第8話『トラウマ』




 スポーツ用品店を出たテツヤは、混雑するモール内に目を向けた。


「やっぱり休日だし混んでるなぁ」


 テツヤが呟くと、彼の両隣からも同調の声が上がった。


「この辺りで遊ぼうと思ったらここか駅前ぐらいだしねぇ。さっき陸上部の先輩達も来てるの見たよ」


「どうしても行き先が被っちゃうんだよねぇ」


 テツヤは笑い合う二人に歩調を合わせつつ、だったらヒナコも来ているかもしれない、と思った。


「あはは、テツヤ君も知り合い探してる?」


「キョロキョロして、なんか可愛い」


 そんな二人の言葉に、テツヤが苦笑いを浮かべる。


 昨晩、テツヤは自分の行き先をヒナコに伝えたが、逆にヒナコの行き先は聞いていない。


 いや、もし行き先が同じこの場所だったとしても、この人混みからヒナコを見付けるのは至難だろう。


 それこそ、会えたら奇跡だな、とテツヤは笑う。


「そういえば、今って何時くらい?」


「えっとねぇ……」


 友人の一人がハンドバッグからスマホを取り出そうとするのを、テツヤがやんわりと制し、自身のポケットからスマホを出し電源ボタンを押す。


 画面が点灯し、時刻と共に表示されたのは、一件のメール通知だった。


「テツヤ君?」


「どうしたの?」


 画面を見たまま動かないテツヤに、二人が揃って首を傾げる


「ああ、いや、今ちょうど午後四時半だね……」


 確認した時刻を伝え、テツヤは二人に向き直ってこう言った。


「ごめん、ちょっとだけ電話して来ても大丈夫かな?」


 スマホを両手で挟み、拝むようにして許しを請う。


「もちろん、どうぞどうぞ」


「気にしないで行って来て、私達この辺のお店見たりして待ってるから」


 二人の気遣いに感謝しつつ、テツヤは通路の端に身を寄せ電話を掛ける。


 少しだけ、嫌な予感がした。


 テツヤの頭の中では、先程来ていたメールの内容が反芻される。


 ――テツくん、今どこにいるの?


 耳元では、コール音が鳴っている。











 モールから約数分、朝に待ち合わせた場所まで戻って来たユウトとヒナコ。


「おい、早く降りろ」


 そう命ずるユウトの手は、未だ枷のようにヒナコの腕を拘束しており、タクシーの運転手も怪訝そうな目でユウトを見ている。


 まるで引っ張り出されるように降車するヒナコが、掴まれた腕の痛みを訴える呟きを漏らしても、ユウトの耳に入らないのか、取り合わないのか、彼は焦れたように言い放つ。


「もたもたすんなよ!」


 すれ違う通行人が何事かとユウトを見るが、今の彼に周りを気にする余裕はなく、とにかくヒナコを目的の場所へ連れ込もうと必死だった。


 早くしないとテツヤに追い付かれる、止められる――ユウトの内に渦巻くのは、そんな病的なまでの妄想。


「ユウト、くんっ……待ってっ……早い、よぉ……っ」


 ヒナコの歩幅など無視したユウトの歩みに、ヒナコは先程から幾度となく転びそうになっており、体制を立て直そうにも拘束された腕を力任せに引っ張られ、それもままならない。


「チッ――早く来い!」


 と、ユウトが一層強くヒナコの腕を引っ張って、ヒナコはスファルトの地面にベシャリと転んだ。


「いっ、だぃっ……っ」


 情けない声を漏らし、ヒナコは涙目になって顔をくしゃりと歪める。


「さっさと立てっ!そこに入んだよっ!」


 ユウトが指し示す先には、アーチ状の入り口と、その脇に、休憩、宿泊、などと書かれた値段表。外からの視線を嫌う高い塀の全面はどこか白々しいクリーム色。


 ラブホテル――いつの間にか、ユウトの目的地まで目前だった。


「うっ……いだっ……痛いよっ、ユウトくんっ!」


 転んだままの状態で引き摺られ、地面でやすり掛けされた肌は擦り傷を負い、肘からは血が滲んで、打ち付けた膝は内出血で赤黒く変色している。


 まるで交通事故にでもあったかのような痛ましい姿だが、その原因を作ったユウトは身勝手な怒りに声を荒げる。


「早く立って歩けよ!」


 もはや彼の頭には、テツヤが来る前にヒナコをホテルに連れ込む、その一念しかない。


「や、やだよぉ……だって、あそこって……っ……行きたくないよぉ……っ」


「ふざけんなっ!俺に付き合うって言っただろうがっ!!」


 激高したユウトがその手を振り上げ、ヒナコの頬を強かに打ち付ける。


 あまりに現実感のない仕打ち。


 ヒナコの張られた頬が、じりじりと灼熱を帯びて行く。


「うぁ……っ、ぐ……うぅっ……で、んっ……でづぐっ……っ」


 衝撃で地面に伏したヒナコから悲痛な嗚咽が漏れ始めた。


「泣くなよウゼェなっ!さっさと来いよっ!!」


 尚も伸びてくるユウトの手が、ヒナコを再び捕らえた。


「やぁだぁっ!でづぐんっ、でづぐぅうんんっ!!」


 子供の頃からの習い性で泣きながらテツヤを呼ぶ。


 昔はもっと感情の起伏のない子供だったが、それでも泣いた時に助けを求めるのはテツヤだった。


 人通りの少ない場所とはいえ、遠巻きにこちらを見るような人影も見え始める。


 そこに、全てを現実に引き戻すような軽やかな電子音が流れて来た。


「ぶぇ……っ、でづぐんっ!でづぐんんっ!」


 ヒナコの必死な様子に、それが電話の着信音で、しかもテツヤからであることが伺えた。


 それを見たユウトは、大きな混乱の元につんざくような叫びを上げた。


「ッ――ウゼェんだよっ!お前もテツヤもっ!!!」


 そして、もうどうにでもなれと、精々混乱しろと、ユウトがその核心に触れる。


「お前さぁ!テツヤのこと好きなんだろ!?惚れてんだろ!?でもな!お前なんかじゃ絶対にテツヤは無理だから!精々後悔しろや馬鹿女が――!」


 そう叫んで、ユウトは足をもつれさせながら走り去って行く。


 今の言からも伺い知れる、ユウトが最も執着しているのはテツヤの存在に他ならず、その証拠に転校当初もヒナコのことは忘れていても、テツヤのことは忘れもしなかった。


 詰まるところ、ユウトのテツヤに対する、憧憬や劣等感、執着や嫉妬といった複雑に絡み合う耐え難い激情が、今回の蛮行を引き起こし、ヒナコは見事にその煽りを食ったのだ。


 一人残されたヒナコは、地面に座り込んだまま、震える手でスマホを取り出す。


 ヒナコは電話に出て一言。


「でづぐん、いだいよぉ……っ」



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