7・2

 千葉心聖高等学校にある極東軍総指令部に、その第一報がもたらされた時、葉琉は校長室のオーディオセットでラフマニノフを聴いていた。前奏曲嬰ハ短調「鐘」の重厚なメロディに心を弄ばせていると、区域と区域の間のギスギスした政治的、軍事的課題も細事に思えてくるから不思議だ。ひょっとしたら、今まで自分が書記長として行ってきた全ての業も、夢の中の出来事だったのではないかと思えてくる。

 椅子の背もたれを倒し気味にして、眠るように目を瞑る葉琉に陽菜が話しかけた。

 「書記長。南が動きました」

 葉琉は同じ姿勢のまま、うっすらと目を開けた。

 「南港湾軍が全面的な解放軍支援を表明しました。このままでは・・・」

 「では、引きましょう」葉琉は即座に判断を下した。「元々我々は、北方での戦争を抱えています。最初っから北都に関わっている余裕などなかったのですから、いい潮時じゃないでしょうか?」

 「はい」

 「北都とは関係修繕のためのお膳立てを、考えておくべきでしょうね。なんて言ったって我が極東は、北都を経由しなければ、陸路で央都に行く事も出来ないのですから。そこを遮断されれば、極東の経済に多大な損失を与えかねません」

 「アクアラインを経由して南港湾に抜けることも可能ですが・・・」

 「その南が北とくっ付いたわけでしょ?」

 「はっ、そうでした。失礼いたしました」

 陽菜の的外れな進言にも、葉琉は別に気にする様子も無い。

 「北都と仲直りをすると言っても、こちらがへりくだるような態度はいけません。あくまでも対等、ないしはそれ以上の高圧的な押しが、外交上は重要ですよ。外交下手で弱腰の北都には、それくらいが丁度良いのです」

 「かしこまりました。で、央都はどうしましょうか?」

 「放っておきなさい」

 「はっ」

 陽菜が敬礼して退室しようとするのを、葉琉が止めた。

 「央都軍にそそのかされて、まんまと今回の軍事行動に出てしまった責任を、誰かが取らねばなりませんね。一部の暴走した軍部関係者を処分しなければ、内外に示しがつかないでしょう」

 「承知いたしました。それでは適当に見繕います。大将クラス・・・ で宜しいでしょうか?」

 「任せます」



 「何ですってっ!? 南が!?」

 三田女の音楽室に、桃佳の声が響いた。千夏はその声に動ずることも無く、冷静に応える。

 「このままでは、一挙に世界大戦の様相かと。如何なされますか、桃佳様?」

 「待って待って、それじゃ私たちが挟み撃ちじゃない! なんで南港湾が、そんな火中の栗を拾うようなことをするわけ? 意味が分からないわ!」

 「私にも判りかねます。ただ、こうなった以上、北・南に挟まれる格好の央都は圧倒的に不利。北都軍がいまだにしぶとく抵抗を見せている上に、南港湾軍は強力です。戦力の半分は・・・ いや、最低でも六割は多摩川の区域境界に振り向けないと、今度は私たちが背中を刺されることになります」

 「東は何と言っているのっ!?」

 「今のところ、なんとも。それに、たとえ央・南が戦火を交えても、東の知らぬ存ぜぬは明白ではないかと」

 桃佳は爪を噛むという、優雅とは言えない悪い癖を再発させた。

 「あの東の狸め。この機に乗じて、北南連合に寝返る可能性も捨てきれないわね。極東にしてみれば、央都を駆逐する千載一遇のチャンスなのだから。それくらいのことは平気でする女よ、あいつは。面の皮が分厚いんだから・・・」

 「もしそうなったら、完全に包囲されている私たちに勝ち目は有りません。北と南に、そんな太いパイプが有ったなんて。迂闊でした」

 そして千夏は、あえて同じ質問を繰り返した。今、桃佳が決断せねばならないのは、その一点に尽きるのだから。

 「如何なされます、桃佳様?」

 「引きます! 今すぐ北都内に侵攻している央都軍を引き上げさせて! 南港湾軍が行動を起こす前に、北都から手を引く意思を明確に伝えるのよ!」

 「承知いたしました。では、あの傀儡政権はどう致しましょうか?」

 「知らないわよ、あんなもの! さっさと捨てておしまいっ!」

 「もう一つ懸念材料が・・・」

 桃佳は千夏にキッとした視線をぶつける。

 「何っ! これ以上何が有ると言うのっ!?」

 「解放軍の幕僚長が、政府軍内に捕虜として収監されていますが・・・」

 「北都地区まで、丁重にお送りしなさいっ!」

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