4・2
星高(星高等学校)の応接室に、若い兵士が飛び込んできた。
「荒川に架かる西大宮バイパス上の先鋒隊から報告です! 只今、敵の強力な反撃に晒されてていて、橋を渡ることが出来ません! 兵員の損失も激しく、一時的な後退の許可を求めてきております」
「敵ですって!? 解放軍は、前線から離れたこんな北部の区域境界沿いにも、兵を展開していたということなの!? そんな馬鹿な・・・ 確かに大宮周辺の守りが固いことは予期していたけれど・・・ 信じられないわ・・・」
顔を曇らせる千夏に、横に控えていた大佐が問いかける。
「如何いたしますか、副司令官!?」
「待って、他の部隊にも確認を取るから」
そう言って千夏はキティちゃんのケースに収められたスマホを取り出すと、各部隊指揮官がメンバーとして登録されているLINEグループを立ち上げ、素早い指使いでメッセージを撃ち込んだ。
─ 川越は敵の強力な抵抗に遭遇中。他隊は? ─
直ぐに「既読」が点き、朝霞の部隊の指揮官から返信が来た。
─ こちらも敵と交戦中 ─
それを機に、次々と返信が舞い込む。
─ 和光も。一旦退却の指示を出したところ ─
─ 富士見、苦戦中。マジむかつく ─
「間違いないわ。こちらの動きが読まれていたのよ・・・」千夏は直ぐに決断を下した。「進軍停止! 一旦、川の西側まで退却せよ!」
それを聞いた若い兵士は、部屋を飛び出していった。
千夏はLINEアプリを閉じると、今度はスマホを耳に当てて桃佳を呼び出した。
「桃佳様・・・ 早く。これは罠です」
一旦は西大宮バイパスの橋を渡り出した央都軍兵士たちは、川向こうからの痛烈な攻撃に足止めを喰らい、転じて退却を開始した。その動きの全てを古谷側のビルの上から見ていたのは、解放軍の狙撃兵だった。そう、彼女を含め多くの狙撃兵が予め央都軍側に潜入して分散、伏兵し、機を窺っていたのだった。
慌てふためいて敗走し始めた央都軍兵士をスコープに捉え、彼女たちは容赦なく狙撃を開始する。最初の一人の膝から下が吹き飛んで倒れた途端、他の兵士たちの足が止まった。彼女たちの顔が凍り付き、そして誰かが叫んだ。
「スナイパーーーッ!」
自陣に戻ろうとしていた央都軍兵士たちは、踵を返して東に向かって逃げ始めた。そりゃそうだ。歩兵にとっての最悪の悪夢と言えば、ブービートラップに手足を吹き飛ばされることと、狙撃兵に狙われることなのだから。身を隠す場所も無い橋の上で狙撃される以上の恐怖など、有りはしないのだ。
おかげで橋の中央部では、東岸の敵から逃れようとする兵士たちと、西岸の狙撃兵から逃れようとする兵士たちが押しくら饅頭状態となり、全ての統制を失った烏合の衆が出来上がった。中には川に身を投げて逃げ延びようと試みる者も現れたが、そういった者こそ狙撃兵の恰好の的であることを身をもって証明してくれた先人たちのおかげで、後続は途絶えたきりだ。
つまり、彼女らに与えられた僅かばかりの遮蔽物と言えば、それは先に倒れた仲間の躯だけだったのだ。
「どういうことなの、千夏っ!」
桃佳はスマホに向かって吠える。そこから千夏の微かな声が漏れ聞こえた。
『ですから、桃佳様。我々の動きが敵に察知されていたと考えるべきです』
「何ですって!?」
『川越では橋の上に足止めされた兵が、敵の挟み撃ちに遭って壊滅寸前です。敵のスナイパーが多数、予め我が央都区域内に潜伏していのでしょう。和光、朝霞、富士見でも同様の状況だとの報告が入ってきております』
「くそ忌々しいスナイパーどもめっ! 先ずはそいつらを最初に血祭りに上げなさいっ!」
『お言葉ですが、桃佳様。兵の主力は北都侵入部隊に投入、つまり今は橋の上に足止めされているため、自陣内は手薄です。しかも奴らは連携行動をしているらしく、橋の上を攻撃するスナイパーと味方を守るスナイパーに分かれています。むしろ狙われているのは私たちです』
「ググググ・・・」
『桃佳様。兵の撤退を指示したら、直ぐにでも安全な後方へ避難して下さい。赤羽にも・・・ 桃佳様の周りにも、解放軍のスナイパーが潜んでいるものと考えるべきです』
「いいえ、私は逃げません。解放軍ごとき下衆の前から逃げたりするもんですか」
『しかし、桃佳様っ!』
「ちょうどいいわ。政府軍の双葉を呼びつけましょう。彼女ならこの窮地をどうやって切り抜けるでしょう? 新任副官の技量が如何ほどのものか、私がこの目で確認させてもらうわ。
幸いにも、こちらの新荒川大橋の下には浮間の中州が有って、我が央都軍兵士たちはそちらに移動し、大部分は温存されています。その隊を彼女に託してみます」
奈々香の構えるスコープには、聖女高(聖女子学院高等学校)の校長室の窓が捉えられていた。
折角、橋の上で挟み撃ちにした敵は、下の中州へと逃げおおせて、浮間船渡駅の方角に向かって敗走しつつ態勢を整え始めていた。川越などの他の戦場と比べ、ここ赤羽では戦闘が長引きそうな気配だ。その敵の動きに対応した奈々香が西に移動を開始したところで、聖女高が敵の前線基地として接収されていることを発見したのだった。
彼女は学校と道路を挟んで建つ三階建てのアパートを見つけ、今はその屋上に陣取っている。窓の奥では、央都軍の指揮官らしき女子生徒が行き来しているのが見えたが、スマホを耳に当てながらツカツカと歩き回っているらしく、大人しく一か所に止まっていてはくれない。奈々香は、先ほどから引き金に指を掛けてはいるのだが、それを引くほどの好機は中々訪れないのであった。
そうやって暫くチャンスを窺っていると、その指揮官とは異なる制服に身を包んだ女子生徒が現れた。奈々香は記憶の奥を掘り返す。何処かで見たことのある制服だ。あれは確か・・・。
「清女!?」
そう、その女子生徒は央都軍ではなく、政府軍だった。何故、政府軍の兵士が ──おそらく将校なのだろうが── こんな所に? ひょっとしたら、軍事面での重要な折衝でもしているのだろうか? その政府軍兵士は、立ったまま窓枠の陰に向かって話を始めた。おそらく奈々香からは死角になる位置に、央都軍の指揮官がいるのだろう。動かないそれは恰好の狙撃ターゲットとなった。
奈々香は相棒のレミちゃん(M24 SWS)を持つ手に力を込めて、グッとスコープに集中した。そして、その政府軍兵士の側頭部にフォーカスする。ゆっくりと息を吸い、そして吐いた。引き金に掛かる指が徐々に引き絞られ、撃鉄が7.62x51mm NATO弾の底を叩くかに思われた寸前、政府軍兵士がこちらを向いた。
スコープ内でその顔を見た瞬間、奈々香は全ての集中力を失った。一瞬だが、ターゲットと目が合ったと思った。彼女は銃を胸の前に抱きかかえるような姿勢で仰向けになり、空を見上げたまま高鳴る鼓動を抑えるので精一杯だ。銃を持つその手も若干、震えている。
「な、なんで・・・? お姉ちゃん・・・?」
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