6・2

 北都の首都、大宮の防衛にあたっている奈々香は、とあるビルの上に陣取って侵攻する央都軍兵士を狙撃していた。彼女が見下ろす先では、また一人、央都軍兵士がビルの陰から姿を現しつつあった。その女子生徒はキョロキョロと辺りを警戒しながら、腰をかがめるようにして奈々香の射程圏内を進んでいる。

 狙撃自体は、適度な高さを持つビルから撃ち下ろすアングルが効率的と言えたが、そのビルの下階を抑えられたら、もうどこにも逃げ場が無くなるという両刃の剣だとも言える。そういった不利を克服するため解放軍の狙撃兵たちは、基本、別行動を取りながらもLINEでお互いの位置や敵の位置情報を共有し合うという戦術を用いていた。


 奈々香はターゲットをスコープ内に捉えたが、直ぐに撃つことはしなかった。何故ならば、荒川を越えて大量の央都軍兵士が流入しているという情報を貰っていたからだ。一人二人を撃ったところで、足止め効果は有ったとしても基本的な状況は変わらない。もし、自分の行動に少しでも戦略的な意味合いを持たせたいのであれば、なるべく多くの敵を葬るべきだろう。

 そうやって待っていると、先に姿を現した央都軍兵士が後ろに向かって合図を送る。暫く経つと、その仲間と思われる二個小隊が、ソロリソロリと奈々香の狩場である交差点に現れた。

 「さぁ、狩りの始まりよ」

 奈々香は敵の退路を断つために、小隊の一番後ろを歩く兵士に狙いを付けた。後ろの人間が撃たれた時、人は本能的に先へ先へと逃げたくなるものなのだ。そして先へ逃げて、奈々香の射程圏内から無事逃れたことを喜んだのも束の間、2ブロック先のビルの上に陣取った、別の狙撃兵の狩場に足を踏み入れてしまったことに気付くはずである。

 彼女はいつものルーティン通りにゆっくりとした呼吸を心掛け、そして軽く引き金をいた。


 タンッ・・・


 最後尾の央都軍兵士の右首にめり込んだ弾丸は、そのまま彼女の後方に貫通した。その際、頭部を支えていた頸椎が破壊され、おかげで彼女の頭部はへし折られた向日葵のように垂れ下がる。ついさっきまで一緒に歩いていた仲間が、いきなりドサリと崩れ落ち、振り向いた時にはあり得ない角度に首の折れたゾンビのようになっていた時の驚きようとは、いったい如何ほどのものであろうか。その一瞬の戸惑いが、奈々香がつけ入るべき隙だ。

 驚愕する他の隊員が的確な対応をするまでに、なるべく多くの戦力を削いでおきたい。奈々香は連続して引き金を引き続けた。


 タンッタンッタンッタンッ・・・


 四発撃った。そのうち少なくとも三発は、敵に損傷を与えたと思えた。

 奈々香の相棒であるレミちゃんことレミントン・アームズ社製のM24 SWSは、その名が示す通り ──名前のSWSは、Sniper Weapon Systemを意味する── 狙撃専用にデザインされたライフルだが、ボルトアクションを採用しいるため、いわゆるマシンガンのような連射は出来ない。つまり、引き金を引く度に、一発の弾丸しか撃てない。

 彼女はこの相棒をいたく気に入ってはいるのだが、やはり今日のような戦況を効率的に処理するためにはセミ・オートマチックが欲しいところだ。今度、基地に帰ったら、SR-M110 SASS ──SASSとは、Semi Automatic Sniper Systemの意味── も手に入れて、一緒に持ち歩こうかしらと本気で考えるのであった。


 スコープ内では、負傷した仲間を置き去りにし、敵の二個小隊が先の交差点へと消えていった。その先も地獄であることを知らずにだ。もう少し敵の人数を減らしておきたかったところだが、次に控えている仲間が、漏れなく彼女たちを葬ってくれるだろう。たとえそこを生き延びたとしても、更にその先にも別の狙撃兵がいる。大宮に足を踏み入れた央都軍兵士には、生きて帰る道など存在しないのだ。だって解放軍の狙撃兵は世界一優秀なのだから。

 奈々香が付近の友軍狙撃兵にメッセージを送ろうとスマホを取り出すと、懐かしい人からのメッセージ通知が届いているではないか。莉亜奈だった。

 幕僚本部に出頭命令? 何だろう?


 ─ 大至急、東浦明星に来られたし … 莉亜奈



 結局、央都と極東が裏で手を組んでいたわけだ。この両地区、お互いに相手のことを仮想敵区域と認識しているが、大区域同士、その思惑に共通する部分は意外に多い。つまり、双方とも機会さえ有れば武力衝突も辞さない構え ──少なくとも体面上は── ではあるが、今はそのタイミングではないとのお家事情・・・・は共通していた。

 極東は北部に別の戦争を抱えていて、今、央都と真面目にドンパチを始めるわけにはいかないのは誰の目にも明らかだ。央都と肩を並べる超大区域を目指し、急激な成長を遂げる反動として区域内に発生した歪は相当なものである。

 一方、央都は栄華を極めた風を装ってはいたが、その内情は悲惨と言わざるを得ない状況だった。一般市民をないがしろにし、大企業や金持ちだけを優遇する無能な大統領が再選を果たした結果、区域民内の貧富の格差が広がり、内部情勢は不穏な空気によって先行き不透明なのだ。

 言ってみれば、それは巨人同士の戦いである。ただの見栄の張り合いで済んでいるうちは良いが、実際に拳を交えるとなると話は違ってくる。どちらも図体が大きい分、消耗も著しい。従って、準備万端整った状況でなければ無用な消耗戦になりかねず、それは央都も極東も避けたいのだ。そこで、互いの腹を探り合った結果、切りの良い所で折り合いをつけた形である。


 その具体的な方策が、最近力を付けてきた北都、つまり解放軍を今のうちに骨抜きにしておくという、お互いに利の有る着地点だ。内戦で体力を消耗している北都なら、さほど大きな犠牲を払わずとも組み敷くことが出来るはずである。つまり、弱っている北都を叩き、その分割統治によって央・東の直接対決を回避しようという線に落ち着いたのだ。


 央都は北都侵攻を推し進めつつも、早々に傀儡政権を樹立した。極東よりも先んじて既成事実を作ることで、北都分割計画の主導権を握りたい構えだ。当然ながら、その政権の足場になるのは北都政府軍である。

 央都の港区にある三田女に呼び出された双葉が、桃佳に食い下がっていた。

 「どうして私なのでしょうか? 政府軍内には、正式に総理大臣の役職が存在します。軍という一組織内の長である私が、その新政権の首相となる根拠をお教え下さい」

 「根拠ですって? そんなものは明白でしょ? 貴方もご存じのはず。あの女に大切な新政権を任せることなど、出来るものですか」

 「しかし政府軍には政府軍の、民主的な首長選定システムが存在します。それを差し置いて、一方的に央都の意向を押し付けるのは、内政干渉と言わざる・・・」

 「子供みたいなこと言わないでっ!」桃佳がテーブルを叩いた拍子に、ティーカップの紅茶が少しだけ撥ねた。「貴方、もう少し話の分かる人だと思っていたわよ。私を失望させないで、双葉さん」

 「しかし・・・」

 「はっきり言いましょうか? それで貴方の中のモヤモヤが晴れるなら、私は構わないわよ」桃佳は残酷な色を帯びた眼差しを双葉に向けた。「えぇ、そうよ。今度の新政権は央都の傀儡政権です。新区域と言っても、実質は央都の植民地。その植民地の首長として、貴方が担がれた・・・・のです。お判りになったかしら?」

 双葉がググッと何かを飲み込む音が聞こえたようだった。彼女の拳は固く握られたまま、僅かに震えていた。

 「北都の西側を央都が、東側を極東が抑えます。何処に区域境界線を引くかは、これからの交渉次第ですが、貴方が西側の首相となることは決定事項なのです」

 「妃代は・・・ 現総理はどう処遇されるおつもりですか?」

 「あぁ、心配しないで。あの女は更迭します。で、その後どうしましょうか、って話ね? んん~・・・」

 腕を組んで右手だけを顎に添え、まるで休暇の計画を練るような楽し気な様子だ。それを見た双葉の拳からは、力が抜けてゆくのだった。

 「あっ、そうだ!」桃佳がパチンと両手を打った。「未開の地にでも区域外追放にしたらどうかしら! ホホホホホ」

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