第9話『告白』




 ヒナコの電話を受け、テツヤは迅速に行動した。


 テツヤは共に遊びに来た女子二人に急用ができたことを告げ、今日はそこでお開きとさせてもらい、直ぐにヒナコの下へと向かった。


 ヒナコが語る断片的な情報から居場所を割り出し、全力でそこへと駆け付けたテツヤ。


「ヒナコ!!」


 聞いた話から察するにこの近くにいる筈だと、テツヤが大声でその名を呼ぶ。周りの通行人からは何事かと見られるが、気にしている場合ではない。


 すると、一つの路地の向こうから、確かに返答らしき声が聞こえてくる。


「でづぐっ――でづぐぅんんっ!」


 血を滲ませた擦り傷と、赤黒い打ち身、そして、片頬を赤く腫らしたヒナコが、ぴょこぴょこと片足を引きずりながら、テツヤに向かって懸命に両の手を伸ばして現れた。


 テツヤはすぐさま駆け寄って、彼女を抱き止める。


「ふぐぇえ……っ、でづぐぅぅ……っ」


 周りの通行人が、皆例外なくテツヤとヒナコを一瞥して通り過ぎて行く。


 数多の視線を感じつつ、テツヤはヒナコが落ち着くまでその胸を貸し続けた。


 それから、時間にすると僅か数分程度、テツヤに会えた安心感も多分にあって、ヒナコの嗚咽も早々に収まった。


「えっと、本当に負んぶで良いの?」


 一応、ヒナコの身体を調べたところ、怪我は打ち身や擦り傷、捻挫だけのようで他に乱暴された形跡はなかったが、テツヤは心配だった。


「うん、おんぶが良い、おんぶしてぇ……」


 本来ならば、それこそタクシーを使うか親を呼ぶべき場面だし、何より病院に行くべきだろう。テツヤもそう提案したのだが、ヒナコがこれを断固拒否。代わりに彼女は物欲しそうな目をテツヤへと向けた結果――テツヤは今、ヒナコを負ぶって家まで送り届けている最中だった。


「あのね……テツくん、聞いてくれる……?」


 その言葉を皮切りに、ヒナコの口から事の顛末が語られ、聞いたテツヤの胸中にはユウトと自分自身に対する怒りが渦巻いた。


 苦渋に顔を歪め、肺腑から鉛のような空気を吐き出すテツヤ。


 ヒナコを助けることができなかった――その一念が、脅迫的な罪悪感となって圧し掛かり彼の精神を摩耗させる。


 また、幼少からの習性も加わって、彼にとってヒナコの助けになることは、もはや自己の確立や存在意義の一部であり、それが成されないということは半身を削がれるような喪失感を伴うこと。


 テツヤはそういった自己の性質の危うさを自覚しながらも、ヒナコを守るべき別の誰かが現れるまでは……などと考えたところで、一抹の寂しさを感じた。


 胸に迫る寂寥は、父が娘を、兄が妹を送り出すが如く――ここ最近、テツヤがヒナコに感じていた情動と同類の物であり、彼もそれを理解した。


 ヒナコを思う気持ちは恋愛感情に非ず、現時点でのテツヤは、彼女を家族に近い感覚で据えていたのだ。


 では、ヒナコの方は――。











 テツヤの背で揺られながら、ヒナコは目尻に熱いものさえ浮かべながら深い安堵を噛み締めていた。


 ヒナコはテツヤをもっと感じられるよう身体を押し付け、少し汗ばんだ首筋に顔を埋めて匂いを嗅ぐ。すると、脳が痺れて胸奥が熱くなるような、圧倒的な多幸感が全身に広がった。


そんな至福の一時に、電子音が鳴り響く。


「……電話?」


「うん、もう直ぐ着くから、後で掛け直すよ」


 そうは言われたものの、ヒナコは何とかテツヤの役に立ちたくて、テツヤの胸ポケットに手を這わせ、電子音を奏でるスマホを取り出した。


「私が持ってるから、出て?」


 テツヤの背中から降りるという選択肢はないらしく、スマホを操作してテツヤの耳に宛がうヒナコ。


 テツヤは苦笑いを浮かべながらも、ヒナコの言う通りに電話に出る。


「もしもし?」


『あ、テツヤ君。今日はどうも~』


 本日、テツヤと出掛けた友人の内の一人からだった。


 テツヤの背後で、ヒナコが密かに息を飲む。


『テツヤ君、今ちょっと話しても大丈夫?』


「あー……長くなるようならこっちから掛け直すよ?」


 暗に、今長話は難しいことを伝えるテツヤ。


『じゃあ、手短に話すね。本当は電話じゃなくて直接言うべきなんだけど、勇気が出ないから――』


 えへへ、と照れたような笑いがスマホから聞こえてくる。


 その雰囲気に、ヒナコは何か胸騒ぎを覚え、スマホを握る手に力が入った。


『えっと、ずっとテツヤ君のことが好きでした。良かったら、私と付き合って下さい』


「え……」


 突然の告白に、テツヤが返答に窮する。


『あ、待って待って!答えは明日以降にして!それじゃあ、またね――』


 一方的に告げられて、通話は切られた。


「参ったな……」


 呟きは素っ気無い程だったが、テツヤの耳が赤く染まっていることが、背後のヒナコには良く分かってしまう。


 ヒナコの脳裏に、テツヤと電話の女子が寄り添い合う姿が思い浮かび、その胸中を滅茶苦茶に掻き乱した。


 テツくんが、他の女の子と付き合っちゃう――ヒナコは総毛立ち、ブルリと身震いした。


「て、テツくんっ……今の子と……つ、付き合う、の……?」


 酷く狼狽するヒナコ。


「分からない、でもちゃんと考えるよ」


 その返答に、ヒナコが、ひぅ……と息を飲む。


 どうしよう、どうしよう――身を焼くような焦燥と凍り付くような恐怖がヒナコの中を駆け巡る。


「わ、私ねっ……テツくんと、ね……ずっと、一緒に……居たい、な……」


 引き攣り、震える声で、とにかく彼を繋ぎ止めようと必死だった。


 しかし、如何なテツヤと言えど、今この時ばかりは冷静ではいられない。


「……ああ、うん。ヒナコに彼氏でもできるまでは――」


 先程、ヒナコの助けになること自体に執着し、依存している自身の危うさを自覚した所為かもしれない。テツヤは無意識にそう答えていた。


 見開かれたヒナコの双眼が、また潤みを帯びて揺らぎ始める。


 断られちゃった、嫌われちゃった――そう混乱を極めるヒナコの頭蓋には、暴力のトラウマと共に刻まれた呪いの言葉が蘇る。


 ――テツヤのこと好きなんだろ?惚れてんだろ?でもな!お前なんかじゃ絶対にテツヤは無理だから!


 ユウトが残していった怨嗟の叫びが、ヒナコの中で何度も響き渡って、それが一つ響く度に、自分のテツヤに対する感情と欲求を自覚していく。


「あ、あのっ……て、テツくんっ……ごめっ、ごめんねっ……ごめんなさいっ……最近、酷いことばっかりしてっ……ゆ、許して、許してよぉ……!」


 自身の心根を知った今となっては、最近の己の所業全てがテツヤに嫌われるものに思えてならなかった。


 端から見れば、微笑ましい程に幼稚な意地張りか、テツヤにやきもちを焼いて欲しいだけの稚拙なアピールだと丸分かりだったが、本人にしたら非常に深刻だった。


 ヒナコは憐れな程に震えながら、縋り付くようにテツヤの身体に回した手足に力を籠める。


「え、ヒナコ……?」


 事情の分からないテツヤは戸惑いの声を上げる。


「て、テツくん……あの子と、付き合っちゃ……やだよ……っ」


 そんなことを言う資格などないし、言う自分は嫌な子だとも思ったが、ヒナコは精一杯に哀願し、媚び、縋り付いた。


「おねがい……私の方が……テツくんのこと、大好きだよぉ……っ」


 声が頼りなく揺らぎ、テツヤの肩口に涙が落ちる。


「なんでも、するがら……っ、テツぐんっ……私、じゃっ……やかも、しれないげど……え、えっちな……こど、だっでっ……っ」


 その消え入りそうな声に、テツヤは胸を締め付けられた。


 ヒナコを助けたい、助けなければならない――幼少から己に刷り込み、刻み込み、作り上げて来た本能が、事を成せとテツヤを突き動かす。


 しかし、ここで場当たり的にヒナコを受け入れて、後々に彼女を傷付けることになりはしないだろうか――と理性の部分が待ったを掛ける。


「でづぐん……すき、だいずぎ……っ、ずっど、いっしょっ……いでぇ……っ」


 なんとも情けなく、悲哀に満ちた求愛だった。


 それを聞き、テツヤは覚悟を決める。


「ヒナコが……俺で良いなら……喜んで――」



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