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 「ねっ、並木君のことも教えてよ」読みかけの雑誌をテーブルに伏せて琴美は言った。その瞳は好奇心でキラキラと輝いていた。

 「教えるって、何を聞きたいんだ?」対して、祐介はベッドに寝転がったまま、雑誌から目を離さず応えた。

 「ハイッ!」琴美は小学生の様に手を挙げた。

 「はい、山下さん」学校の先生の様に、それを指さす祐介。

 「並木君はどうして山に登るんですか?」

 「山?」

 「そう、山に登るって言ってたよね? 『そこに山が有るから』みたいなやつ?」

 「うぅ~ん・・・ 俺の場合はそうじゃないな。俺は『マザー・ツリー』に逢いに行くんだよ」そう言うと手に持った雑誌を閉じて枕元に置き、上体を起こしてベッドに腰かけた。

 「マザー・ツリー?」

 「そう。林業では、木を伐採する時に、わざと一本だけ残したりするんだ。それは、その土地固有のDNAを残すため、みたいな理由なんだけど、本来はそういった木をマザー・ツリーって言うのさ。でも、俺が言ってるのはそういうヤツじゃない」

 「ふむふむ、詳しく聞かせたまえ」眉毛をピクピクさせながら、必要以上に真面目な顔で琴美がおどけた。

 「教えるの止めよっかな」

 「ゴメン! お願い! 教えて!」そう言って琴美は両手を顔の前で合わせて、初詣でよろしくお願いした。祐介はちょっと改まって続けた。

 「山に入ると、それこそ数え切れないくらいの木が生えてる。でもその中に、なんとなく気になるというか、波長が合うみたいな感じがする木に出会うことが有るんだよ。そういった木を見つけ出すために山に入る人も居るくらいなんだぜ」

 「へぇ~、木の波長ねぇ・・・」

 「そう、その木にもたれかかってると、癒されるっていうか心が落ち着くっていうか、嫌なこととか全部忘れて生き返るみたいな感じがするんだ。他の木だと、絶対にそういった感じにはならないのさ」

 「うんうん、それで」

 「それでって言われても、別に何も無いんだけど・・・ だから俺は、その木に逢いに行った時は、何もせず一日、ただボーッとしてるだけなんだ。バカみたいだろ?」

 「へぇーっ! それって凄くいい! ううん、全然バカみたいじゃないよ。すっごく、すっごく羨ましい」

 「そう思う?」

 「思う思う! きっと並木君にとってその木は、私にとってのクジラみたいな存在なんだね。私の場合、まだ出会ってないけど」

 「あっ、そうだ」

 そう言ってベッドから飛び降りると、祐介は勉強机の引き出しを開けて中からジャムの瓶を取り出した。その中には、正四面体の様な形状をした褐色の粒が入っていた。粒の大きさは朝顔の種ほどで、瓶を振る度にカサカサと音を立てるさまは、カレー屋にディスプレイされているスパイスの瓶詰を思わせた。

 「何それ!?」琴美の瞳が輝いた。

 「ブナの実。あの木はブナの木なんだよ。俺のマザー・ツリーが落とした実を持って帰ったのさ」祐介は再びベッドに腰を下ろした。

 「へぇ~、ブナの実かぁ・・・」

 祐介から奪い取った瓶を光にかざし、しげしげと見つめながら琴美が言った。

 「ねぇ、並木君。これ、少し頂戴」

 「それを? 別に構わないけど・・・」

 「へっへ~、やったぁ~」

 早速、瓶のふたを開け、その中から数粒のブナの実を取り出すと、琴美は自分の鞄にぶら下がっているクジラのマスコットを取り外した。

 「この口、実はファスナーになってるんだぁ」

 そしてクジラの口を開けて、その中にブナの実を大切そうに入れた。再び、クジラの口を閉じると、親指を立てた右手をグィと祐介に向かって突き出した。

 「私をそのマザー・ツリーに逢わせるってのはどうよ?」

 「はぁ?」

 琴美はニッと笑った。

 「お前がぁ? 無理無理無理、絶対無理」

 「どーしてよー。いいじゃーん、連れてってよーっ!」

 「だって山登るんだぜ。岩登りみたいなこともするし」

 「やってみなきゃ判んないじゃん!」

 「出来るわけ無いって!」

 「何でよーッ。やぃっ祐介! 私を連れてけっ!」

 「ダメダメ」

 そう言って祐介が琴美の手からブナの実の入った瓶を取り上げると、琴美は「あーっ、返せーっ」と取り返そうとした。祐介が両手を掲げて持つ瓶に、琴美が踊りかかる。すると、その弾みで祐介の上に琴美が重なり合う様な形で倒れ込んでしまった。しかもベッドの上で。祐介の両腕は張り付けにされたキリストのように枕の両脇に有り、それを琴美の両腕が上から押さえつけていた。

 「あっ」

 「あっ」

 一瞬、時間が止まった。二人の顔の間隔は数センチくらい。琴美は、祐介の瞳に映り込む自分の顔を見た。祐介も、琴美の瞳の中に自分を見た。その時、ドアが開いて優子が入って来た。

 「琴美ちゃん、夕ご飯食べて・・・ あっ」

 二人と一人の視線が交錯した。優子は音も無く後ずさり、そのまま静かにドアを閉めた。

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