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「納得できません! どうして山下さんだけが処分の対象なんですかっ!?」
教頭室に緊迫した声が響いた。綾子の声であった。来客用ソファに座る綾子の向かいには、ヘラヘラとした腹立たしい笑顔を張り付けた教頭の顔が有った。その横には、同じような表情で、揉み手をするように立つ尾鳥が居た。
「彼女が処分されるなら篠崎さんも処分されるべきです! 篠崎さんが無罪放免なら、山下さんもそうなるべきです!」
「そこは青木先生、やはり篠崎さんが怪我をしたという事実が有るわけでして・・・」
「だからそれは、篠崎さんが彼女をイジメていたのが原因だと言ってるじゃないですか!」
食い下がる綾子に困り果てた様子の教頭に、尾鳥が助け舟を出した。
「現場を見ていた生徒によると、山下さんが篠崎さんの脚を押さえて故意に転ばせたという、悪質な行為が有ったと報告されています」
「それは篠崎さんと一緒にイジメを繰り返していたグループメンバーの一方的な言い分ですよね!? 学校がイジメグループの片棒を担いでどうするんですか!? 山下さんの証言はどうなるんですか?」
「彼女はこれまでにも、色々と問題を起こしているそうじゃないですか? アルバイトとか」
「そ、それは・・・」教頭の指摘に、綾子は言葉を失った。その件を学校側に告げ口したのは、他でもない綾子である。
「そういう生徒の話を真に受けるわけにはいきませんな」
そう言う教頭に、「ごもっともです」と言わんばかりに、尾鳥は大袈裟に頷いて見せた。
「そもそも、過去の週報を読み返してみても、イジメなどと言う文言は出て来ないわけでして」
「それはあなた方が書き直させたからじゃないですか。そうですよね、尾鳥先生!」
尾鳥は視線を逸らして、その件に関する自分の態度を表明することを放棄した。教頭は続けた。
「そう言われましても、青木先生。我々は週報を基準に過去と照らし合わせ、対応するしかないわけでして・・・ そこに記載の無い事項に関しては、存在しなかったと判断する以外に成し得ることは無いとい言わざるを得ないのでありまして・・・」
教頭のグダグダした言い訳を尾鳥が引き継いだ。
「よく考えてみて下さい、青木先生。我々教師は可愛い生徒たちを守らねばなりません。つまり、総勢500名を超える全校生徒の期待に応える義務が有るのです。もし我が校にイジメが有ったなどという根も葉もない噂が広がっては、彼らの心への衝撃は計り知れないものとなるでしょう。一部の生徒によって、そのような事態になることは、決して許されないのです」
綾子の頭に血が上った。こんな嘘で固めた台詞を、しゃぁしゃぁと平気な顔をして口にできる神経が、綾子の神経を逆撫でした。コイツらが守りたいのは生徒ではない、自分たちだ。自分たちを守るためなら、一生徒を犠牲にすることすらいとわず、恥ずかし気も無く、息を吐く様に嘘が付ける人種なのだ。その誠実さの欠片も無い厚顔無恥な姿は『ずる賢い』とか『あざとい』などという、頭脳の活動を前提とした表現は似つかわしくなく、むしろ『薄のろ』や『間抜け』といった言葉の方が、その本質を言い当てている様な気がした。
「だから山下さん一人を切り捨てるんですかっ!」
「そんなことより、青木先生」
綾子の口から発せられた言葉は、物理的にも心理的にも何の作用も生み出さず、そのまま教頭の後ろへと通り過ぎ、壁に当たって跳ね返った。彼は撃たれたことにすら気付かない愚鈍な家畜の様に、ニコニコしながら続けた。自分が用意した物が、飛び切りのサプライズであると勝手に勘違いして、それを早く見せたいとそわそわしている間の悪い父親のような顔だ。
「学期中としては異例の人事なのですが、青木先生にはクラス担任を外れて頂き、一年の学年主任として働いて貰いたいのです。現クラスの担任は神田先生が引き継ぐ方向で・・・」
「はぁ?」
コイツらは何を言っているのだ? やっぱり頭が悪いのだろうか? 今はそんな話をしているのではない。『イジメ』という一大事に、学校としてどう向き合ってゆくかという話なのだ。それに、教師として働き始めて年数の浅い自分が、学年主任など務まるわけは無いではないか。新米教師に毛が生えた程度の自分に、そのようなポストを与える理由は一つしか見当たらない。
「金子代議士ですか?」
教頭と尾鳥は、ただニヤニヤと笑うだけであった。「まさか、そんなわけはありませんよ」という顔で綾子の反応を窺った。
「篠崎佳澄が、金子代議士の姪だからですか?」
それでも二人はニヤニヤするだけで、何も言わなかった。
「私が金子氏の義娘になるからですかっ?」
自分自身の言葉に興奮して、綾子の声は次第に大きくなっていった。
「私が金子進次郎の妻になるからですかっ!?」
二人のニヤニヤは続いていた。綾子は何もかもがバカバカしくなった。こんなヤツら相手に感情的になっている自分が、ひどく滑稽に思えた。地元の有力代議士との蜜月な関係を維持すること。それが彼らにとって、何物にも優先される最大関心事らしいのだ。
「バカバカしい・・・」
そう吐き捨てて教頭室を出ようとする綾子の背中に、教頭が声をかけた。
「ご理解頂けて嬉しいです、青木先生」
一瞬立ち止まったが、無言で教頭室のドアを開けた。
綾子は、たった今、自分が教頭たちに向けて抱いた感情の全てが、自分にも向けられて然るべきだということを忘れていた。以前に感じた、『自分はコイツらの仲間なのだ』というあの想いが、彼女の教師人生の中で最も的を得た、本質的な気付きであったことを認識する機会を逸してしまった。
「山下さんの件は、私がしっかり対応しますのでご心配なく」
尾鳥の声が綾子の背中を押した。
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