序章②~草凪澄人の日常~

――ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ


 規則正しい電子音が鳴り、起きなければならない時間になったことを知らせてきた。


 布団から手を伸ばして音を止めてから、ゆっくりと体を起こす。


 立ち上がってカーテンを開けると7月の暑い日差しを全身に浴びる。


 この朝日が部屋を明るくしてくれたので、少し笑みを浮かべながら窓から外へ目を向けた。


「もう夏本番だな……照明はいらないか」


 誰もいない古めかしい1Kの部屋に俺の声が吸い込まれ、時計を見ると5時になったばかりだった。


 日課の予習を行うために木の机に座り、筆箱を開けてシャープペンを取り出す。


(芯が無くなりそうだ。中学校へ行くときにコンビニへ寄ろう)


 朝食を作るときに食材の確認もしなければいけないなと思いながら教科書を開き、今日の授業で行われる範囲の予習を始めた。


 ノートへ文字が書かれる音しか聞こえず、集中していると2度目のアラームが鳴る。


(朝食を作るか)


 机の上に広げていた教科書などを鞄へしまって、学校へ行く準備を整えた。


 俺の身長ほどしかない単身用の冷蔵庫には週末に買い込んだ食材が入っており、その中から卵とベーコンを取り出す。


 同時に食パンをトースターへ入れ、ベーコンエッグを作り始めると、この生活になった時のことを思い出してしまった。


(小学校にはいると同時に、敷地内の一画に作られた離れで生活するように言われたんだよな……)


 うちの家は近所でも有名なほど、大きな家と広い土地を持っている。


 しかし、俺が自由に行き来できるのはこの離れと、人一人が通れるほどしかない小さな裏口だけだった。


 生活費は毎月30万程入った封筒がポストへ投函されているので、困ることはない。


 しかし、俺にはなぜこのような生活になったのか見当が付かず、学校の先生へ相談したら、家の問題は家で解決しろとそっぽを向かれた。


 それ以降、俺は1人で生きていけるように力を付け、料理や洗濯、掃除などの家事を一通りこなせるようになった。


 出来上がった朝食を食器へ移し、テーブルに座ってもくもくと食べ始める。


 飲み物を入れ忘れたので、仕方なく夜用の小さな紙パックジュースを冷蔵庫から取り出した。


 食べ終わってから食器を片付け終えると学校へ向かう時間になっていたので、歯を磨いてから玄関へ向かう。


 靴を履きながら腰ほどしかない靴箱の上を見て、日付の書かれたメモ帳へ【何もなし】と記入した。


 このメモ帳は親へ連絡が必要なことがある場合だけ記入するもので、余計なことを書くと生活費を削られる。


 もう慣れた作業をすべて終え、小さな出入口から出て学校へ向かう。


 歩いていても俺へ声をかけてくる人はおらず、たんたんと学校への道のりを進む。


 記憶の残っている5歳くらいから両親と会話をした記憶が無く、双子の妹である聖奈せなばかり可愛がられていた。


 そんな妹とは同じ小学校や中学校に通っていても、1度たりともすれ違うことなく、家族でありながらどのように成長しているのか人づてでしか知ることはできない。


 小学生のときに何回か聖奈の様子を探るために教室を覗こうとしたところ、教員やなぞの人たちに阻まれ、連絡用のメモ帳へ余計なことをするなと警告を受けた。


 昔のことを思い出していたら中学校へ着き、教室へ向かおうとしたところ、クラスメイトに声をかけられる。


「澄人くん、今回も学年1番みたいだよ。ここまできたら、このまま入学以来1度も負けずに卒業してほしいな」

「教えてくれてありがとう。頑張るよ」


 クラスメイトが駆け寄ってきた方向には1学期の期末テストの結果が廊下に張り出されており、数人が俺の顔を見てその前からどいてくれた。

 俺は小学校のころから勉強しか取り柄がなく、暇な時間はすべて学習の時間にあててきた。


(まあ、寂しさを紛らわすっていうのもあるんだけど……)


 小学校では順位は出ず、中学校に入って初めて1番を取った時にメモ帳で両親へ報告をしたら、生活費を上げるとだけ書かれた。


 それ以来、1番を取るたびに報告を行ったが、1年が終わる頃には興味がないと書きなぐられ、生活費も上がらなくなってしまった。


(早く家を出たいな)


 3年生になってから、家から遠い進学校の奨学生入試を受験しており、もうすぐ結果が発表される。


 今では家を出ることばかりを考えており、ここから1番遠い高校へ入学しようと決めていた。


「澄人、ちょっと待ちなさい」

「はい」


 試験結果を張り出してある場所から立ち去ろうとしたとき、野太い声に引き止められる。


 踵を返すと、熊のように大きなクラス担任が俺に向かって手招きをしており、黙ってついていく。


 職員室へ入り、担任が席に座ると、俺へ封筒を手渡してくる。


「この前受けた奨学生入試の結果だ。おめでとう」


「本当ですか!? ありがとうございます」


「全国でもトップクラスの進学校だ。これからが勝負だぞ」


「はい!」


 受験をした高校はすべて全寮制の学校なので、この瞬間、俺は来年から家を出られることが決定した。


 それも、受けた中で1番自分の希望に合った高校だったので、久しぶりに興奮し、渡された封筒を抱きしめたら、担任が日に焼けた顔でクシャっと笑みを作る。


「書類の返信までは時間があるが、他に受けた高校の結果も待つか?」


「いいえ。この高校に決めます! すぐに返信の準備をお願いします!」


「そ、そうか。そこまで言うのなら早急に手続きを行う……お前は今週末までにこの書類へ保護者の氏名と印鑑をもらってきてくれ」


 担任は俺の持っていた封筒から1枚の紙を取り出して、その1か所を指で示した。


 俺がいくらあの両親でも名前を書くくらいしてくれるだろうと考えていたら、担任が椅子から立ち上がって俺の肩へ手を乗せる。


「まあ……その……頼むわ……」


「……はい」


 その日に行われた授業の内容がほとんど頭に入らず、どうにか来週からの夏休みの課題の範囲を忘れずにノートへ書き残すことができた。


 重い足取りで家へ帰り、玄関に置かれたメモ帳の下に担任から渡された封筒を置き、名前と捺印をお願いしますと書き残す。


 すると翌日、起きてからすぐに封筒があるのか確認をするために玄関へ向かうと、大量のお金と封筒が靴箱の上に置かれていた。


「なんだこのお金……」


 俺のつぶやきに帰ってくる答えはなく、戸惑いながらもメモ帳へ目を向けた。

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