第17話 好きな人の好きな人


「……やっぱり休暇、もらうことにします」



散々迷ったすえ決めたのに、口にした瞬間後悔の念が押し寄せた。提案した張本人のくせに、黒瀬さんも意外そうな顔をしているのがかんに触る。夕食後、ふたりでリビングで紅茶を飲んでいた時のことだ。



「本当にいいの?」



いいわけないだろ。悔しい。悔しくて気が狂いそうだ。でも、俺がいる目の前でレイコと意味深な微笑みを交わされるくらいなら、最初からこの家になんかいない方がましだ。



そもそも俺が休暇をあのまま突っぱねていたら、黒瀬さんはレイコをきっとこの家には呼ばなかったような気もする。出かけてくる、と言い残し、逆に二日間俺をこの家にひとりで置き去りにするのだ。その間、俺はがらんとした家の静寂の中で、あらゆる想像をし尽くし、嫉妬に気が狂いそうになるだろう。だったら自分から出た方がましだ、という結論に至っただけだ。



「……いいです」



負けた。と思ったけど、俺とレイコはそもそも同じ土俵に立ってなどいない。俺は初めから黒瀬さんに愛されてなんかいないのだから。



「日付、いつですか?」



白々しく尋ねる俺に、黒瀬さんはいつもの冷たい微笑みで返す。あまりにもあっさりと言うものだから、ああ、と、うずくまりたい気持ちになった。



「ーー日だよ」



やっぱりだ。カレンダーに、0と書かれていた日。レイコがやって来る日。



「わかりました」



俺はどうしてこの人から離れることができないんだろう。ここには俺の望む幸せなんかありはしないのに。







それは月の綺麗な夜だった。カーテンを閉めて電気を消した寝室にも、煌々とした月の光は薄く忍び込んでくる。



はじめは、黒瀬さんの腕の中で、寝入り端に見た夢かと思った。




「リュウくん、起きてる?」

「……眠れないんですか?」

「いや」



なぜか否定をして、黒瀬さんは黙りこくった。俺はまどろみながらもうっすらと瞼を開けて、抱きしめられたまま、身を捩って彼の顔を見た。細く開いた黒瀬さんの瞼の隙間から、きらきらした薄茶色の瞳が窓の方を見るともなく見ている。



「リュウくんってさ、健気だよね」

「なにを今さら」



黒瀬さんのとりとめのなさにはもう慣れている。だから鼻で笑ってやった。しかしまったく意に介さずに、彼は続ける。



「ねえ、俺のことが好き?」

「嫌いです」

「……ふふっ」

「なに笑ってんですか?」



頭に来たので、抱きしめられた身体を押し戻すようにして身を離した。大嫌いだ。俺が嫌いだと言ってもどこ吹く風で笑っている、そんな黒瀬さんなんか。



一瞬の沈黙ののち、黒瀬さんが身を起こした。あまりの唐突さに俺は警戒したが間に合わず、馬乗りになられてしまう。両腕を押さえつけられた。



「はっ……?!離せっ」

「……俺はね、怒ったよ。嫌いだなんてひどいじゃないか」



俺に覆い被さるようにしてそう言う黒瀬さんは、穏やかに微笑んでいるのに目の奥は笑っていなかった。そのアンバランスさにぞくぞくした。黒瀬さんは怒っている。一体なぜだろう。押さえつけられた手首がじんと、痛む。



「愛してるよ。リュウくん」



そのまま身をかがめて、そっと、キスをされた。

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