第18話 好きな人の好きな人



朝だ。ぼんやりしながらキッチンに立っていたら、いつのまにか現れた黒瀬さんが笑いながら近づいてきた。



「リュウくん、どうしたの?お湯、とっくに沸いてるよ」



その言葉で我に帰った。あっ、と声を出し、慌てて火を止める。コーヒーを淹れようと思っていたのに、いつからこうしてぼーっとしてしまっていたのだろう。



黒瀬さんはにっこりと微笑みながら、僕の耳元に顔を近づける。



「ちなみに冷蔵庫も開いてるし、バスルームの水も出っ放しだったけど?」

「えっ」

「心ここに在らずって感じだなあ。なにかあったの?……たとえば、昨日の夜とか」

「……っ!!」



瞬間、頭に血が上り、思わずそばにあったゴミ箱を蹴飛ばした。ガン!と大きな音がする。まるで威嚇のようだ。わあ、怖い怖い、と笑いながら、黒瀬さんは身を翻し、自室に戻って行ってしまった。

からかっているのだ。あの最低な人間に、俺はいつものように弄ばれている。



ひとりになったキッチンで、食器棚を背に、ずるずるとその場にへたりこんだ。



『愛してるよ、リュウくん』



昨夜、そう動いたはずの、黒瀬さんの形のいい薄い唇。

次の瞬間には、俺の唇に重ねられていた。

僕は呆然としたまま、ただ身を固くして切望していた。



その言葉が、本当になればいいのに。

その言葉が、本当になればいいのに。


神様。





……みじめだ。

虚言前提だと認めた上で、みっともなく哀れなことを願ってしまう俺。二度とそんな思いをしなくて良いように、あの大人のことを心底嫌いになれたらいいのに。



あの人の甘い言葉に容易くほだされて、こうしていつもグチャグチャになり、放り出されるのだ。







「実はリュウくんが休暇をとる日にね、玲子と会うんだ」



俺が動揺する様を見て楽しみたかったのだろうか。隠し通すだろうという予想を裏切って、ある午後、買い物を頼む時のようにあっさりと黒瀬さんは打ち明けてきた。



「……そうですか」



感情を込めないよう細心の注意を払いながら呟く。僕が泣き崩れるのを期待でもしていたのか、黒瀬さんは大して面白くもなさそうな表情で続けた。



「なにその反応。つまんない」

「ついにはっきり言いましたね、本音を」

「ついにって何?俺はいつもリュウくんには本音を言ってるよ」



そう言い切ると、意味深な笑みを向けてくる。僕はぐっと言葉に詰まった。



「いつも、って、」



よせばいいのにまた思い出していた。無意識に。あの夜のことを。



『愛してるよ、リュウくん』



……じゃああれも本音?そんなまさか。

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