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 元々、江戸川と荒川の間の区域を統括していた「北都女子高連盟」において主要な役割を演じていたのは清女の通称で知られる清澄白河女学園である。そのリーダー校が、荒川以南の央都地区(荒川から多摩川に至る、この地方の中枢区域)にすり寄る形での連盟運営に舵を切ったことで、北都の女子高生たちが反旗を翻したのが全ての始まりだった。北都としてのプライドもアイデンティティも無視した清女政権への不満が爆発し、クーデターが蜂起した格好だ。その結果、北都区域の北部を解放軍が、南部を政府軍が抑えるという区域を二分する内戦が勃発していた。

 そんな戦況において、奈々香は既に北解放軍に実戦配備されていた。高1の終わりにしてその処遇は異例とも言えたが、要員訓練の狙撃課程で、彼女たちの通う与野副都心女子高等学校歴上、最高ランクの狙撃成績をマークした奈々香は、直ぐに即戦力として南部戦線に配属となったのだ。無論、面白くも何ともない一般教養課程やら退屈な必修科目の履修は免除されている。


 ミッションの合間の、たまのオフ日に奈々香は久し振りに母校を訪れてみた。慣れ親しんだ校門を抜けると、授業中らしくグラウンドを走らされている少女たちがいた。と言っても彼女らと奈々香は、全く同世代なわけだが。かなりヘタばっている娘もいるようで、ヘロヘロになっている彼女たちを見て、かつての自分を見ているような気がした奈々香は、何だかくすぐったい想いを抱くのであった。

 彼女たちの授業の邪魔にならないよう、校庭の隅をコソコソと進む。明るくなり始めた春の日差しを受けた学び舎はキラキラと輝き、開け放たれた窓から僅かに漏れる授業の声も、なんとなく懐かしい。特例的に前線配備になってまだ半年しか過ぎていないのにそんな風に感じるのは、ここで友達とワイワイ騒いでいた時間が、彼女にとって何物にも代えがたい宝物だからだろう。あんな風に楽しく過ごせる時間は、もう二度と戻ってこないのだと思うと、その宝物はますます輝いて見えるのだった。

 奈々香は深呼吸するように、暫く忘れていた女子高の華やかで元気の良い空気を胸一杯に吸い込んだ。こうやって時々、充電してやることが重要なのだ。前線で戦うための英気を養うために、彼女は折を見ては、こうやって母校を訪れるようにしていた。


 その時、三階の教室の窓際に座っていた生徒の一人が、ふと見降ろした校庭に奈々香が居るのを認めた。一瞬、目を丸くした彼女は、授業中にもかからず立ち上がって叫んだ。

 「奈々香ちゃんだ!」

 すると途端に、その教室中の生徒たちが窓際に駆け寄った。そして「キャーキャー」と黄色い歓声が上がる。その歓声に釣られて、他の教室の窓にも生徒が集まり出し、遂には全校生徒が押し合いへし合いする押しくら饅頭が始まった。さしずめアイドルがサプライズで来校したような騒ぎが巻き起こり、ヘロヘロになって走っていた筈の生徒たちも途端に元気を取り戻して、奈々香を取り巻くように集結した。

 「奈々香先輩っ! お久し振りです!」

 「握手して下さい!」

 「いや~ん、奈々香ちゃん、可愛いっ! こっち見てーっ!」

 「L・O・V・E 奈々香!」

 「このジャージにサインして!」

 そりゃそうだ。奈々香は与野副女(与野副都心女子高等学)が誇るエースなのだ。スターなのだ。憧れのアイドルなのだ。

 「あ、あは・・・ ありがと・・・ あはは・・・」

 元々おっとりしていて、キャンキャン騒ぐタイプではない奈々香は、同世代の女子高生たちにもてはやされる立場が、なんとも居心地が悪いのだった。


 先ずは職員室に寄って、軽く挨拶してから教室に向かう。そうなのだ。奈々香はまだ高校生なのだ。特例的に最前線に駆り出されてはいるが、籍という意味では、まだこの与野副女の2年生。2年6組の一員 ──更に正確に言えば、図書副委員でもある── なのだ。従って、いつでも好きな時に登校して良いし、自分のクラスに顔を出すことが許されている。

 当然ながら、廊下を歩けば各教室の皆が顔を覗かせ ──授業中の教師たちも、さすがに奈々香の場合は諦めて、生徒たちの興奮が収まるのを待つしか無いことを知っている── スタジアムのウェーブのように喧騒が伝播してゆく。それはまるで中学校の最後の日、在校生による花道を通って卒業した、あの時のような気恥ずかしさだ。それが毎度毎度、巻き起こるのだからたまったものではない。

 そんな彼女たちに向かって「イェーィ!」などと、Vサインでも出せる神経の図太さが有れば苦労はしないのだが、内気な奈々香にそんな芸当は出来るはずも無し。むしろ、そんなにシャイな性格にも拘わらず、戦場での凄腕振りが伝わり聞こえて、益々彼女を神格化するのだった。


 そんな奈々香が唯一ホッと出来る所、それが2年6組の教室である。ここに来れば、クラスメイトたちはかつてのように出迎えてくれる。奈々香を芸能人のように扱ったりはしないのだ。それはひとえに、前線から戻って束の間の休息を愉しんでいる奈々香に必要以上の負担を掛けるのは止めようという、学級委員長の莉亜奈の発案によるものだ。その優しい気遣いに癒されて、奈々香は再び戦場へと赴く気力を得るのだった。


 「あら、奈々香。今日は登校日なのね?」

 躊躇いがちに教室の後ろのドアを開けた彼女に、まず莉亜奈が声を掛けたが、「あら」もくそも無いものである。学校中が大騒ぎしているのは、この教室にいても判る筈だ。あの騒ぎを聞けば、奈々香が登校してきたことは一目瞭然なのだから。

 「えへへ・・・ たまには顔出さないとね」

 そんな心遣いに感謝しながらも、はにかんで応える奈々香に、クラスメイト達は騒いだりせずごく自然に笑いかける。しかし、そんな雰囲気を吹き飛ばす元気な声が響いた。

 「おぅ! 奈々香じゃねぇか! お母ちゃんのオッパイが恋しくなったのか!? しょうがねぇな、じゃぁチョットだけだぞ」

 そう言いながら自分の胸を絞るような仕草の理央に、ドッと笑いが起こる。奈々香も笑う。やっぱりここが一番落ち着く。奈々香は心からそう思うのだった。

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