3・3

 重たいライフルを持って走るのは、与野副女での要員訓練以来だ。しかし体力には自信が有る。それこそが自分の存在価値であると認識している理央は、ただ黙って先を行く希悠の背中を追った。

 と言っても、どこに別の敵が潜んでいるかも判らない。身を隠しながら、姿勢を低くして走ったり止まったりを繰り返すのは、予想以上に体力を消耗する。それなのに、全く疲労を感じさせない希悠の走りは、やはり先輩の頼もしさに満ちていた。


 意外だったのは、この過酷な行動に歩奈が遅れずに着いてきていることだった。小柄でなんだかホワッとして頼りない雰囲気の歩奈も ──改めて見ると、親友の蒼衣にどことなく似ているのだった── やる時はやるということか。この二人を選んだ希悠先輩も、ちゃんと判っていたということなのかもしれない。

 「この辺かしら? 歩奈、どう?」

 幾つもの建物の前を通り過ぎてから、希悠はある雑居ビルの前で停止した。理央も歩奈も希悠に遅れず着いて行くことに精一杯で、歩奈がペリスコープで見たという茶色いビルまでの距離など、端っから頭から消えていた。

 「わ、判りません。はぁ、はぁ・・・」

 歩奈の次に無言で視線を向けられた理央も、肩で息をしながら「判りません」の意思を表情で伝える。

 「私の感覚だと、この一本左側の通りに出れば、歩奈がペリスコープで確認した茶色いビルだと思うの。でも、間違えて敵の前面に出てしまうことだけは避けたいから、もう少し進んで、背後からアプローチできるか探しましょう」

 そう言って希悠は横に走る道路を覗き込み、敵に見つからないことを確認してから素早く向こう側へと横断した。二人もその後を追った。


 渡ってから二つ目のビルを越えた時、左側にビルとビルの隙間の道路とも言えない程の、狭い通路が現れた。それを透かして見れば、敵が潜んでいる通りまで続いていそうだ。希悠は二人を振り返って、「ここに入るわよ」と小声で言う。二人は黙って頷いた。

 日の光も差さない湿った路地だ。おそらく野良猫ぐらいしか、この通り・・を使っている者はいないに違いない。そんな薄暗い隙間を20メートル程進むと、表通りに面した明るい隙間が目の前に迫った。

 その光の中に飛び出して左を向けば、沙由美が倒れている地点が見渡せるはずだった。ただ問題は、敵の潜む茶色いビルが、ここより右にあるのか左にあるのかである。もし右に有った場合、下手をすると我々も敵の狙撃対象になりかねない。左に有れば敵の背後に出たわけで、一旦は安全圏に入ったと言えるわけだが、それがあまりにも遠すぎた場合は、せっかく走ってきた道を少し戻って、また猫道・・を捜さねばならないことを意味する。

 希悠は自分の感覚を信じ ──つまり、茶色いビルは自分らよりも左にある筈と踏んで── 左側のビルに背中を預けながら、ゆっくりを通りを確認した。そしてまたゆっくりと戻ってきた。

 彼女は親指を立てながら言う。

 「バッチリね。ここからビル一個分戻った所に、例の茶色いビルが有るわ。じゃぁ、何とかしてこのビルの」そう言いながら、今、自分が身体を預けていた壁面をペシペシと叩いた。「中に入って、攻撃できるポジションを捜すわよ」

 「このビルの背面側に、確か窓が有りました。そこから入れるかもしれません」

 歩奈の言葉を聞いた希悠は、優秀な後輩を誇らしそうに見た。そして理央は「私も頑張って役に立たなきゃ」と思うのであった。



 無人のビルを1フロア登り、通りに面した位置をとる。そして、向かい側の茶色いビル ──及び、その周辺── に狙撃兵の影が無いかを確認し、無さそうであれば更に1フロア登って同じ動作を繰り返す。と言っても、相手は狙撃兵である。チョコマカと動き回っているはずも無く、ジッと石像のように固まって動かない相手の気配を感じ取るのは容易ではない。

 そこで理央は、奈々香から聞いた話を思い出すのだった。しつこい狙撃兵ともなると、半日くらいは平気で射撃姿勢を取ったまま待ち続けるのだという。聞いた話では、もう大丈夫だろうと三日後に表に出たら、まんまと脳天を撃ち抜かれた例が有ったらしい。従って、その姿勢のまま用を足す・・・・狙撃兵も珍しくは無いらしく、それを聞いた理央はゲラゲラ笑いながら奈々香をおちょくったものだ。しかし、今こうして狙撃兵と対峙してみると、改めて奈々香の言葉の重さに気付くのだった。


 そうやって四階にまで来た時であった。最初に窓際に寄った希悠の緊張感が一気に上がり、後ろの二人にもそれが感染した。

 「いたよ」

 右手を上げて二人の動きを制していた希悠が、自分の目で確認しろと場所を譲った。替わって恐る恐る覗き込んだ歩奈が「どこ?」と小さな声を漏らした。

 それを後ろで聞いていた希悠が言う。

 「茶色いビルの三階。一番通りに近い角のガラス窓の向こうに、這いつくばった人影が見えるでしょ?」

 暫くそのまま窓の外を窺っていた歩奈は、無言で振り返ると黙って頷いた。

 次に理央が窓際に寄った。先ほどの希悠の言葉を思い出しながら、向かい側の茶色いビルを見ると・・・ いた。狙撃兵だ。窓は各階で横一列に並び、ビルの四面を取り囲む帯のように繋がっている。敵はその窓の、私たちがいた方に向かって銃を構えていて、その横顔のシルエットが大通りに面した側の窓から透かして見えた。理央は敵から視線を放さず、窓から離れた。

 「確認しました。どうやります?」

 「そうね・・・ 敵の姿が目視できる状態だから、三人で一斉射撃が最も確実かしら?」

 「自分もそう思います」

 理央と希悠の会話を聞いていた歩奈は、二人に見つめられて頷き返した。

 「じゃぁ、各自持ち場について。狙撃兵は敏感だから、視界の隅で動く物にも即座に反応するわ。時間がかかってもイイから、気付かれないように慎重に射撃体勢に入るのよ。判った?」


 そして三人は、数メートルの間隔を開けて窓際に取り付いた。敵の鋭敏なセンサーに引っ掛からないよう、中腰の姿勢から徐々に体を上げてゆく。そして最初に希悠が言った。

 「準備完了。いつでもいいわよ」

 次に理央が完全な射撃体勢を整えた。

 「あたしもオッケーです」

 次いで歩奈も。

 「オッケーです」

 おそらくこの三人、通りから見上げたら、窓際に立つ三体のマネキンのようであったに違いなない。そのまま一旦、間を置いてから希悠が言う。

 「それじゃ、『せーの、バン』で行くわよ。いい?」

 二人は頷く事も出来ず、敵を照門に捉えたまま唾を飲み込んだ。

 「じゃぁ、行くわよ二人とも。せぇーのっ!」

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