第7話『迷子』
ヒナコが所望した行先は、スポーツ用品店と本屋だった。
ユウトは悪態をついたが、ヒナコはしょぼくれながらもお願いし、何とか行くことを許された。
まずは本屋に着いたところで、ユウトがヒナコに声を掛ける。
「スゲー混んでるし、俺はそこの椅子で待ってるわ、早めに終わらせて声掛けろよ」
言うだけ言って、ユウトはスマホを見ながらモール内のベンチに腰掛ける。ヒナコは返事をしようと開き掛けた口を閉じてから、一人で本屋へと入っていった。
店内はやはり混雑しており、休日ということもあって家族連れが多い。本の陳列棚の前など、まさに子供とその親くらいの年恰好の客達が隙間なく並んでいる。
ヒナコはそんな店内を歩き回りながら、キョロキョロと辺りを見回した。
「えっと……あれ?……こっち……あ……いない……?」
その不安と焦りが透けて見える表情と、口から漏れ出る呟き、そして店内を必死に見回す動作は、まさに迷子そのもので、年が年なら直ぐにでもサービスカウンター行きだったことだろう。
周りの客や店員も、中高生くらいの少女が迷子の様相を呈していることに皆振り返って見ているが、当のヒナコには気にする余裕もなく、次にはもどかしそうにスマホを取り出した。
そして、僅かな逡巡の後に、一つだけメッセージを送るヒナコ。下がった眉尻に潤んだ瞳、下弦に結ばれた唇からは、彼女の悲痛ともいえる心情が伺える。
ちょうどメッセージを送り終えた瞬間に、ヒナコを呼ぶ粗暴な声が、書店内に響いて来た。
「おい、ヒナコ。さっさと次行くぞ」
入店からたった十分程度だが、ユウトが待ちきれずに呼びに来た。
ヒナコは暗い表情で俯いて、ユウトに続く。
通常、ここまで尊大かつ身勝手な振る舞いをされれば、誰だって怒って帰ってしまうというものだが、ヒナコの場合、その極端な程の人付き合いの経験の無さと、自身の気持ちを客観視することや伝えることにも慣れておらず、更にユウトの剣呑な雰囲気もあって大人しく従ってしまっている。
そんな状況の中、次にやって来たのはスポーツ用品店。
「次は早く終わらせろよ」
ユウトはまたしてもスマホ片手にその場から離れて行く。その手元の画面には、毒々しい程のピンクを背景色に、ホテル検索、の文字と画像付きの一覧が映し出されていた。
当然、そんなことは知る由もないヒナコは慌てて店の中へと入って行く。
先程の書店同様、スポーツ用品店もまた多くの客達で賑わっていた。
その中を、ヒナコは握り締めたスマホにときどき視線を落としては、何の通知も来ていないことに泣きそうになりながらも、懸命に店内をウロウロ、周りをキョロキョロ。
そしてついに、予感はあっても確証はなかった、目当てのそれに行き当たる。
「うぁ……っ、いたぁっ……っ!」
感極まったヒナコの視線の先には、混雑する店内であっても見間違おう筈もない彼の背中。
昨晩、少しでも彼の今日の予定を聞いておいて良かった、と心底思うヒナコである。
「テツくんっ……!」
親を見付けた迷子のように、必死に彼の下へと駆け寄ろうとするヒナコだったが、途中でその足が止まってしまう。
「ねぇテツヤ君、こっちのはどうかな?」
「うん、俺はさっきのよりそっち色の方が良いと思うな、良く似合ってるよ」
「いいなー、私も靴買おうかなー」
ヒナコが聞いていた予定の通り、テツヤはヒナコの協力者でもある女子二人と、スニーカーを取っ替え引っ替えしながら楽しそうに談笑している。
その光景に、今あの中に入っていってテツヤに邪魔に思われないだろうか、などという疑問が、より一際に強く心臓を打ち付ける鼓動と共に、ヒナコの中で鎌首をもたげた。
今までは、そんなこと考えもしなかったことなのに、今はテツヤに邪魔に思われることが何よりも恐ろしくて、ヒナコに行動をためらわせた。
ヒナコは胸苦しさを覚えて唇を噛み、胸元を押さえるように両手を添えて、そのままクルリとテツヤ達に背を向ける。
すると、そこにまたしても、痺れを切らしたユウトがやって来た。
「おい、ヒナコ!おせぇんだよお前、もう行くぞ!」
威圧するような声を響かせたユウトが、ヒナコの二の腕を強引に掴み上げる。
それを見た周囲の客からは、なぜこんな男が……と目に見えるような不満が立ち昇る。
デカデカとロゴの入ったブランド服に身を包んだユウトは、ヒナコの相手にはどう見ても不似合いで、見た目も言動も雰囲気も、粗暴に過ぎた。
ヒナコは追い詰められたように、テツヤの方へと縋るような目を向ける。
ユウトもそれに気が付いてヒナコの視線を追って見れば――。
「ッ!?――テツ、ヤっ……ッ!!」
途端に弱々しい声を漏らすユウト。
ここ最近持ち続けていた自分への絶対的な自信が……今日ヒナコを手に入れられるという確信が……テツヤの姿を見たことで一瞬で焦りに変わってユウトに襲い掛かって来る。
「ぃ、いたい、よぉ……ユウトくん……っ」
見れば、ヒナコが苦悶の表情をしていた。
ユウトは知らず知らずの内に、掴んでいたヒナコの腕を思い切り握り込んでいたのだ。
「い、行くぞ……!」
先程までの尊大さは鳴りを潜め、ユウトはとにかくその場を離れようとする。ヒナコが転びそうになろうともお構いなしにその腕を引っ張り店を出た。
「おいっ!約束通り次は俺に付き合ってもらうからなっ!!」
ユウトは怒りと焦りに燃える目でヒナコを睨み付け、決して逃がすまいとその腕を握り込む。
ヒナコは喉を引き攣らせ、恐怖に顔を歪めた。
「早く来いッ!」
ユウトはヒナコを引き連れて、ショッピングモールの前で客待ちしているタクシーに乗り込んだ。
一度タクシーで朝待ち合わせた場所まで戻り、そこから歩きでユウトが望む目的地までヒナコを連れ込む算段を付ける。別に全て歩きでも事足りる距離だが、ユウトはテツヤに追いつかれるような妄想に囚われ、車内でも振り返って後ろを確認する。
そんなユウトにビクつきながら、ヒナコは一人、どうしよう、どうしよう、と同じ思考を回し続けたのだった。
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