2・3
「まったく、もう少しで央都中枢部に敵の侵攻を許すところでしたわ。桃佳さんのおひざ元が、そのような大事に至るのを未然に防ぐことが出来て本当に良かった。ウチの月女駐屯部隊も踏ん張った甲斐がありました。オホホホホ」
妃代は取って付けたような笑いを添えた。赤を基調としたチェックのスカートに、同色のリボンタイ。上に羽織っているのは胸にエンブレムをあしらったベージュのブレザー。これが北都政府軍の基幹校、清澄白河女学園の制服だ。
「あら、そうだったのですか? 私はてっきり、総理のところの駐屯部隊が無残にやられてしまったものだと思っていました」
必要以上に横柄な妃代に対し、にこやかに応対する桃佳のこめかみに僅かな青筋が立つのが、後ろに控えている千夏にも分かるほどだ。
「そんなわけ有りませんわ。桃佳さんったら、冗談がお好きだから困ってしまいます」青筋だったら妃代だって負けてはいない。「もし我が駐屯部隊が完全に壊滅していたら、今頃、どんなことになっていたのでしょう? もしそうなっていたら解放軍が攻め込んできて、この三田女も危うかったのではないかしら?」
「ホホホ、総理こそご冗談が過ぎます。そのようなこと、決してございませんのでご安心下さいませ」
「あら、そう? だって見たところ、この学校の兵隊さんたちときたら、てんで教育が成ってないんですもの。央都女子高連合なんて言ってても、意外に大したことないのね」
それぞれの組織内のグレードとしては、北都の総理大臣たる妃代の方が、央都軍総司令官、統合参謀本部議長よりも上だが、そもそも総理と言っても政府軍内でしか通用しないお飾りのようなもの。彼女が央都寄りに偏った政策に終始したためにクーデターが発生し、多くの区域民が背を向けた結果が今である。従って今では、実質的に央都軍の配下にある政府軍に在って、総理大臣と言えども子会社の社長程度の扱いである。
しかし仮にも社長を軽んずるわけにもいかず、表面上は桃佳が妃代を立てねばならない。お互いにそのような社会通念上の不条理を判っているため、この二人、顔を合わせる度にこんな子供じみた口撃の応酬を繰り広げるのだった。
それを見かねた双葉が割って入った。
「桃佳様。この度は、軍備の再補給を央都政府に進言頂き、感謝に堪えません。政府軍を代表して私から感謝の意を表させて頂きます」
この政府軍司令官の双葉は、つまらぬ見栄の張り合いなどには興味が無い。その裏にどのような思惑が有ろうとも、受けた施しに対し正当に謝意を示した。
「あら、さすがに双葉さんは人間が出来ていらっしゃるわ。いいえ、礼には及びません。友軍の窮地に手を差し伸べるのは、当然ですもの」
暗に「お前は人間が出来ていない」と指摘された妃代は、作り笑いで話の主導権を無理やり奪い取った。
「ウチの双葉が、是非とも桃佳さんに礼を述べたいと言うものですから、今日はこうして伺いましたの。私としては、央都の盾として我が政府軍が機能している以上、そこに補給するのは当然ではないかと思ったのですが・・・。どうも双葉は頭が固くていけませんわ。
ささ、これで用は済んだことだし、桃佳さんもお忙しいでしょうから、私たちはお暇させて頂きましょう。よろしいですか。双葉?」
「はい」
「あら、もっとごゆっくりしていって下されば良いのに。総理の印象派絵画に関するご見識を拝聴させて頂きかったですわ。本当に大したお構いも出来ず、申し訳ありませんでした。ほら、千夏。お二人を玄関までお連れして」
「かしこまりました」
「それでは失礼いたします、総理」桃佳はうやうやしく頭を下げた。
「それではごきげんよう、桃佳さん。西洋美術史に関しては、また別の機会にお話しして差し上げます」
千夏に見送られ、校舎を出てグラウンドを横切りながら双葉が言った。
「妃代、いい加減にして。貴方のせいで央都軍がへそを曲げたらどうするのよ。私たちには彼女の支援が必要だってことぐらい、判ってるでしょ?」
「いいじゃない、少しくらい。だってあの娘、央都生まれを鼻にかけて癪に障るったらありゃしないんだから。なぁ~にが印象派絵画よ、偉そうに。たまたま央都に生まれただけじゃない。
そもそも、何で私があんな娘に頭を下げなきゃいけないわけ? 央都の盾になってあげてるのは私たちなんですからね。貴方がどうしてもって言うから、仕方なく付いて来たけど、やっぱり来るんじゃなかったわ。はぁ~、ムシャクシャするっ!」
あきれ顔の双葉は、ため息混じりだ。
「そんな自分の見栄で、仲間の足を引っ張りかねないことやめて。あなた仮にも北都の総理大臣なのよ」
「ふんっ。国民なんてみんな馬鹿だから、誰が総理になっても変わらないぐらいにしか思ってないわよ。そんな奴らの為に、なんで私が我慢しなきゃならないの? 私にとっての国民は、私に献金してくれる人だけ。貧乏人に用は無いわ」
「・・・・・・」
千夏が二人を引き連れて退室した後には、桃佳が一人残されていた。彼女は優雅に席を立って窓際に寄り添うと、グラウンドを横切ってゆく二人の姿を見つめた。左手のソーサーからティーカップを取り、一口すする。視線は二人に注がれたままだ。
すると、最初は無表情に見えた桃佳の顔に、徐々に不穏な影が差しだした。細かく震える手で、ティーカップがカチャカチャと音を立てる。そして遂に、彼女の心中にわだかまる何かが一線を超え、振り向きざまに手に持っていたティーカップを壁に投げつけた。
ガシャーン・・・
壁に茶色い染みを残し、粉々に砕け散ったマイセンが床に広がった。
桃佳は肩で息をしていたが、左手に残っていたソーサーに気付いた彼女は、フッと力が抜けたように冷静な表情を取り戻す。そしてそれをポイと足元に放り投げ、再び元いたソファに身体を沈めた。その口からは、うわ言のような言葉が漏れ出ていた。
「私がこの戦争を終わらせる・・・。北都なんてどうでもいい。解放軍だって関係無い。あの薄汚い政府軍を私の配下に収める為に、私が戦争を終わらせてやるわ! 今に見てらっしゃい!」
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