3
週明けの月曜日。駐車場に車を停めた綾子が、東棟の通用門に向かって歩いていると、それを引き止める声を聞いた。
「センセ。おはようございます」クラスの篠崎佳澄だった。
「おはよう、篠崎さん」
そう答えたものの、なぜ佳澄がこんなにも馴れ馴れしく接してくるのか判らなかった。佳澄は、クラスの中でも『オシャレ番長』的な存在で、教師と仲良くするようなタイプではなかったからだ。そして佳澄は唐突に言った。
「センセ、進次郎くんと寝たんでしょ?」
「えっ・・・」
何? この子は何を言っているの? 何故、進次郎を知っているの? 訳が分からず、綾子はその目を見開いた。足が止まった。
「えへへーっ、驚いた?」佳澄は小悪魔のような笑顔で綾子の顔を覗き込んだ。
「あ・・・ あなた、何を知ってるの?」
「何って、全部に決まってるじゃん。ぜーんぶ!」
「・・・・・・」
「何故かって?」
息をのむ綾子が聞いたのは、想像し得なかった事実であった。
「だって、進次郎くんは私の従兄でしたーっ!」
「!!!!」
そうか! そうだったのか! 何かを見落としている様な気がしていたのはコレだったのだ。この学校が金子代議士とコネクションを持つ理由に、もっと執着すべきだった。考えることを疎んじたツケを払う時が来たのか? 佳澄は構わず続けた。
「進次郎くんのお父様は、政治家一族である金子家に入った養子なの。その前は篠崎純一郎。つまり私のお父さんのお兄さん。だから~、私と進次郎くんは、い・と・こ」
華奢な指で綾子の顔を可笑しそうに指さした。小悪魔の顔は今や、悪魔のそれに変わりつつあった。
「私が学校の機関誌を見せたの、進次郎くんに。そしたら、写真に写ってるセンセを見て一目惚れしちゃったんだってー。それで叔父様の伝手で学校にやって来たというわけ。判った?」
今まで深く考えようとしなかった疑問の全てが繋がった。迂闊だった。何故もっと注意深く考えようとしなかったのだろう。ということはつまり、これまでの進次郎との経緯を佳澄は全て知っていたということか? そんな綾子の疑念に気付く様子も無く、佳澄は可笑しそうに続けた。
「でもセンセ、ダメじゃん。あんな安っぽい下着を着けて行っちゃぁ。進次郎くんとそういうことになるんだったら、奮発して勝負下着を着けて行かなくちゃ」
「あなた・・・」何かを言おうとしたが、何を言ってよいのか判らなかった。
「センセもウチの一族に入るんでしょ? その辺の身だしなみくらいはちゃんとしてよね。私が恥ずかしいから。もしよく判らないんだったら、私が教えてあげる」
「・・・・・・」
「で、進次郎くんって、ベッドではどんな感じなの? 子供の頃は一緒にお風呂入ったりしてたから、ちょっと興味有るんだぁ」
佳澄の表情は高校生のそれではなかった。場末のバーなどで行きずりの男を漁る娼婦を思わせた。そういった人種に逢ったことなど無いのだが。
「そんなこと教えられるわけ無いでしょ!」
「ふぅ~ん、そうなんだぁ」
「当たり前でしょ! それじゃぁあなた、私がベッドでどんな感じだったか、進次郎さんから聞いたとでも言うの?」
「聞いたよ。当然じゃん。あんまり詳しくは教えてくれなかったけどねー。結構、酔っぱらってたらしいけど、進次郎君がゴム着けてるかチャンと確認した? あはは」
綾子は眩暈を感じた。あのホテルでの事の次第を、進次郎が詳しく語って聞かせたというのか? いや、さすがにそれは無いだろう。おそらく佳澄がしつこく聞いて、渋々、断片情報を開示したに過ぎないのであろう。そう信じたかった。だとしても気持ちが悪い。何なんだ、この一族は? およそ、一般人が理解できるメンタリティではないようだ。『反吐が出る』そんな言葉が頭を過った。ケラケラと笑う佳澄を無視し、校舎に向かって弱々しい足取りで歩き出すと、佳澄が追いすがった。
「ちょっと待ってセンセ! そんな話がしたくて呼び止めたんじゃないの!」
「他にどんな話がしたいの?」
綾子は睨みつけた。しかし、佳澄は気にしていないようだ。
「そんなに突っかからないでよセンセ。これから仲良くやって行かなきゃならないんだし」
「話って?」綾子は苛々した。
「琴美のこと」佳澄はニヤリと笑った。
「えっ?」
「アイツ、駅前のロータリー横の本屋さんでバイトしてるみたい。いいの? 放っておいて。禁止されてるんでしょ?」
そう言ってニヤニヤしながら綾子の顔を悪戯っぽく睨んだ。
「私にどうしろと?」
おそらく佳澄は琴美の後をつけて、その事実を嗅ぎつけたに違いない。佳澄だったらそれくらいの事はやりそうだ。もう少し早く、私があの子たちを見つけていれば・・・
「別にぃー。ただ、教師としての立場上、無視するわけにはいかないっしょ? もし琴美が何の処分も受けない様だったら、誰かに報告しちゃうかもー。センセがもみ消したって」
高校一年の女子が、ここまで嫌らしい顔が出来るのか。その顔はまるで、獲物を前にして薄ら笑いを浮かべ、ヨダレを流すハイエナのようではないか。
「あなたが直接、学校に報告すればいいじゃない!」
「やっだぁ! だってそれじゃまるで、私が琴美のことイジメてるみたいじゃーん!」
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