第二部

第一章:金子代議士

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 「・・・以上から、本件は当該男子生徒の誤解に基づく情報であり、調査を必要とするに足る証拠は無いものと判断いたします」

 物々しい雰囲気の職員会議であった。両側に顔を連ねる教員たちは皆、裁判の開始を待つ被告人の様にも見えたし、健康診断の結果を待つサラリーマンの群れの様にも、あるいは思考が停止した『でくの棒』の様にも見えた。その生気を吸い取られたかのような様子は、もし彼らが俯かずに空を見上げていたなら、きっとモアイ像の群れを想像させたに違いなかった。一方、一番奥に陣取る校長だけがにこやかな笑顔を絶やさないのが奇妙に思えた。

 報告を終えた綾子は、喉がカラカラに乾いていることに、その時になってやっと気付いた。「うんうん」と、しきりに頷く校長の様子を見て安心した前田信介教頭が、会議の進行を担当する学年主任の尾鳥に向かって頷いた。

 「以上、1年3組担任、青木先生からの報告でした。何かご質問が有れば挙手をお願いいたします」

 尾鳥は会議に参加している面々の顔を見渡したが、手を挙げる者は居なかった。校長の様子から、その報告が既に『承認』されたことは明白であったし、そこで敢えて異議を唱えることは、会議の進行を妨げる行為だとみなされるだけで、自分にとって何の益にもならないことを皆が承知していた。会議とは名ばかりで、それは校長以下数名の首脳部に対する忠誠を証明する場としての意味しか持ってはいなかった。

 「それでは次の報告に移りたいと思います。1年4組担任、熊田先生、お願いいたします」

 尾鳥の声を聞きながら自席に戻った綾子は、やはりコイツらは、ただの『でくの棒』だと思った。自分もその一人だとの実感が湧いて来た。こんな茶番に緊張していた自分が、滑稽にすら思えた。


 職員会議の後、校長室に呼び出された綾子は、恐る恐るドアを開けた。会議で報告した通り、琴美の一件は終わっているし、業務週報も書き直して再提出済みだ。その後のクラスでも ――少なくとも表面上は―― 大きな問題は起きていない。綾子は、どうして自分が呼ばれたのか皆目見当が付かなかった。

 「失礼します」ドアを後ろ手に閉めると、来客用ソファに恰幅のいい男と、かなり若そうな男が、校長と向かい合わせに座っていた。歳の頃なら50台後半と30台前半といったところか。かなり仕立ての良いスーツとネクタイ。腕にきらめく時計も、かなりのお値段が付きそうだ。また、年かさの方は何処かで見たことが有る様な気がしたが、ジロジロ見るわけにもいかず、綾子は黙って俯いた。

 更に綾子を気おくれさせたのは、二人と対峙するように座る校長の後ろに、教頭と学年主任が控えていることだった。二人は、貧相な顔を更に歪めて、中身の全く伴わない薄っぺらな笑顔で綾子を迎えていた。その表情は絵に描いたような小市民的卑屈さを包含し、強者の顔色を窺う「雑魚」の精神構造を具現化すると、きっとそのようになるのだろうと思わせた。この状況からして、この見慣れない二人が、かなりの「大物」だということが窺い知れた。

 「やぁ、青木先生」そう言うと、校長は自分の座る長ソファの左側に綾子を招いた。

 「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。なにも取って食おうとは思っていませんから」校長の軽口に、綾子以外の全員が低く笑った。

 「はい、失礼いたします」

 綾子がソファに腰を落ち着けるのを待って、校長は話し始めた。

 「こちらは郷土の誇り、栃木2区選出の代議士、公産党の金子純一郎先生です」

 純一郎は「どうも」と軽い調子で片手を挙げた。どうりで見たことが有るはずだ。国政に携わる国会議員ではないか。綾子はただ「はい」と言うことしかできなかった。

 「そしてこちらが先生のご子息に当たられる、金子進次郎君」

 進次郎は礼儀正しく「初めまして、金子進次郎です」と頭を下げた。ほんの一瞬、ぼぅっとしていた綾子であったが、直ぐに気が付いて頭を下げた。

 「あっ、わたくし、青木綾子と申します」

 「金子先生が我が私立作星学院を視察にいらしたので、丁度良い機会だと思いましてね。それで青木先生をご紹介差し上げたのですよ」

 「はぁ・・・」

 そう言われても、自分がこの席に呼ばれた理由が、いまだに解せない綾子であった。

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