関わらないようにしてきた。


 マリーナから告白された時、心が揺さぶられたのは事実だ。直視する紫の瞳の強さに心惹かれた。


 結婚するつもりはなかったが、酷い噂が広まり過ぎた。このままでは一生マリーナが悪く言われる、傷物の令嬢より公爵家子息の元夫人という肩書の方がマリーナの今後の選択肢に有利に働くと養父に説得された。


 私が酷い態度で臨んでも微笑むマリーナの姿を見ていると、父母に関心を持って欲しいと足掻いていた幼少の自分を思い出して心が痛い。


 幽閉されていた広い屋敷の中、私は父母と離されていた。どんなに遠くでも父母の姿を見れば手を振った。返事もなく無視をされるばかりだったが、私は手を振り続けた。


 私がマリーナに強く感じる想いは憐憫であって、恋ではない。

 ……恋ではなく、憐れむことなら許されるだろうか。しかし下手に期待をさせてしまえば、マリーナが自分から離れるという決断を鈍らせてしまう。


 幼い頃の私が両親から離れて養子になる決断ができたのは、どれだけ努力しても全く見向きもされなかったことが大きな理由だった。


 冷たく酷い男でなければならないと思うが、マリーナの笑顔が決意を鈍らせる。笑顔をもっと見たいと思ってしまう。喜ばせたいと思ってしまう。


「……ん……」

 マリーナが寝返りをうち、髪が頬に掛かった。


 そっと髪を整えて、また椅子に座りなおす。

 マリーナは昨夜、一睡もしていなかったのだろう。私も眠ることはできなかったが体力が違う。


 婚礼用衣装が一人では脱げないことも全く知らなかった。今まで彼女のことを知るのを避けてきたが、もっと彼女のことを知らなければ。


 酷い男だと嫌われなければならないが、マリーナの健康を損ねたい訳ではない。

 眠り続けるマリーナの顔を見ながら、私は深く息を吐いた。

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