5

 そこは戦場であった。敗走する米軍が最後のヘリを離陸させる時、誰もが自分だけは助かろうと群がり腕を伸ばす。怒号が満ちていた。罵声も飛び交っていた。悲鳴が聞こえた。子供の泣き声も。かつてテレビのドキュメンタリー番組で観た、そんな混沌の中に祐介は身を置いていた。

 「おばちゃん! 俺カレーパン!」

 「痛い! チョッと何すんのよ! アタシ玉子サンドね!」

 「アンタたち、チッとは野菜も食べなさいよ!」

 「もう塩昆布しか残ってねーのかよっ!」

 「あーっ! それ私のメロンパン!」

 昼休みの売店は、いつもの様相を呈していた。その混乱の中、要領良くカツサンドと焼きそばパンとタラコのお握りをゲットした祐介は、売店横に設置された自販機でいつものイチゴミルクを買い、教室に向かって歩いていた。そこに琴美がトボトボと歩いて来た。あのダイビング・マガジンの一件以来、なんとなく声を交わすようになっていた二人だったが、声をかけるのはいつも祐介の方からで、琴美から掛けてくることは無かった。

 「山下ぁ。今から売店?」

 俯き気味に歩いていた琴美は、祐介の存在には気付いていなかった。いきなり声を掛けられてビクッとした琴美は、目を真ん丸にして、その声の主を見つめた。それが祐介であることが判ると、ホッとしたように顔をほころばせ、僅かに笑った。緊張してこわばっていた全身から力が抜けて、安堵した表情で応えた。

 「うん・・・ チョッと出遅れちゃった」

 「今から行ってもロクなもん残ってねーぞ。サラダくらいしか。」

 「そっかな。そうだよね。じゃぁサラダでいいや」

 「そんなんじゃ、午後の体育で動けなくなっちまうぞ」

 そう言って祐介は焼きそばパンを差し出した。

 「えっ? いいよ、そんな・・・ 悪いし・・・」

 「構わねーよ。食えよ」

 「えぇ・・・ でも・・・」

 そうやってモジモジする琴美に祐介は言った。

 「じゃぁサラダ買って来いよ。それと焼きそばパンを交換しようぜ。それなら文句無いだろ?」

 「えっ、あ・・・ うん・・・」

 「じゃぁ、教室で待ってっから」

 そう言い残すと、祐介はサッサと教室に向かって去っていった。廊下には琴美がポツンととり残された。

 人影も途絶えた売店には、祐介の言う通り、サラダしか残ってはいなかった。売店のおばちゃんは琴美を見ると、人の好さそうな顔で声をかけた。

 「あら、琴美ちゃん。まぁーたサラダだけ? 太っちゃいないんだから、もっとちゃんと食べなきゃダメよ」

 おばちゃんには「ダイエットしてるから」と嘘をついている。

 「うん。でも、朝と夜はしっかり食べてるから大丈夫」

 「そんなこと言わないで。ほら、琴美ちゃんの為に鮭マヨのお握り、一個取っておいたから。これも食べな」

 琴美はそれを受け取ると、笑って答えた。

 「うん。有難う、おばちゃん」


 売れ残ったサラダと鮭マヨを抱えて教室に戻ると、窓の外を眺めながら祐介が一人でカツサンドを食べていた。お握りは既に食べ切っているようだ。クラスメイトの半分くらいは ――主に男子生徒は―― さっさと校庭や体育館に散って、サッカーやらバレーボールやらで遊んでいる。席に着いた琴美が声をかける。

 「な・・・ 並木くん・・・」

 「おぅ。やっぱサラダしか無かったか? おっ、鮭マヨもゲットか? やるじゃん」

 祐介は右後ろに向き直って座り直し、焼きそばパンを琴美の机に置くと、代わりにサラダを掴んだ。そして琴美の方を向いたまま、サラダのパックを開けた。

 「俺、トマト嫌いなんだよな。後でトマトだけ返すよ」

 そう言って笑う祐介に「ありがとう」と言うタイミングを逸した琴美は、代わりにこう言った。

 「トマト美味しいじゃん。好き嫌いしちゃダメだよ」

 祐介は笑いながら、残りのカツサンドを頬張った。


 「ダイビングの話、聞かせてよ」

 まだ焼きそばパンを食べ切っていない琴美に向かって、祐介は言った。空になったイチゴミルクをパコパコいわせながら。

 「うん。前も言ったけど、まだライセンスは持ってないんだ。スクーバの場合、ライセンスって言わずにCカードって呼ぶんだけどね。でもいつか海に潜って、クジラを直接この目で見てみたいって思ってるの」

 「へぇー、クジラかぁ。いいなぁ、俺も見てみたいな」

 「でしょ? 真っ青な海に潜って、宇宙遊泳みたいに漂いながらクジラと一緒に泳ぐのが夢なんだ」

 「いいじゃん、いいじゃん。やっぱ若者は夢を語らなきゃだよ!」

 「なに年寄りみたいなこと言ってるのよ?」

 二人は笑った。いつになく琴美は饒舌だった。祐介が聞き上手なのだろうか? 琴美にしてみれば、こんな話をクラスメイトにしたのは初めて ――むしろ隠していた―― だったが、祐介が相手だと、素直にどんなことでも話せそうな気がした。

 「でもクジラなんて、何処に行けば見れるんだ? 南の島とか? いや北の方かな?」

 「日本でも見られるよ」

 「日本!? マジか!?」祐介が素っ頓狂な声を上げた。

 「だって昔、日本は捕鯨国だったでしょ? ってことは日本近海にもクジラは居るってことだよ」

 「そっか。確かにそうだな。沖縄とかかい?」

 「ううん、小笠原」

 「おが・・・ 東京都じゃねーかっ!」

 「そうだよ。東京でクジラが見れるんだよ! 凄いでしょ!」

 二人のグジラ談義は昼休み中続いた。琴美のダイビング・マガジンを覗き込みながら、祐介はゲラゲラ笑い、琴美はクスクス笑った。二人が笑う度、琴美の学生鞄にぶら下がっている、まん丸くデフォルメされたクジラのマスコットが揺れた。その様子を遠巻きに見つめるクラスメイトたちの冷めた視線に、祐介が気付くことは無かった。そう、琴美だけはそれを感じ取っていた。

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