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 そのパーティは市内のホテル、ニューコクラで行われた。一応、県下では最も格式のあるホテルとして知られ、その佇まいは綾子のような小市民を気後れさせるのに十分な煌びやかさを備えていた。ワンフロアを丸ごと貸し切った大広間では、県内有数の各企業から数多の経営者や重役たちが列席し、公産党支持者たちによる中身の無い馴れ合いが繰り広げられていた。特に、国土交通省の族議員である金子純一郎がばら撒く公共事業目当ての土木、建築、運送系の企業は大量のパーティ券を購入し、その裏でとてつもない額の金が政治資金として動いていた。そんな連中が純一郎本人へのご機嫌伺いをした後に、すぐさま取って返し、息子である進次郎の所にやって来てはヘコヘコとお世辞を並べ立てるのは、体調問題によって引退間近と噂される純一郎の後継者に対し、今のうちに顔を繋いでおきたいという意地汚い下心ゆえである。

 そんな『地元の名士たち』に、いちいち紹介される綾子は、訳も判らずただニコニコと応対するだけであった。彼女が着ているのは、一生行くことなど無いと思っていたフォーマルドレスを専門に扱う店で購入した ――いや、買ったのは進次郎だが―― 一流ブランドのAラインドレス。アカデミー賞の授賞式などで、大女優やセレブ達が着こなすドレスと比べても遜色は無い。鮮やかなブルーを基調とし、大きく開いた胸元と、大胆なカットで露になった背中が、オヤジたちの淫猥な視線を釘づけにしていた。そんな豪奢なドレスに身を包む綾子の立ち姿は、金にまみれて見た目も内面もドロドロとなった老人たちの中に毅然と立つ女神の様に見えた。『掃き溜めに鶴』とは、こういう状況を指すのかもしれない。

 「いやいや、これまたお綺麗なお嬢さんだ。将来の進次郎先生の奥様候補ということですな。わっはっは」

 「これで純一郎先生も、安心して引退できるというものですな。いやいや、チョッと口が過ぎました。わっはっは」

 最後は必ず「わっはっは」で締めくくられる、そんなおべっかを全身に浴び続け、綾子は眩暈に似た感じすら覚えた。自分の身体が、薄汚れたオヤジたちの嫌らしい視線に嘗め回されて、大勢の前で犯されている様な気分であった。ひょっとしたら自分は、あの店で買ったドレスなどは着ておらず、本当は全裸なのではないかとすら思えた。そんな気を紛らわすために、フロアボーイが給仕するドリンクをついつい飲み過ぎてしまった綾子は、いつの間にか酔っぱらっていた。


 気が付くと綾子は、見覚えの無い一室に居た。どうして自分がこんなところに居るのか判らなかったが、隣にはそんな綾子を心配そうに見つめる進次郎が居た。パーティが開催されているホテルの最上階にあるスイートルームだと進次郎は言った。

 「綾子さん、ちょっと飲み過ぎてしまったようですね。緊張なさってたみたいだし」

 冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを取り出すと、キャップをひねって開封し、それを綾子に渡した。そのボトルは、何とかの天然水、みたいなコンビニでよく見かける奴ではなく、どこかから輸入された海外のオシャレな水であった。それを受け取りながら、まだガンガンする頭で理解した。飲み過ぎて気分が悪くなり、進次郎が介抱するようにこの部屋に連れて来られたのだ。隣に進次郎が座ると、綾子の身体はユサユサと上下に揺れた。それで自分がベッドに腰かけていることに初めて気付いた。

 「綾子さん」

 進次郎が綾子の手を乱暴に掴むと、その手のペットボトルが床に落ち、トクトクと音を立てて流れ出る中身が、毛足の長いカーペットに丸い染みを作り出した。

 「進次郎さん・・・ 私・・・」

 綾子が全てを言い終わる前に、進次郎が言った。

 「綾子さん。僕と一緒に東京に来てくれませんか」

 慌てて綾子が答える。

 「私・・・ そんな先のこと、まだ考えていません」

 「それじゃ、今から考えて下さい。いや、一緒に考えましょう」

 そう言って進次郎は綾子を押し倒した。

 「あっ、ちょっと・・・ 進次郎さん・・・」

 それを拒もうとした綾子であったが、その抵抗は直ぐに止まった。よくよく考えてみれば、そこまで強く拒む理由など、無いと言えば無いではないか。こういうのもアリかな、と思った。今まで、周りの都合に流され続けて来た人生だ。もう一度流されたところで、今更どうということもあるまい。今まで、自分の我が通ったことなど一度も無いではないか。ここで進次郎に抱かれたからといって、それが何だと言うのだ。確かに進次郎は、ちょっと鼻持ちならないタイプではあったけれども、少なくとも今の綾子にとって、優しくしてくれる唯一の男性ではないか。たとえその優しさが偽りであったとしても、綾子がそれを受け入れることに、何の躊躇が必要だろう?


 進次郎の肩越しに見上げる天井では、埃が溜まった照明が淡い光を発していた。もっとちゃんと掃除すればよいのに、と綾子は思った。進次郎の動きに呼応するかのように、ギシギシとベッドが軋んだ。新進気鋭の若き代議士の妻。それは、夢の様な未来を約束する言葉なのか。それとも、新たな苦悩の種を生み出すだけなのか。あるいはそれは、今抱える辛苦の姿を、別の外観に装うだけなのかもしれない。それを機に、ひょっとしたら自分は生まれ変われるかもしれないが、自分がそれを心から欲しているわけでも、心から喜んでいるわけでもないことは知っていた。

 このホテル、外面だけは豪華絢爛に飾り付けてはいるが、その内部は思った程、手入れが行き届いているわけではないようだ。ここはただの『夢の館』なのかもしれない。中身の伴わない、表面だけを繕った装飾。ただ、それも悪くはないのかもしれないと、今なら思える。今は余計なことを考えず、全身で進次郎を感じよう。今の自分に出来るのは、それだけなのだから。綾子は目をつむり、進次郎の背中に回した腕に力を込めた。それに合わせて進次郎の動きも激しくなった。

 綾子の喉からは、ため息のようなか細い声が漏れ、進次郎の背中に爪を立てた。何もかもを捨て去る前の自分の痕跡を、そこに残そうとするかのように。

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