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 その雑誌では、漫画原作の新人賞は年に一度しか開催していなかったが、毎月のように漫画の新人賞を開催しており、年間の受賞者は100人近い数だった。


 年に一度、その年の受賞者を集めた授賞式が行われており、洋文はそこに集まった人数に愕然とした。


 仮に、そのうちの10人がデビューしたとして、連載にまでたどりつけるのは、おそらくひとりいるかどうかという狭き門だった。


 そのひとりでさえ、必ず売れるわけではなく、そんな新人たちが、毎年100人ずつ増えていくのだ。


 ひとつの雑誌だけで毎年100人だ。

 同じ出版社だけで10冊以上も漫画雑誌はあり、出版社は大小合わせれば無数にある。

 漫画業界全体で見れば、おそらくは毎年1万人以上受賞者がいるだろう。

 毎年、それだけのライバルが増えていく世界なのだ。


 漫画家や漫画原作者にとって、頁数が限られた雑誌だけが舞台だ。

 現在ならば、出版社ごとに雑誌ごとにWebやアプリといった雑誌に限らない作品発表の場があるが、それでも限りがある。

 もしかしたら、若手芸人の方がまだ、舞台に上がるチャンスに恵まれていると言えるかもしれなかった。



 作家と担当編集者には、相性というものがある。

 お互いの人間性をはじめ、自分が担当する作家の書く作品を好きかどうかという編集者の趣味嗜好、逆に作家は書いたものを持って編集部を訪ねていき、担当編集者に読んでもらい、直接意見をもらえる距離に住んでいるかどうかということも、相性に含まれる。

 それらの相性によって、担当編集者の中で、担当作家の優先順位が決まる。


 洋文の脚本が最終選考に残ったことや受賞したことを電話で連絡をしてくれ、後に漫画好きの人なら誰もが知る漫画の作画を手掛けるようになる人を作画担当に選んでくれ、最高の作画でぼくをデビューまで導いてくれた編集者は、ベテランで能力も優れ、そして何より自分の書くものを好きでいてくれたのだと彼は思う。


 その人が、自分のデビュー後にも担当編集者でいてくれたなら、自分の漫画原作者としての未来は、もしかしたら変わっていたかもしれない。

 そんな風に彼はいまだに思うのだった。


 そんな、たらればの話をしても仕方がないのだけれど、そう思わざるを得ないほどに、デビュー後の彼を担当することになった編集者との相性は、おそらく最悪な部類に入るものだった。



 洋文はデビューこそすることはできたが、彼の新しい担当編集者は、――もちろんその編集者に限った話ではないのだけれど――、連載作家だけでなく、デビューしたばかりやデビュー前の新人を多数抱えていた。

 彼は、そんな多数いる担当作家の中で、優先順位が最も下だったのだと思う。


 読み切りや、連載を想定した作品の脚本を書いて送っても、

「忙しくて読む暇がない」

「申し訳ない」

 という返事ばかりで、一年が過ぎても一作も読んでもらうことすらできなかった。


 洋文は、デビューの半年後の春に、すでに四年勤めていたJAの精米工場をやめてしまっていた。


 その工場では、毎年3月に工場長が従業員全員と面談をする。


「ぼくはいつ正社員にしていただけるのですか?」


 と、彼は工場長に問うた。


 しかし工場長は、目の前にいる部下が四年も契約社員として勤めていたにも関わらず、


「正社員にする気はない」


 と言った。洋文に限らず誰も正社員にする気はない、と。


 だから、彼は、正社員になれるなら兼業を、と考えていたが、なれないのなら時間の無駄だと思い、その場で退職を願い出た。


 これは数年後、結果的に、そのタイミングでやめて正解だったというだけの話になってしまうだけなのだが、JAも所詮は会社であり、誰も正社員にする気がなかったのは、すでに工場の閉鎖が決まっていたからだった。

 当時は、県内にもうひとつあった別の工場が建て替えられたばかりで、最新鋭の機械が導入されていた。

 彼が勤めていた工場はもはや、その新工場ひとつだけで二工場分の仕事ができるようになるまでのつなぎでしかなかったのだ。

 それを彼の同僚だった契約社員たちが知るのは二年後のことで、全員が首を切られた、と聞いた。


 洋文は、仕事をやめてから半年間無収入の状態が続いていた。

 書いたものがつまらなかったのなら、それも仕方がないと思えたかもしれない。

 だが読んですらもらえないのならば、いくら待っても無駄だと気づいた。


 今思えば、洋文はデビュー作が掲載された時点で、すでにその担当編集者から見限られていたのだろう。

 それは、当時の彼もなんとなくは気づいていたが、彼はまだ、それを挫折とは捉えてはいなかった。

 当然だ。まだ彼は、一度しか勝負の舞台に立たせてもらっていなかったのだから。


 洋文はまだ、自分は特別な選ばれた存在であると過大評価をしていたし、それを信じて疑っていなかった。

 だから彼は、彼自らの意思で、JAを見限ったように、この担当編集者を、その雑誌を見限ることにした。

 あとでせいぜい悔しがれ、とすら思っていた。



 彼は、別の雑誌の新人賞を狙うことにし、そして、二度目の新人賞も、簡単に取れてしまった。


 しかも、その受賞作は、新たに書いたものですらなかった。


 彼は大学を一年留年し5年かけて卒業したものの、就職先が決まらなかった。

 それから丸一年間、アルバイトすらせず、ひきこもりのニートをしていた時期があった。

 そんな頃に、暇をもて余して書いていたブログから、選りすぐりの記事を50ほど集めただけのものだった。


 そんなものに、今度は60万円の値がついた。


 新しい雑誌の担当編集者は、何人かの新人漫画家に、漫画化させてみたものの、洋文の書いた文章のおもしろさを越えることは出来なかったという。


 そのため、漫画化することが難しいという担当や編集部の判断から、彼のテキストをメインとした、イラスト付きの、4コマではなく3コマ漫画風の読み物となることになり、単行本化を前提としたWeb連載がすぐに決まった。


 当時は有名ブロガーの書籍化などはあったが、一日のアクセス数が数十人程度でしかなかったブログが、数年の時を経てそんな形で世に出ることになったのは、おそらく出版業界において、最初で最後だったのではないだろうか。


 それだけではなく、彼はさらに別の雑誌で、新人賞の受賞経験はあるもののなかなかデビューできないでいた人とネットで知り合い、ふたりで作った漫画で三度目の新人賞を取った。


 そんな風にして、洋文の鼻はどんどん伸びていった。


 その先に待っているのが、とてつもないほど大きな挫折と、誰からも必要とされることのない、ただただ孤独で、有り余る時間を無駄に過ごしながら、ただ生きているだけという、地獄のような日々だということを、このときの彼はまだ知らなかった。



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