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「5000万か……まずは飯だな」


青年は、寿命を売った。

真偽の程は定かではないが、彼には51年も寿命があり、50年分の寿命を売って手に入れた金が5000万円だった。

大金が入ったアタッシュケースを持ったまま、彼が入店したのは老舗の高級寿司店ではなく回転寿司だった。


「うめぇ~、舌がとろける! 高い寿司屋に行こうと思ったけどやっぱ、俺にはこれくらいがあってるな。二百円の皿いっちゃうか! そうだ、ビール! ビールもいこう!」


彼がその日、外食代として使ったのは、わずか5000円であった。

アタッシュケースの札束から、なれない手付きで一万円札を出す彼を見て、レジ係の店員はぎょっとしていたが、彼はもはや人にどう思われようが構わなかった。



その数日後の朝、青年は銀行を出るとすぐ、携帯電話を取り出し、母親に電話をかけた。


「今さ、母さんの通帳に2000万振り込んだから。大学まで行かせてもらった分、いつかちゃんと返そうと思ってたから。半分は母さんの分で、もう半分は父さんの分。父さんはもういないから、母さんが全部使って。悪いことなんかしてないよ。ちゃんと貯金してただけ。大丈夫、大丈夫。母さん、俺、家を出るよ。産んでくれてありがとう。父さんにもよろしく言っておいてよ」


部屋を借り、ほしいものも買えるものは全部買った。

毎日うまいものが食える。


だけど、本当にほしいものは金では手に入らない。


青年は誰かに必要とされたかった。

愛されたかった。


これまでに、青年を必要としてくれた人がいなかったわけではなかったが、彼はずっとその人たちの期待に答えられなかった。


愛されたいけど、愛し方がわからない。


体を重ねる以外の愛し方は、不器用だった父と同じ方法しか思い付かなかった。



青年は、銀行の駐車場から車を出すと、カーナビの履歴にかろうじて残っていたその場所に向かった。


下道を走ること数時間、その場所に来るのは、3年ぶりだった。


彼の人生において、最も大切な女性の実家だった。


彼女の両親に挨拶にきたのは三年前の一度きりのことだった。


青年は、彼女に出会わなかった人生を想像する。

一生フリーターのままだったろう。

正社員になって、彼女と結婚して、幸せな家庭を。

そんな夢を見させてくれた。


だが、彼はそんな大切な人を傷つけてしまった。

合わせる顔もないし、会ってはくれないだろう。


青年にできるのは、お金か物くらいしかないのだ。

それは、もしかしたら自分を愛してくれていたかもしれない父親が、仲違いするまでの14年間してくれたのと、同じ方法だった。

実際にその方法でしか愛を示すことができない自分を客観的に見ると、父は自分を愛してくれていたのだと思えた。


青年の寿命は残り一年。

正確には、351日。


200万もあれば、自分は生きていける。

2500万円あれば、彼女の役に少しはたてるかもしれない。恩返しができるかもしれない。罪滅ぼしになるかもしれない。


青年はインターホンを鳴らした。


「はーい」


その声は、三年前に、わたしたちのことをもう家族だと思ってくれていいから、と言ってくれた、義母になるはずだった人の声だった。


青年は、アタッシュケースでインターホンについたカメラに自分が映らないようにして、


「玄関の前にアタッシュケースを置いておきます」


と、言った。


「2500万円あります。娘さんに渡してください」


アタッシュケースを玄関前に置き、青年はすぐにその場所を離れた。


近くに停めた車の中で、彼は彼女の母親がアタッシュケースを拾い、家の中に戻るのを見届けると、ほっと一息をついた。


これでいい。これで、もう何も思い残すことはない。


あと一年もあるのか。いらないな、一年も。


青年はそう思った。



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