第2話 偽りの結婚

 目が覚めると私は侯爵家の別荘の自室のベッドの中にいた。メレフが気を失った私を運んでくれたらしい。まるで花嫁を運ぶようだったと、目撃した侍女たちが教えてくれた。


「本当に物語を見ているようでしたわ。金髪に青い瞳の騎士がマリーナ様を軽々と抱き上げてベッドまで運ばれたのです」

 頬を赤らめ溜息を吐く侍女たちの中、乳姉妹のゾーヤだけが淡い微笑みを崩さない。ゾーヤはこの計画を知っていて、唯一反対していた。


「……マリーナ様……」

 メレフ様の気持ちを考えた方がいいと、ゾーヤは繰り返し私に説いた。それでも私は実行した。

「もう後戻りできないのよ」

 絶対に成功する。私は祈りと願いを込めて微笑みを浮かべた。



 孤高の騎士と呼ばれていたメレフに秘密の恋人がいたという噂は、あっという間に広まった。二十三歳になるまで全く女性の影がなかった貴公子の恋の噂は、喜ばしい話としてあちこちで話題になっていく。


 王都に戻ると私は噂の中心人物という扱いを受け、あちこちの茶会へと招待されるようになった。さまざまな質問を受けながら曖昧に答えて微笑み続ける。


 思わせぶりな言葉が噂として大きく広がっていく。すでに体の関係があるという過激な噂が出てくるのは仕方ないというよりも大歓迎だ。


 メレフは絶対に私を見捨てたりはしないと私は確信している。これは私の女としての名誉を賭けた計画でもあった。もしも彼が私との関係を否定し続けたり、他の女性が出てきた場合は、私の女としての評価は地に堕ちる。傷物だという烙印を押され、今後まともな結婚はできないだろう。


 十年間、彼だけを見つめてきた。彼には女性の影がないどころか職務以外は女性を避けている。特に銀髪に青い瞳の女性が視界に入ると、その場から立ち去る程だ。


 想い人がいるという言葉が本当だったとしても、手が届かない女性なのだろう。それが身分なのか、既婚者なのかはわからない。彼の隣に誰もいないのなら私が立ちたい。


 恋の噂はすぐに忘れられてしまうものだけれど、一月が過ぎても私が常に曖昧な言葉を発し続けた為に噂が絶えることはなく、増々広がっていった。



 湖の件から二月が経ったある日、公爵家から正式な使者が訪問の可否を問いに訪れた。それは公爵家に伝わる求婚の儀式に則ったもので、侯爵家は喜びに沸いた。


 翌日、正装したメレフが訪れた。青紺色のロングコートに白いシャツ、鉄紺色のトラウザーズに黒いブーツという出で立ちは、第二礼装と呼ばれる装飾が多い儀礼服だ。私は最初に告白した時と同じ渋い緑色のドレスで迎える。


「……二人だけで少し話をしたいのですが、お許し頂けますか?」

 求婚の儀式に入る前にメレフが私の父に問いかけた。父は快諾し、使用人すら外に出されて二人だけで部屋に残された。


「……何度も申しましたが、私には想い人がいます。貴女は、それでも私と結婚したいと仰るのですか?」

 青い瞳が私を捉える。メレフは人と話す際、いつも瞳を直視する。その視線が怖いと言う人もいるけれど、私はこのまっすぐな視線が好きで好きで仕方ない。


「はい、もちろんです」

 嬉しくて嬉しくて、私は扇で表情を隠すことも忘れて笑顔で答えてしまった。メレフが一瞬だけ驚きの表情を見せ、また冷静な表情に戻る。

 

「……私は貴女の想いに応えることはできません。形だけ……貴女に恥をかかせない最低限のことしかできません。それでもいいのですか?」

「構いません」

 ずっと憧れていたメレフから求婚されると思うだけで、私の心は地を離れて空を飛んでいる。


「……わかりました。それでは、始めましょう」

 目を伏せて溜息にも似た息を吐き、メレフはソファから立ち上がった。


 求婚の儀式は滞りなく終わり、私はメレフに連れられて公爵家へと向かった。

 公爵夫妻は、突然現れた私をとても歓迎してくれた。貴族は一年の婚約期間を取るのが一般的だけれど、半年後という異例の速さで春に結婚式を挙げることになった。


 この国では、男性が自分好みの婚姻用ドレスと婚姻の腕輪を用意することが決まっているのに、メレフは私の好みを最優先してくれる。仕立て屋や宝石職人を呼び、私の希望を聞きとらせて注文された。


 慌ただしく結婚の支度が進む中、私はふわふわとした夢の中にいるようだと感じていた。何度もメレフと会い、婚姻式やお披露目の相談を行う。私の希望がすべて盛り込まれ形になっていく。


 半年の間、婚約者として公式の場にも出るようになった。騎士であるメレフは参加できないことが多いので、公爵夫妻に付き添われての参加だ。


 公爵夫妻は顔を合わせる度にメレフをよろしく頼むと私に仰る。公爵の兄である王と王妃にも祝福され、大勢の貴族からも祝いの手紙や贈り物が次々と届けられた。多くの人々から祝福される喜びは、表現しようがない程に心を浮き立たせるものだった。



 春になり、雲一つない青空の下で婚姻式が行われた。空には赤い月と緑の月、小さな白い太陽が輝いている。


 この国の貴族の婚姻式は王城の広場で行われる。参加者は階級によって区別され、公爵子息のメレフの結婚ということで伯爵家以上の者に限られた。


 繊細なレースを贅沢に使用した赤いドレスとメレフの鍛えられた体を包む黒い婚礼用のロングコートは私の夢の結晶だ。


 王族と大勢の貴族に見守られ、壇上で互いに婚姻用の腕輪を嵌める。金の腕輪に美しいエメラルドがあしらわれた意匠は私が選んだ。メレフの髪色とメレフが好む緑。彼はサファイアが苦手なのだと思う。特に彼の瞳と同じ色のサファイアは視界に入れるのも苦痛らしい。


 婚姻式が終わると屋根のない馬車に乗って王都を走るお披露目が行われる。美しい白馬が引く白と金の馬車はお伽話のような光景だ。


 沿道には非常に多くの人々が押し寄せていた。平民だけでなく、下級貴族階級と思われる女性たちの姿も見える。恐らくは結婚の祝いというよりも、メレフの姿を見に来た人々なのだろう。


 道に並ぶ街灯に設置された籠が揺らされて、さまざまな花が撒かれて美しい。色とりどりの花びらが雪のように降り注ぐ中、馬車はゆっくりと進んでいく。


「大勢の方が祝って下さっていますね」

「……そうですね」

 隣に座るメレフは少し固さがあるものの、朝からずっと笑顔だ。常とは違う、柔らかな空気をまとう姿は初めて見る。


 腕に抱き着いて見上げると、メレフの微笑みが返ってくる。

 十年間、夢に見続けた光景が現実になっている。

 嬉しさが胸の奥からこみ上げて、目から涙が溢れた。


「……何故、泣くのですか?」

 メレフがそっと私の涙を指で拭う。その温かさにまた、涙が零れる。

「嬉しいのです。ずっと夢見ていたのですもの」


 世界一幸せな花嫁というのは、きっと私のことだ。

 大好きな人が隣にいる。それだけで、こんなにも嬉しい。そう告げるとメレフは少し困ったような顔をして、また優しい笑顔を見せる。



 休憩を挟みながら王都を隅々まで回り、夜に公爵家の敷地内にある離れへと向かう。ここは代々の公爵家跡取りが住む屋敷だ。魔法灯で浮かび上がる美しく整えられた庭には華やかな春の花々が咲き乱れている。


 馬車を降りた途端、ふわりと抱き上げられた。馬車での結婚お披露目の後、花嫁を抱き上げて寝室まで運ぶという慣習は、ドレスが豪華に重くなった今では行われることが少ない。


「心配なら、首に腕を掛けて下さい」

「メレフ様なら、きっと大丈夫です」

 

 抱き上げられたまま使用人たちが並んで迎える玄関ホールを過ぎ、歴史を感じる重厚な飴色の階段を一段ずつ上がっていく。その足取りはしっかりとしていて不安は感じない。


 寝室の扉が従僕によって開かれて、また閉じられた。

 メレフと私の二人だけ。毛足の長い絨毯の上に優しく降ろされて、私の胸が高鳴る。


「…………これで満足しましたか?」

 メレフが深い溜息を吐き、まとっていた柔らかな空気が冷え冷えとしたものに変化した。


「え?」

 先程までとは別人としか思えない。鋭い視線で射抜かれたようで、私の体は動かない。


「噂の責任を取って結婚はしましたが、貴女を抱くことはできない。それが嫌なら、離縁するか愛人でも作って下さい。子供は認知します」

 メレフは冷たく言い放つと、寝室の目立たない扉を開けた。狭い空間に小さなベッドが置かれているのが見える。おそらくは従僕か護衛の控え部屋だ。


「私はこちらで就寝します。ベッドは自由に使って下さい」

「待って下さい……!」

 私の制止の声も聞かずにメレフは扉の中へと消え、鍵を掛ける音だけが響く。 


 世界一幸せな花嫁だった私は、たった独りで初夜を過ごした。

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