§1:北都のレジスタンス
1・1
終業時間を告げるチャイムが鳴った。その途端、生徒たちは一斉に立ち上がり、教室内が一気に喧騒に飲み込まれる。化学担当教諭の晴子が、その喧騒に負けないように大声を張り上げた。
「ちょっと待ちなさい! あなたたちっ! 宿題の範囲を聞いとかないと、後で後悔するわよ!」
そう言われれば仕方がない。彼女たちは口々にブツクサ文句を言いながら再び席に就くのであった。
「いい? 一度しか言わないからチャンとメモっとくのよ! TNT、PBX、C‐4、それぞれの特徴と ──これはメリットだけじゃなく、デメリットについても調べること── 適した用途についてレポートを作成して、次の授業までに提出ーーーっ。具体例の図解なんか載せておけば、高得点が望めるかもよ~。判ってると思うけど、歴史的背景みたいなのは低評価ですからね」
宿題を出すのが嬉しくてたまらないのか、ニタニタとする晴子に対し、彼女たちはつまらなそうに「うぇ~ぃ」とか「へぃへぃ」などと不満げに席を立ち始めた。晴子は、生徒たちの間でも一段と背が高く、頭一つ抜け出たような理央に向かって声を張り上げた。
「あっ、理央さん。あなたまた殺傷能力に偏ったレポート書くんじゃありませんよ!」
「はぁ~ぃ、判ってま~す」
この高校に入学して以来、ずっとソフトボール部に所属している彼女は、ベリーショートの頭を掻きながら、日に焼けた顔を不貞腐らせた。そんな理央の反応などお構いなしに、晴子は次に学級委員長を呼び止める。
「莉亜奈さん。今日も奈々香さんはフィールドかしら?」
「さぁ、良く判りません。彼女はいつも単独行動ですし、その方が彼女には都合がいいですから・・・」
「そりゃまぁ、そうなんだけどね。でも実地ばかりじゃなく、やっぱり基礎を学ぶ座学も重要なのよ。最終的には、そういった知識が備わっているかいないかで、命が助かることだって有るんだから」
「・・・・・・」
そんなこと私に言われても、という感じで見つめ返す莉亜奈に、晴子は意に介す様子も無し。
「あなた、彼女と仲良しでしょ? 今度会ったら言っておいてくれないかな? 私がそういう風に言ってたって」
「はい、判りました。でも、呼び出したりはしない方がいいんですよね?」
そう言って莉亜奈は右手を耳の辺りに持ってゆき、電話を掛ける仕草をする。
「そうね。呼び出すのは無しにしてね」
今日の四時間目は生徒それぞれが履修届を出した選択科目である。各自が目的の教室に向かってバラバラと移動を開始する様は、さながら大学のような雰囲気だ。
ここで言う選択科目とは、必修科目以外に個人個人が各自の興味に応じて選択した科目を指すが、ここでの選択が今後の身の振り方に大きな影響を与えることは、本人たちも十分に承知している。既に高校2年になっている彼女たちのカリキュラムは、この選択科目が約五割を占めていて ──高3になる頃には、修得し損ねた必修科目以外は全てが選択科目に割り振られることになる── その中でも特に抜きん出た成績を収める優秀な生徒は、残りの科目の履修を免除された上に、即実戦投入というケースも有るのだ。
次の教室に向かって廊下を歩く莉亜奈に、後ろから理央が声を掛けた。
「ねぇ。莉亜奈は水4(水曜の四時間目)の選択は何だっけ?」
首をねじって後ろを振り返りながら、それでも歩調は緩めることなく莉亜奈は応えた。その際、肩甲骨辺りまで伸びた彼女の黒々としたストレートヘアーがなびいて、フワリとシャンプーの香りが立った。そのスッキリとした顔立ちは育ちの良さを感じさせ、ある意味、理央の対極にいるような存在だ。
「うん? 統率論だけど」
「そっかぁ。莉亜奈は戦略系だったね。私には難しくて手が出ないなぁ」
理央はベリーショートの頭をガシガシ掻きながら、日焼けした顔を困らせた。
「理央は?」
「あたし? あたしは陸上要員訓練。ほら、あたしって結局ガテン系じゃん?」と言って力こぶを作って見せつける。「頭使うより体動かしてる方が性に合ってるからさ。あたしの選択科目って、こんな肉体系ばっかりだよ、アハハハ」
「何言ってるのよ。戦術面でも頭使わないわけにはいかないでしょ?」
「まっ、その辺は莉亜奈みたいな頭のいい娘にお任せするよ。それより今日の要員訓練、何か知ってる?」
莉亜奈は肩をすくめる。
「なんと今日から部隊実習なんだ。あぁ、あたしも早く奈々香みたく実戦デビューしたいよ」
理央は長身の身体を更に伸ばして背伸びをすると、そのままの流れで、たまたま前を歩いていた小柄な蒼衣を捉まえた。そしていきなり肩を組んだかと思うと、グィと引き寄せながら言う。
「なぁ、蒼衣。お前もそう思うだろ?」
「えっ・・・ 私・・・ あ、あの・・・」
突然のことにびっくりした蒼衣が手にしていた教科書を落とすと、後ろから見ていた莉亜奈が、代わりにそれを拾った。
「よしなさいよ、理央。みんながアンタみたいなマッチョ女子じゃないんだってば」そう言いながら蒼衣が落とした教科書を手渡した。
「はい、教科書・・・ あれ、通信運用基礎論? 蒼衣はそっちの方に行くんだ?」
蒼衣はズレた眼鏡を元に戻しながら、それを受け取った。三つ編みで一つにまとめた髪が、彼女の肩口で揺れている。
「う、うん・・・ 私、体力も無いし運動神経も鈍いし・・・ だから後方でみんなを支えることしかできないし・・・」
「そうなんだ。頑張ってね」
そう励ます莉亜奈に、蒼衣ははにかむ様に微笑んだ。しかし、その頭をクシャクシャにしながら理央が混ぜっ返す。
「まぁ、パソコンヲタクの蒼衣には、その方がいいかもな。んじゃぁ、あたしが前線に出張ったら、後方支援よろしくだかんね」
「は、はぃ・・・ あ、あの・・・」
「?」
「何?」
躊躇いがちに話しかける蒼衣に、二人が立ち止まる。蒼衣は自分の首周りに絡み付く理央の左腕にぶら下がるような格好で尋ねる。
「な、奈々香さんって、今日も前線なんですか?」
その質問には莉亜奈が答える。
「奈々香? 多分そうだと思う。この前、小菅の方に行くって言ってたから」
「小菅・・・ 荒川越えたら政府軍の制圧圏・・・ 最前線ですね」
二人は黙って頷いた。
「奈々香さんて、やっぱり凄いんですね。まだ高2になったばっかりなのに」
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