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一応、お客さんということで、祐介が最初にお風呂を頂いた。仙台市郊外にある、詩織の2LDKのマンションだ。「はいどうぞ」と言って、風呂上がりの祐介に冷えた麦茶を手渡すと、自分はソファに身を沈め、缶ビールのプルトップを引いた。プシュッという音と共に泡が溢れ出し、詩織は缶に口を付けてそれを啜った。それから、毛足の長いラグの上に寝そべってダイビング雑誌を読みふけっている琴美に向かって言った。
「琴美。次、アンタが入っちゃいなさい」
それを聞いた琴美は、読みかけのページが判らなくならない様に、雑誌を開いたままうつ伏せに置いて言った。
「はーい。それじゃ、お先ー」
バスルームに琴美が消えると、リビングには祐介と詩織が残された。テレビでは楽天イーグルスと千葉ロッテマリーンズのナイターが垂れ流しになっていた。詩織は何も言わず、ビールをチビチビやりながらそれを見ていた。なんとなく気まずい感じで、その沈黙を埋めるかのように祐介が聞いた。
「野球、好きなんですか?」
「ううん、そうでもない。ただ、患者さんと会話をするのに、楽天のこと、知っといた方が何かと都合良いのよ」
そう言って、またつまらなそうに野球中継を見始めた。祐介は手持無沙汰で、琴美が置いて行った雑誌を手に取った。その時、詩織が祐介の方を見ていることに気が付いた。
「ねぇ、祐介君」
「はい?」
「琴美って、学校ではどうなの?」
「どうって・・・ 普通ですけど・・・」
祐介は詩織の質問の意図が読み取れず、当たり障りの無い答えを返した。
「ゴメンね。質問が悪かったね。琴美、学校の友達と上手くやってる? 何か問題は無い?」
「・・・・・・」
「そっか、いきなり質問じゃダメか。じゃぁ、私が何を思っているのか、それを明確にしてから聞くね」
そう言って詩織はちょっとの間、考え込んだ。バスルームからは琴美が入浴する水音が聞こえた。ご機嫌に鼻歌なども出ている様だった。
「あの子、誰かとトラブルになってるでしょ? 本人からそういう話が出たわけじゃないんだけど、LINEの文脈からそういった匂いがするの。違う?」
祐介は迷った。でも、詩織に隠すことで、事態が好転するとも思えなかった。二人の様子を見た限り、琴美は詩織のことを信頼しきっている様だったし、姉に心配をかけない様に隠していると思えた。琴美が言えないのであれば、自分が代わりに伝えるべきか。
「はい、琴美は・・・ 琴美さんはイジメに合っています」
詩織の息をのむ音が聞こえた。薄々感付いてはいたが、第三者からハッキリ言われたことで自分の予測が的中してしまった驚きを飲み込む音だと思った。イジメ。その残酷な言葉は、本人だけでなくその家族にも容赦無い打撃を加える。
「お姉ちゃーん、この高そうなコンディショナー、使っていい?」バスルームから琴美の呑気な声が響いた。詩織は心の動揺をグッと飲み下すと、大声を張り上げた。
「無駄遣いするなよーっ!」
祐介は、最近の学校での出来事、佳澄や金子家との確執、担任教師の裏切り、全てを ――ただし、両親との問題に関しては言えなかった。それは詩織にも関わる事項で、自分がとやかく言うべきではないと思ったからだ―― かいつまんで教えた。琴美が風呂から上がる前に、話を終わらせる必要が有った。
血を分けた妹がイジメを受けているという事実、それをひた隠しにする妹の健気さ、そしてそれに対して自分が何もしてあげられなかったという罪悪感。それら雑多な思いが一度に溢れ出て、詩織の胸を締め付けた。とりわけ詩織を苦しめたのは、教師の慈悲の無い裏切り行為であった。孤立した生徒が教師から拒絶された時、その子はいったい何にすがれば良いと言うのだろう? そしてテーブルに両手を付いて頭を下げた。
「ありがとう、祐介君・・・ ありがとうね、琴美を守ってくれて。本来ならそれは、私たち家族がやらなきゃいけないことだもん・・・」その言葉には、琴美と両親の不和に関する思いも内包されていることを感じた。
「詩織さん! そんなことしないで下さい! 僕は、僕が彼女を守れているなんて思っていません」
それは祐介の本心であった。琴美がイジメられる度に、自分の無力さを痛感したし、勇気の無さを呪った。でも自分の存在が、詩織にとっても救いになっていることは判った。詩織が顔を上げると、彼女の潤んだ目に溜まっていた涙が、一本の筋を残してツーっと滑り落ちた。汗をかいた缶ビールが残した丸い水溜まりに、その一粒は溶け込んで判らなくなった。
「あの子、優し過ぎるのよ。私みたいな大雑把な性格だったら良かったのに・・・」
そう言って残りのビールを煽ると、ギュゥッと顔をしかめた。それは炭酸が喉に沁みたからの様に見えたが、実際は緩んだ涙腺を締め付けているのだということを祐介は理解していた。
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