第4話『姦計と癇癪』




 ヒナコの誘いを受け、ユウトは内心で歓喜に打ち震えた。


 何せ、幼い頃には想像でしか手に入れられなかった少女が、今は自分の方から歩み寄って来ているのだ。


 と、そうは言っても、転校当初のユウトはヒナコの存在など完全に忘れていた。ユウトがヒナコに積極的に話し掛けていたのは、単に彼女が周りよりも一際可愛かったからに過ぎない。


 そんなユウトが、ヒナコの正体に気付き執着を思い出したのは、彼女の隣にテツヤの存在があったからに他ならない。


 忘れもしないユウトにとっての忌々しき存在は、相も変わらずその容姿と才覚を以って周囲を魅了しつつも、それを歯牙にも掛けず、一途な程にヒナコの世話だけを焼いていた。


 ユウトは過去の屈辱を思い出し、大いにテツヤを呪った。昔もテツヤの存在の所為で、自分はヒナコに近付く勇気も出せず、遠くから恨めしく見詰めるばかりだったのだ、と。


 不貞腐れたユウトの内では、もういっそヒナコを強引に奪ってしまおうか、という邪な考えさえ渦巻いた。


 故に、そのようなユウトに転機が訪れたのは、全くの偶然のこと。


 ある日、ユウトが昔馴染みのように振舞ったことが、タイミング良くヒナコの琴線に触れ、そこから急に懐かれたのだ。


 ユウトはその状況を利用してヒナコとの親交を深めつつ、注意深くテツヤとの関係の勘所を探った。


 すると、見えて来たのは、その清らかにも歪な二人の関係性。


 あれだけの長い時間と近しい距離を過ごして置きながら、テツヤとヒナコは本当に男女の仲ではないらしく、だがそれでいて、常に自分達の行動原理の中心には互いの存在を据えており、その不可解な関係性に、ユウトは軽く怖気さえ覚えたものだ。


 しかし、そんな調子であるならば、多少強引にでもヒナコを自分の物にしてしまおう。ヒナコを手に入れてこそ、あの忌々しきテツヤにも自分という存在を深く刻み込めるというもの。


 ユウトは獰猛な笑みを浮かべ、その手を伸ばして虚空を掴む。


 今やユウトにとってのヒナコの存在とは、勝利のトロフィーに他ならない。


 それに、例え問題が起きてもユウトの腹は痛まない。また親に頼んで転校すれば良いだけなのだから――。









 テツヤが帰宅した頃、外は既に薄暗くなっていた。


 一緒に帰って来た友人達との会話が弾み、気が付くとそんな時間帯だった。


 しかも、明日にはその友人達と出掛ける約束までしている。


「明日は何を着て行こうか……」


 テツヤは明日の服装に頭を悩ませつつ、自室に入って壁に手を這わせ照明のスイッチを入れる。


 すると、室内がパッと照らし出され、そこにいたのは、制服姿のヒナコだった。


「おかえり……」


 どうやら、日が落ちて暗くなった部屋の中で、電気も付けずにテツヤの帰りを待っていたらしい。


「ッ――び、びっくりした……ヒナコ、来てたんだ?」


 さすがのテツヤもその身を跳ねさせて驚いた。


「遅かったね……」


 ヒナコは辛気臭い声で呟いて、恨めしそうな目でテツヤを見上げる。


 テツヤはその咎め立てるような瞳に困惑しながらも、生真面目にも遅くなった事情を説明した。


「ああ、うん。俺も友達と一緒に帰って来たんだけど、ちょっと途中で話し込んじゃって、気が付いたらこんな時間になってたんだよ」


「どうして……?」


「え?」


「……なんでもない」


 ヒナコは俯いて、唇を噛み締める。いつも通りの落ち着いたテツヤの反応が、何かヒナコの悔しさを掻き立てた。


「あのねっ、私ね、明日ね、ユウトくんと遊びに行くんだよ?」


 その言葉に、今度はテツヤの眉間に皺が寄る。


 正直なところ、テツヤはユウトに対して警戒心を抱いている。というのも、ユウトはどこか軽薄かつ乱暴な感じがして、今はヒナコと仲良くしているが、最終的には傷付けるような気がしてならないのだ。


 もちろん、根拠もなくそんなことは言えないし、自分の思い過ごしかもしれない要らぬ心配の所為でふたの仲に水を差すのは、テツヤとしても望むところではない。


「そう、なんだ」


 テツヤは複雑そうな表情を浮かべ、言葉の歯切れも悪かった。


「うん、そうなんだよ?」


 ヒナコは上擦った声で答え、テツヤに近付いて覗き込むように顔を寄せる。いつもの愛らしいヒナコの顔が挑発的に歪み、なんとも妖艶な色付きさえ見せている。


 それに対し、テツヤは驚きに目を見開いた。


 ヒナコとは長年を共にしているテツヤだが、彼女のこんな表情を見るのは初めてだった。最近の初めて見せる行動、知らない表情、ヒナコの積極性は嬉しく思うものの、テツヤは彼女がどこか遠くに行ってしまったような物悲しさを覚えた。


「あ、ああ……そういえば、実は俺も明日出掛けることになったんだ」


 テツヤが、奇遇だよね、と取り繕うように笑い掛ける。


 すると、今度はヒナコがその表情を無くして固まった。


「なんで……?」


 誰と?とは聞かない。ヒナコは知っているからだ。こうなることも知っていて、あの女子二人に協力をした。


 なのに――どうしてあの二人と出掛けるの? 私はユウトくんと出掛けるんだよ? どうして何も言わないの? という理不尽な苛立ちが、ヒナコの頭蓋を駆け巡る。


 身勝手と分かっていても、自分の感情が抑えられない。思えば、高校に上がってからこんなことが多いヒナコ。今まで気にならなかったことが気になって、特にテツヤに関することで情緒不安定になる。


 テツヤとヒナコが互いに複雑そうな表情を浮かべ、暫しの間、無言で向かい合う。


 そして、先に静寂を破ったのは、意外にもヒナコの方だった。


「テツくんは……私がユウトくんと遊びに行くの、嫌だ……?」


 貧困な語彙力の所為で、子が親の気を引こうとするようないじらしい聞き方となってしまい、さすがのヒナコも羞恥に頬を赤らめる。本当ならば、駆け引きや遠回しに聞くなどしてテツヤの方からその答えを言わせたかったが、話下手な彼女にそんなこと望むべくもない。


「えっと……」


 テツヤは真意を測りかね、言葉に詰まった。


 ヒナコが傷付くことが心配で、結果的にユウトと二人きりで遊びに行くことに懸念を感じている。それを嫌だと言うのであれば、確かに嫌ではあるのだが……。


「嫌じゃない……?」


 そう尋ねるヒナコの様子からは、何か違う意味での質問のように感じられる。単純に、テツヤの感情として嫌かどうか、それを聞いているような気がした。


 しかし、テツヤとて自分の気持ちに答えを出せていないのだ。ユウトへの警戒心や、最近のヒナコに感じる焦燥とも寂寥ともつかない感情、それはユウトへの嫉妬やヒナコへの懸想による産物なのか、考えても分からない。


 テツヤは迷った挙句、自身の感じる懸念部分をヒナコに伝えることにした。


「うん、そうだね。なんて言ったらいいか……ユウトには、ちょっと、気を付けた方が良いかもしれない……」


 ユウトにもヒナコにも罪悪感を抱きつつ、テツヤは自身の正直な心情を吐露していく。


「ユウトは少し……乱暴な感じがするというか、今見せているのが……全てじゃないと思うんだ……」


 テツヤは自分がヒナコを心配していることを言葉を選んで伝え、そしてそれは、ヒナコが望む答えや反応とは違うものだった。


 ヒナコの中で、何かがひび割れる音がした。


「っ――わかんないよっ……テツくんわかんないよっ!!」


 癇癪を起したように叫んで、ヒナコはテツヤの部屋から逃げ出した。


 テツヤの気持ちが分からない。テツヤには自分の気持ちは分からない。どちらの意味も含まれた叫びだったのかもしれない。


 残されたテツヤは沈痛な面持ちで目を伏せた。



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