3

 部活終了後の下校途中、先の交差点で信号待ちをしている琴美を認めた祐介は、自転車を漕ぐスピードを上げて、それに追い付いた。

 「よっ。山下」

 「あっ、並木君」琴美は自転車に跨ったまま祐介を見た。先ほどの件があるから、すこしぎこちない笑顔だ。祐介はニコニコしながら言った。

 「もう大丈夫だよ。青木に言っといたから」

 「何を?」

 「何をって、雑誌に落書きされたことだよ」

 祐介は『イジメ』という言葉を使えなかった。そんな残酷な言葉を、当人に向かって使えるはずなど無い。しかし琴美は、目を逸らして沈んだ声で言った。

 「無駄だよ」

 祐介の顔から表情が消えた。時間が止まったような感じだ。信号が青に変わったが、二人は交差点のこちら側から動かなかった。他の生徒たちは、そんな二人に注意を払うことも無く、賑やかに横断歩道を渡って行った。

 「えっ、何で? 青木は『任せとけ』って言ってたけど・・・」

 「何もしてくれないよ。してくれるわけ無いじゃん」

 信号が点滅を始めた。三人組の上級生が、駆け足で信号を渡った。

 祐介には判らなかった。琴美の口から出た言葉の意味が、本当に理解できなかった。

 「何でだよっ! 何で『してくれるわけ無い』んだよ!」

 「だって・・・」

 祐介は琴美の顔を覗き込んだ。それを避けるように琴美は顔を背けた。代わりにこう言った。

 「私のことは気にしなくていいよ、並木君。それに・・・ もう私には話しかけなくてもいいからね」

 「何だよそれ! 何でそうなるんだよ!」

 信号は赤になっていた。

 「だって並木君もイジメられちゃうよ」

 「ふざけんなよ!」と言おうとした祐介であったが、彼がそう言う前に琴美が言った。

 「ゴメンね、並木君・・・ ゴメンね・・・」

 「な・・・ 何でお前が謝るんだよ。わけ判んねぇよ・・・」

 「だって・・・」

 琴美の目から大粒の涙が零れ落ちた。幾つも幾つも零れ落ちた。琴美は子供の様に両手の甲で目頭を抑え、それをゴシゴシと擦ったが、それでも止めどなく涙は流れ落ちた。「だって・・・」ともう一度言った。

 「ばっ・・・」

 祐介には、琴美にかける言葉が見つからなかった。

 「バカ、泣くなよ」

 祐介は泣き止まない子供をあやす様に、琴美の頭をなでてやった。それでも琴美は謝り続けた。

 「ゴメンね・・・ ゴメンね・・・」

 信号は、何回目かの赤に変わった。

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