孤高の騎士は愚かな令嬢に囚われる ―R15版―

ヴィルヘルミナ

第1話 愚かな計画

「申し訳ありませんが、私は貴女の好意にはお応えできません。誰とも結婚するつもりもないのです」

 金髪に青い瞳の凛々しい騎士は、私の瞳を真っすぐに見つめている。常に騎士として正しくあろうと努力する彼は、孤高の騎士と呼ばれて尊敬の念を抱かれている。


 春の温かな日差しが降り注ぐ王城の裏庭、美しい白薔薇が咲き乱れる中で、私――マリーナ・ラフマニンは彼に想いを告白していた。この日の為に誂えた渋い緑色の控えめなドレスは彼が好む色だ。


「メレフ様、公爵家のお世継ぎはどうなさるのですか?」

 このカデットリ王国一番の剣技を持つ騎士は、メレフ・プラヴィノフ。公爵家の一人息子だ。青紺色の騎士服は彼にだけ許された騎士の正装。他の騎士たちの服は黒い。


「……養子を取ることになると思います。私も養子ですから」

「子供を作る為でも構いません」

 私は言葉を重ねた。侯爵家の娘である私なら身分は問題ないはずだ。


「無理です。……想い人がいるのです」

 青い瞳が逸らされて長いまつ毛が瞳に陰を作る。初めて聞く想い人という言葉に私は動揺するしかない。今年二十三歳になるメレフには一切女性の影が無かったから、こうして告白したというのに。


「……それでは、失礼します」

 驚きで声を失った私を置いて、彼は去って行く。脚も動かず拒絶の背中を追うことができない。


「私は絶対にあきらめませんわ」

 受け取ってもらえなかった手巾を握りしめながら、彼の背中を私は睨みつけた。 



 少し昔、この国の優しく美しい王女が平民の男に恋をした。男は幼少の頃から努力を重ねた苦労人。平民でありながら王都の学校で優秀な成績を修め、王に認められて公爵となり王女と結婚した。


 二人は息子を授かり幸せに暮らしていたある日、馬車の事故で息子を残して死んでしまった。美しく悲しい結末を迎えた王女と平民の恋は、お伽話のように語り継がれている。


 メレフはその残された一人息子。両親が亡くなった後、王女の兄に引き取られ公爵家の養子になり、十六歳で騎士になった。


 プラヴィノフ公爵家の跡取りでありながら、危険と隣り合わせである騎士になることに周囲は驚き、反対の声を上げた。それでも騎士になることが出来たのは父である公爵の後押しもあったと聞いている。


 私は昔、メレフに助けられたことがきっかけで、想いを寄せるようになった。何度も諦めようとしたものの、どうしても消せない想いが私を駆り立てている。



 二カ月後、私は友人の家でお茶を飲み、メレフに告白したことを話していた。

「……マリーナ……それでは、五回も告白なさったの? ……そろそろ諦めた方がよろしいのでは?」

 幼い頃から友人でもあるイネッサが苦笑する。子爵家の第三子だった彼女は、昨年結婚して今ではコルスン侯爵夫人だ。


 優雅に微笑む彼女は幾つもの恋を経験している。もちろん清らかな恋ばかりだ。恋愛と結婚は別というのが口癖で、ある日突然十三歳年上の侯爵の求婚を受け入れた。


 当時の彼女には結婚を考える程の相手がいたのに、あっさりと切り替えてしまった。私には理解できなかったものの、手が届く最上の相手を選ぶことが貴族の娘の運命だと彼女は笑っていた。


 階級と収入を考慮して相手を選ぶ。それが将来の安泰に繋がるということは、頭では理解している。子供を作り血を残すことが、貴族の女の最大の役割だ。

 穏やかに微笑む彼女の様子を見ていると、幸せな結婚生活なのだろうと推察できる。


「諦めることができるなら良いのですけれど」

 深い溜息を吐いたことに気が付いて、慌てて扇で口元を隠す。貴族女性が人前で強い感情を見せることは不作法だ。


「今更隠さなくともよろしくてよ。それにしても長い片思いですわね。そろそろ十年かしら」

「ええ。次の新年の祝いがくれば十年ね」

 彼女とは長年の付き合いだ。私は扇をテーブルに置き、紺碧色の髪を指に絡める。貴族の中では珍しく平民に多い色合いの髪は、昔は劣等感の象徴だった。


 この国の貴族は彼女や私の父母のように銀髪に青い瞳の組み合わせが一般的だ。私の曾祖母譲りの紺碧色の髪と紫の瞳、メレフの金髪に青い瞳は非常に珍しい。


「貴女のお父上がよくお許しになっていますわね」

「家は長兄が継ぎますもの。次兄もおりますし。私が公爵家の一人息子と結婚する可能性が万に一つでもあるのならと思っていらっしゃるのですわ」


 この国では第一子のみが爵位を継ぐことができる。長兄には二人の子供がおり、次兄はすでに別の侯爵家に婿入りしている。家と血を残すという点では、私は必要とされていない。


「今年二十二歳になるのでしょう? そろそろ少女のような夢を見るのは難しくなりますわよ」

 イネッサの言葉はもっともだ。この国の貴族の女性の結婚適齢期は十八歳から二十二歳。その時期を逃せば条件が格段に悪くなる。


「わかっていますわ。ですから……協力をお願いしたいの」

 私は計画を彼女に打ち明けて、協力を求めた。



 夏になると王都から少し離れた湖水地方へと避暑に向かうことが貴族の恒例行事だ。伯爵以上の家は別荘を持っており、それ以下の下級貴族は宿に泊まるか上級貴族の屋敷へと招かれる。あちこちの別荘では茶会や夜会が行われ、賑やかな季節を彩っている。


 現在十五歳になる第一王子の護衛として勤めるメレフも、王子と共に避暑に訪れていた。


 私はイネッサに頼んで、夫のコルスン侯爵の名前でメレフを呼び出した。早朝の湖岸、朽ちかけた小さな桟橋で淡い水色のワンピースを着てメレフを迎える。

 休日のはずなのに、メレフは長袖の青紺色の騎士服をきっちりと着込んでいた。


「メレフ様、おはようございます」

「……また貴女でしたか。私の答えは同じです」

 メレフが微かに溜息を吐く。六度目となる私の待ち伏せに、迷惑だという感情がにじみ始めている。これまでは感情を示すこともなかった。


「ええ。理解致しましたわ。ですから、最期にお別れを」

 私が微笑むとメレフが訝し気な表情を見せた。


 私はメレフに背を向けて湖へと向かって歩く。桟橋の端から湖水に落ちるまでは十歩だ。背筋を伸ばし前だけを見て歩く。足元からはみしみしと板が軋む音がする。怖いけれど大丈夫。きっとメレフは助けてくれる。


「危ない! エミーリヤ!」

 メレフの悲痛な叫びの直後、私は温かな腕に背中から抱きしめられた。エミーリヤというのが、彼の想い人の名前なのだろうか。できれば、自分の名前を呼ばれたかった。


「離して下さい。メレフ様には関係ありませんわ」

 私は腕を解こうとするけれど、びくともしない。

「関係ない!? 目の前で死のうとする人間を止めない者が、どこにいるというのです!?」


 彼と会話を交わしながら、私の心は焦りに満ちていた。早く。早く来て欲しい。

 無理に前に進もうとすれば、ますます強く抱きしめられる。初めての感触は温かくて心地いい。もっと抱きしめられたいと思いながら、私は抵抗するふりを続ける。


「!」

 暴れるうちに足元の板の一枚が音を立てて砕け散った。メレフは私を背中から抱えるようにして後ろへ下がる。


「あら、マリーナ? 一体、どうなさったの?」

 イネッサの声の方向、岸辺に顔を向けたメレフの体が大きく震えた。


 そこにはイネッサと夫のコルスン侯爵、数組の貴族の夫妻が散歩着で佇んでいる。ここは散歩道からは少し外れた場所だ。イネッサに無理をお願いして、日課である早朝の散歩の道順を変更し、他の貴族を誘ってもらった。


「おやおや。孤高の騎士に秘密の恋人がいたとはね」

 コルスン侯爵が少々おどけた調子で口を開く。侯爵はこの計画を知っていて、目撃者として一番適した者を連れて来ると約束してくれていた。


「待ってください。それは誤解です」

 メレフの声は静かで冷静だ。このままではメレフの言葉の方が信じられてしまうかもしれない。緩んだ腕から飛び出して湖へと足を進めると、引き戻されて更に強く抱きしめられた。


「誤解ではないようですわね」

「言い訳は見苦しいぞ」

「痴話喧嘩かね?」 

 貴族たちが口々にメレフをからかう。日頃非の打ち所がない孤高の騎士が女を抱きしめているという状況は、刺激的で面白いと受け止められたようだ。


 目撃者の中に、貴族の中で一番口が軽いと言われているエルショフ伯爵夫人の姿も見える。この夫人に何かを知られれば三日で貴族に、十日で国中に噂が広まると恐れられている。


 私の計画通り、貴族に目撃されることに成功した。ここ数日の緊張が一気に解けて、意識がふわりと闇へと落ちて行く。地に沈みかけた体は、しっかりと温かい腕で支えられた。


 想像していた通りだ。彼は昔と変わらず、優しくて温かい。


「……まさか! 貴女が!?」

 驚愕の表情を見せるメレフに微笑んで、私は意識を手放した。

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