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 30歳になる年に、洋文は生まれてはじめて単行本を出版した。


 同時にWeb連載も終了し、作家としての仕事はなくなったが、


「これから君にはもっとおもしろいことをたくさんやってもらうつもりだから」


 と、担当編集から言われていた。


 だから、彼は何も不安はなかった。


 その担当編集は、一次審査の段階で洋文の受賞作に目をつけてくれ、最終審査まで押し上げてくれただけでなく、どんな賞を受賞することになろうとも、この作者にこの作品でWeb連載をさせたいと、編集長に事前に確約をつけてくれていたらしかった。

 もっとも、編集長には、何がおもしろいのかわからない、と思われていたらしかったが。


 最初の雑誌の担当編集者との相性は最悪、というより本当に彼の担当だったかすら怪しいものであったが、その担当との相性は最高だった。


 年も近く、こどもの頃から触れてきた漫画やアニメ、ラノベなどがほとんどいっしょであり、とても話があった。

 ただ話が合うだけでなく、洋文の自伝のようでもあったその作品は、生まれてはじめてできた彼女とのファーストキスの感想を「はじめてパイとキスした八雲の気持ち」と例えるなど、オタクならではの表現が満載なものであったが、それらをすべて理解してくれ、もっとおもしろい表現はないだろうか、と一緒に考えてくれるなど、最高のビジネスパートナーだった。


 イラストレーターも、ラノベのイラストレーターや漫画家といった、ありがちなイラストレーターではなく、ドット絵のイラストを得意とする人に依頼してくれていた。


 それが3コマ漫画の形式に、テキストとイラストを配置するという今までにない試みにマッチしていた。


 すべてのイラストが書き下ろしである必要はなく、ドット絵であることで、拡大や縮小、回転、といった使いまわしがきくのだ。


 しかし、いくら使いまわしがきくとはいえ、作中の季節にあわせて、主人公とヒロインの衣装が変わっていく必要はあった。


 イラストレーターが連載途中で連絡がとれなくなり、連載開始当初のイラストを使い回さざるを得ないなど、連載も出版も本来想定していた形にはならなかったが、彼も担当もそういった状況の中で、そのとき作れる最高の状態で単行本を世に出すことができた。


 初版はたった7000部だったため、全国の書店にまで行き渡ることはなかったが、すぐに増刷されるだろうと思っていた。


 しかし、一度も重版がかかることはなく、


「これから君には、もっとおもしろいことをやってもらうから」


 洋文が信じていた担当のその言葉は、単行本が売れたらの話であり、その機会は永遠に訪れなかった。


 何を書いて送っても、おもしろくない、つまらない、とバッサリ切り捨てられるだけ。


「漫画原作をやりたいなら、いろんな職業を経験して、その裏側を書けるようになりなさい」


 そう言われ、彼はラブホテルの清掃のアルバイトを始めたりもした。


 だが、その経験を元にして書いた作品に対して、担当からの返事は、


「ネットにある、おもしろい読み物の域を出ていない」


 そんな言葉だった。


 その言葉は、洋文と担当が必死で作った本について、アマゾンのレビューに書かれていたこととほとんど同じだった。


 そういう作品を受賞やWeb連載まで推したのはあんただろ、と彼は思ったが、その通りだったのだと思う。


 受賞やWeb連載、単行本化されたことが奇跡だったのだ。


 すべては、自分の力不足であり、努力不足。

 自分は選ばれた特別な存在であるという思い込みが、その結果を招いたに過ぎなかった。


 それでも、洋文は、もはや何の根拠もなくなってしまった、そのプライドを捨てることができなかった。


 そして最後には、


「君はもう、漫画原作は諦めて、ラノベ作家を目指した方がいい」


 最高のビジネスパートナーに見きりをつけられることになり、彼は裏切られた気持ちでいっぱいになった。


 今思えば、それは仕方のないことだった。


 これはビジネスなのだ。

 相手は編集者であって、友達ではないのだ。

 自分が発掘した作家とはいえ、売れない作家に用などないのだ。


 今だから理解できるけれど、9年前の彼には、到底理解などできなかった。

 今の彼ですら、当時の彼にそれを理解させることは、無理だと思う。


 当時の洋文は言うだろう。


「あんたは夢を諦めたから、そんなことが言えるんだ」


 今の洋文は言うだろう。


「現実を見ろ。たった7000部の印税がいくらだった?

 もう何ヵ月収入がない状態が続いている?

 今のお前はただのヒモだ。すぐに働け。

 じゃないと大切なものをすべて失うぞ」


「まだぼくは終わってない。

 3つ目の新人賞の雑誌の連載会議に出すネームがもう出来てる」


 当時の彼はきっとそう言うにちがいない。


 そして、今の彼は、当時の彼に、残酷な真実を告げることだけはどうしてもできないのだ。



 もうひとつ、新人賞をとっていた雑誌の担当編集とは、連載会議に向けた作品づくりを進めており、共に受賞した作画担当者は三話分のネームを描き終えて、連載会議を迎えるだけの状態だった。


 だが、その連載会議は、行われなかった。


 会議が予定されていた日の前日に、雑誌の廃刊が決まったのだ。


 そして、洋文は、すべてを失った。


 それからの人生を、彼は余生だと思うようになり、生きていくことになるのだ。




 そして、5年の時が過ぎ、ひとつの出会いが、洋文の人生を変えることになるのだけれど、彼はまた選択を誤り、失敗し、すべてを諦めることになる。



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