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今日は9月16日。父の命日だった。
2年前の9月16日は、歌手の安室奈美恵が芸能界を引退した日だった。
その日に、洋文の父は他界した。
父が他界した二年前は、洋文の人生にとって最低最悪の年だった。
4月に、洋文は6月から正社員になれると上司に告げられ、同棲をはじめて8ヶ月になる彼女にプロポーズをしたが断られた。
5月1日、彼女は実家に帰省し、その後ふたりの部屋に戻ってくることはなかった。
その日、洋文が出勤するとき、彼女は体調があまり良くなく、まだ部屋で寝ていた。
その寝顔が、彼が最後に見た彼女の姿だった。
6月に、彼女が両親とともに、部屋にある荷物を取りに来ると連絡があった。
その日彼は仕事だったが、休憩時間をなんとか確保し、彼女に一目会おうとしたが、部屋はすでにもぬけの殻だった。
7月に、母から父が入院したと知らされた。
肺がんだった。
すでに全身に転移しており、鎮痛剤で痛みを緩和する程度の治療しかできないということだった。
休日を利用し、車で片道二時間かけて、洋文が父を見舞いに行ったが、父は息子のことがよくわかっていないようだった。
どうやら脳にまで転移が進んでいたらしい。
五分もしないうちに、痛いから寝る、帰ってくれ、と言われた。
そして、夏休みという名の繁忙期が始まり、8月は地獄のような忙しさで、洋文は休日を一日中寝て過ごすようになり、自分の誕生日すら仕事だけで終わってしまった。
9月になり、繁忙期は終わったが、彼の疲弊した心と体はなかなか回復せず、次の休みこそ父をもう一度見舞いに行こうと考え体調を整えていた矢先に、父の訃報の連絡があった。
洋文と父の間には、20年以上確執があった。
小学校に入学してすぐ、いじめを受けるようになった洋文に、父は「勉強ができるようになれ」と言った。
父は、生まれ育った家庭が、大家族で貧しく、中学を卒業してすぐ働きに出ざるを得なかった。
父は自分の学歴にコンプレックスがあり、会社勤めをしながら通信制の高校に通い、そこで母と出会ったという。
「誰よりも賢くなれ。そうすれば、いじめられることはない」
父の言葉を信じて、小学3年から塾に通いはじめると、成績はあっという間にトップになった。
だが、いじめられなくなるどころか、いじめは年々ひどくなっていった。
中学生になると、さすがにトップにはなれなかったが、常に学年で一桁の順位を維持し続けた。
しかし、中学校でもいじめを受け続けた。
中学3年になる頃、洋文は気づいてしまった。
父の教えは間違っている、と。
そして、勉強をすることをやめた。
彼は本を読むのが好きだったから、これまで勉強に当てていた時間を、本を読む時間にあてるようになった。
今まで勉強をほとんどしてこなかった者たちが、高校受験のために勉強をはじめ、あっという間に彼を追い抜いていったが、洋文は気にしなかった。
そして、高校受験を目前にして、洋文は父の真意を知った。
父は、小さな会社で事務の仕事をしていたが、社長からずっとひどいいじめ、今で言うパワハラ、モラハラを受けていたらしい。
自分では社長にはどうあがいたところで勝てないが、息子が年の近い社長の孫が通う高校より良い高校に行けば社長を見返すことができる、そう考えていたらしかった。
自分が、父の復讐の道具であることを知った洋文は父を避けるようになった。
父もまた社長の孫より劣る高校にしか行けない息子に興味を失った。
そして、洋文は高校生になっても勉強をすることはなく、本を読むだけではなく、小説を書き始めるようになり、
「お前なんかが小説家になんてなれるわけがないだろう」
父のその言葉が決定打となり、父と洋文の20年以上に及ぶ確執が始まった。
洋文は父の死の間際になって、もっと早く父とちゃんと話をしておけば、もしかしたら理解しあえたかもしれない、と後悔した。
まだ父は生きている。
次に見舞いに行ったときこそ、ちゃんと話をしよう。
しかし、その機会は訪れなかった。
すべてが遅すぎた。
父は死の間際に、ちっとも見舞いに来ない息子を呪うような台詞を吐き、意識を失うとそのまま目を覚ますことはなく、息を引き取ったと、葬儀の後で洋文は母から聞かされた。
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