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「カンパーーーィ!」
「カンパーイ!」
ジョッキとジョッキがぶつかる微かな音が、騒がしい店内に遠慮がちに響いた。会社帰りのサラリーマンや学生たちでごった返す居酒屋の片隅に、綾子たちは陣取っていた。綾子の前には、ハイボールのジョッキを持つ熊田奈穂美が座っている。奈穂美は隣の1年4組を受け持つ担任で、綾子の3年後輩にあたる。「先ずはビール世代」の綾子に対し、いきなりハイボールを頼む辺り、たった3年でも世代が違うことを認識せざるを得ない綾子であった。
学校が引けて帰ろうとしていた綾子に、奈穂美が声を掛けたのであった。比較的年齢が近く、お互いに一年の担任を任されているという共通項も有り、普段から二人はよく話をする仲となっていた。そしてたまには、今日の様に呑みに出るのだった。
「先輩、どう思います、あの職員会議?」
さらりとした線の細い髪を肩甲骨辺りまで伸ばし、エクボが印象的な顔を歪めて奈穂美が聞いた。そんなに表情を崩しては、せっかくの綺麗な顔が台無しではないかと綾子は思ったが、奈穂美は一向に気にする様子も無い。学生時代はモデルとかレースクイーンのアルバイトをしていたことも有るらしく、その美貌は群を抜いていると言ってよかったが、彼女がそれを鼻にかける様な素振りを見せることは無かった。そういった「あっけらかん」とした性格が好ましく、綾子はこの後輩を可愛いと思っていた。こんな妹が居てくれたら良いのになぁ。それは綾子がいつも思う、ささやかな願望だ。職場で唯一、心を許せる存在が奈穂美あのであった。
「あれねぇ。なんか・・・ 嫌よね」
綾子はジョッキを傾けながら言った。
「ですよねー。何なんだろ、あれ? みんな、あれでいいと思ってるのかなぁ?」
奈穂美は少し頬を膨らませて、ご機嫌斜めの表情を作った。女子大卒の綾子とは異なり、奈穂美は普通の男女共学の大学を出ている。おそらく、今の様なちょっとした仕草が、男子学生たちのハートを鷲掴みにしていたであろうことは想像に難くない。きっとチヤホヤされたんだろうなと思うし、周りのテーブルからチラチラと視線をよこす男たちを無視して軽くあしらう術も心得ているのだろう。少し羨ましい様な気がした。
「なんか、教師ってもっと違う感じだと思ってたなぁ・・・」
そんなこと言う奈穂美に少し興味が湧いた綾子は、逆に聞いてみた。そう言えば彼女とこういった話をしたことは無かったかな?
「奈穂美ちゃんはどういうもんだと思ってた? 教師って?」
「そうだなぁ・・・」
奈穂美は枝豆を摘まんだ手を胸の前に浮かせたまま、遠くを見るような目つきで考えた。
「なんかこぅ、もっと子供たちが中心に居る様なイメージでした」
「今の学校は、子供たちが中心に居ないと?」
「そう思いませんか、先輩? 話題の上がるのは、もちろん子供たちのことなんですが、そこで交わされている内容って結局、全て自分たちと言うか、学校目線の話なんですよね」
綾子には奈穂美の言う意味がよく判った。と言うより、全くの同感であった。若い彼女と同じ感覚を持っていることが、少し嬉しかったが、同時に「それも仕方のないことだ」という諦めの気持ちも芽生え始めている自分に、ある種の悍ましさを感じた綾子はジョッキに残ったビールをグィと飲み干し、その感覚を振り払った。
「そうね。もう少し情熱を傾けられる仕事だと思っていたわよね」
そう漏らした綾子の顔を、奈穂美が目を丸くして見ていた。その視線に気付いた綾子は、恥ずかし気に言った。
「何よ? どうしたのよ?」
奈穂美は驚きの表情を崩さず、身を乗り出して言った。
「先輩がそこまで突っ込んだ発言するなんて驚きです! やっぱり先輩も同じように感じてくれてたんですねっ!?」
綾子は自分の顔が火照るような気がした。それは酒が回って来たせいなのか、自分の無垢な理想を吐露してしまったせいなのか、自分でも判らなかった。何れにせよ綾子は、奈穂美と話している時は、ほんの少しだけ救われるような気がしていた。
「ま、まぁね・・・」
「先輩、もう一杯いきますよね? ビールでいいですか?」
そう言って奈穂美は店の奥に向かって右手を掲げ、大声を上げた。
「すいませーん! 生中お代わりーっ! あと海鮮サラダも!」
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