5・3
「危険です、幕僚長! 央都軍の侵略の意図が明白となった今、荒川の区域境界ラインを手薄にするなど考えられません!」空が吠えた。
「しかし、今のうちに手を打たねば区域全域が戦場となり、多くの犠牲が出ることは否めないでしょ? 違う?」梨沙の冷静な声だ。
「我々には準備が出来ている! そのための狙撃部隊編成ではなかったのか!? 過去の歴史を紐解いてみろ! あの最新兵器と物量を誇る超大国アメリカが、ベトコンに敗北したではないか!」
「そんなゲリラ戦に持ち込んだって、戦況が泥沼化するだけじゃない。それにアメリカが負けたのはベトコンにではないわ。国内世論に負けたのよ。世論による手枷足枷をされた米軍が勝てる道理なんて、最初から無かったのよ。だけど央都内の世論が、私たちに都合の良い方向に傾く保証なんて無いでしょ?」
この二人、同期のくせして反りが合わないのか、或いは単に性格が違い過ぎるのか、いつも意見が食い違う。初めて二人の口論を見た時、莉亜奈は酷い部署に配属になったと思ったものだが、ひょっとしたら、あえてそういう二人を幕僚に組み入れることで、視点の多様性を保とうという果蓮の采配なのではないかと、最近は考えるようになった。
どちらかと言うと、好戦的で直情的な空に対し、ハト派の梨沙が冷静にやり込めるシーンの方が多いような気がするが、二人の議論を聞いたうえで最終的な結論を導き出すのは、やはり果蓮の仕事だ。
そんな統合幕僚本部に蒼衣が呼ばれたのは、彼女の卓越した分析力と洞察力を買ってのことだろう。では、私はどうして呼ばれたのか? 莉亜奈は最近、この自問自答を繰り返していた。
座学の成績が良かったから呼ばれた? いいや、そんなはずは無い。果蓮は私に何かを期待して人選したはず。でも一体、何を・・・?。
白熱する二人に割って入るように莉亜奈が発言した。
「幕僚長 ──それから蒼衣── 実際に極東の二人と顔を突き合わせてみて、どういった印象を持たれましたか? 信頼に足る人物だと?」
最初に答えたのは蒼衣だった。
「陽菜さんはスッゴクいい人でしたよ。お話も楽しくって・・・ でも、葉琉さんの方はあまりしゃべる機会が無くって・・・ 優しそうな印象は有りますが、よく判りませんでした。ごめんなさい」
果蓮が話を引き継ぐ。
「書記長は・・・」
『葉琉』ではなく『書記長』と呼んだ時点で、果蓮の心の内には既に結論が有ることを莉亜奈は感じ取った。
「彼女は良く判らないな。悪い人間ではないとは感じたが、正直な人間かどうかまでは読み切れなかった。腹の底では何かの策略を練っているような印象は拭い切れない。そういったタイプの人間だ」
「つまり『信頼できない』と断ずることは難しいが、『信頼できる』と宣言できる相手でもないということでしょうか?」
「そういうことになるな」
「しかし・・・」莉亜奈は少しだけ言い淀んだ。「相手に対して何らかの評価が有るからと言って、それに応じた行動をとれるとは限らないでしょう。信じてくれている人を裏切らねばならないことも有るし、信じ切れない相手に、利き腕である右手を委ねざるを得ない状況だって有るのですから」
果蓮は莉亜奈の意見に頷いた。莉亜奈は続ける。
「私たちのプライオリティーは区域民の生命と財産であり、それを守るためには、第一に央都軍との全面戦争だけは回避する必要が有ります。もしベトナム戦争のような状況になれば、区域民に多大な犠牲が出ることは自明の理であり、それこそが最悪のシナリオです。まずはこの点を共通認識として持つ必要が有ると考えます」
「その点には同意するわ。でも、極東と組むことが、より不幸な結果をもたらす可能性も否定できない」と、冷静な梨沙が述べる。
「その通りです。だから私たちは悩んでいるのです。ただ極東の思惑に関しては、いまだ結論づけることが叶わず、不確定要素としか言えません。丁度、葉琉という名の極東書記長に対する人物評価が流動的であるように。つまり、希望と懸念が背中合わせに共存している状況と言っていいのです。
そう考えた場合、現時点で私たちが採り得る最良の・・・ いや、最悪を避け得る選択肢は、軍の撤退しかないと私は思います」
果蓮は大きく頷いた。自分と同じ結論に到達した莉亜奈を頼もしく思ったのだ。
「荒川東岸ラインに展開中の全部隊を撤収させよ! 各部隊は東北新幹線ラインまで後退し、不測の事態に備える。特に首都大宮周辺の防衛に関しては、央都区域内から戻した狙撃部隊で増強するように!」
そして解放軍撤退の完了を待って、北都、央都、極東の三区域による和平交渉が開始された。その会場は、央都参戦の引き金ともなった、この戦争の象徴的な場所、月島女子高等学校である。
解放軍からは統合幕僚総本部、幕僚長の果蓮、央都軍からは統合参謀本部、参謀本部議長の桃佳、加えて仲介役である極東からは、書記長である葉琉が列席し円卓を囲んだ。更にそこに、政府軍の実質的指揮官である双葉が、オブザーバーとして参加していた。
この、極東の仲介による歴史的な和平交渉によって、北・央の停戦が実現するかに思えたその時だった。果蓮に随行していた蒼衣が血相を変えて議場に駆け込んで来ると、果蓮にそっと耳打ちした。その途端、果蓮の表情が見る見るうちに紅潮し始めた。
「いったい、どういう事だっ!? 説明してもらおう!」
椅子を蹴って立上り、円卓に覆いかぶさる様な剣幕で問い質す果蓮に対し、桃佳は涼しい顔を向けた。
「あ~ら、どうしましたの、果蓮さん? 何か一大事でもお有りかしら?」
「とぼけるのは止めろ! った今、央都軍が荒川を越えて、北都区域内への侵入を開始したとの情報が届いた! この和平交渉の最中に、どういうつもりだ、桃佳っ!」
驚いていたのは果蓮だけではなかった。政府軍の双葉にも、まるっきり寝耳に水の話だったのだ。
「桃佳様、これはいったい・・・」
「双葉! 貴方はオブザーバーです。黙っていなさい」そして冷ややかな笑顔を果蓮に向けた。「その件に関しては、葉琉さんの方からご説明が有りますわ」
話を振られた葉琉はゆっくりと、だたし断固とした決意の籠った声で言った。
「我ら極東軍は、北都解放軍に宣戦を布告する」
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